あなたが呼ぶ、わたしが呼ぶ
プラネタリウム、水族館、映画…退院してから赤井さんと一緒に行った所の半券を、デスクの上に並べてみた。あの人は有言実行派らしく、海に行った時に言っていた「何処にでも連れて行ってやる」という言葉を律儀に守ってくれている。
その時に口にした場所は本当に思いつきだったのに、それでも全て連れて行ってくれたし…何か、夢でも見ているみたいだ。そして何処に行っても楽しかったのは何故だ。
(赤井さんと一緒にいるの、すごく楽しい。それに安心する…)
思っていたより笑ってくれるし、話しかけてくれるし、最初こそとっつきにくかったけれど、今となってはそんなのは微塵も感じなくなっている。もっと赤井さんの笑顔を見たいって思うし、知りたいとも思う。一緒にいるだけでドキドキしてしまうのは…やっぱりそういうことなのだろうか?
まだ何も思い出せていないけれど、もしかしたら…って思っていることがある。それは首から下げている指輪の送り主のこと。赤井さんは余程大切な奴から、と言っていたけれど、これはきっと彼からの贈り物なんだと思う。
聞いても教えてくれないだろうけど、でもあの人がリビングのソファでうたた寝をしていた時に見えてしまったの。胸元で光る、シルバーリングを。一瞬だけだったから不確かではあるんだけど、でもあれは私がしているものと同じデザインのもののような気がして。
そうだと仮定すれば、赤井さんが私に優しくしてくれる理由も説明できると思うんだ。私は、記憶を失ってしまう前の私は…赤井さんとつき合っていたんじゃないのだろうか。
「え?アメリカ?」
「ああ。もう怪我も完治しているんだろう?」
「うん、そう言われたけど…何で急にアメリカなの?」
「俺がお前と一緒に行きたいと思ったんだ。このままの姿では行けないから、沖矢として行くことにはなるが」
「アメリカか…でも休暇中とはいえ、日本を出ても大丈夫なのかな」
「ジェイムズさん達にはもう話をしてあるよ。心配ない」
それはまた準備が良いことで…それって私に拒否権はないんじゃないだろうか、と卵焼きを頬張りながら思った。言わないけど。
「あまり長くはいられんから、5泊7日くらいになるとは思うがな」
「十分長いし、向こうに行くのは久しぶりだから嬉しい」
「泊まる場所なんだが、俺の家でも構わないか?」
「………え?赤井さんの?」
「ああ。嫌ならホテルを取るが」
顔に一気に熱が集まった。だ、だって何で当然のように自分の家に泊まれとか言ってるのこの人!!もしかして、誰にでもこうやって言うような人?見た目に反してとんでもなくプレイボーイだったとか?!
本当かどうかわからない、自分の妄想にズキンッと胸が痛んだ。この胸の痛みは嫉妬、なのだろうか…そうだとすれば、やっぱり私は赤井さんに恋をしていることになる。でもこの人は、『今の私』を求めているわけじゃない。赤井さんの記憶を持っている『本来の私』を捜しているし、求めているんだと思う。
確かに私であることに変わりはないけれど、でもきっと…赤井さんはそう思っていないんじゃないかなぁって。けど、少しでも私を見てくれるのであれば―――それは幸せと呼べるものになるのだろうか?
「…いいよ、赤井さんの家でも。逆にホテル代わりにしちゃうのは、構わないの?」
「ん?ああ、それは構わんさ」
「そう…だったら、私も構わないです。お邪魔します」
「こちらも精一杯もてなそう」
赤井さんの思わぬ発言に吹き出せば、当の本人は私が何で笑っているのかわからないみたいで首を傾げている。ふふ、きょとんとした顔って初めて見たけれど何だか可愛い。少しだけ幼く見えるんだね、赤井さん。
ああ、やっぱり好き…なんだなぁ。胸を締め付けるこの甘い痛みは、この人への愛情で。でもほんの少しだけ、違う痛みが混じるんだ。この人を思い出せない私が、好きになっても…赤井さんを愛してしまってもいいのだろうか?
(何をバカなことを考えているんだろう。受け入れてもらえるわけがないのに)
彼にバレてしまわぬよう自嘲的な笑みを零し、再び目の前に並べられている食事に手を付ける。考えるのはやめよう。考えた所で答えなんて出るはずもないんだから。思考回路を無理矢理にシャットダウンして、味の染みた肉じゃがに手を伸ばした。
「着いた〜〜〜…!」
「体は大丈夫か?」
「ノープロブレム!」
アメリカに行くぞ、と言われた日から5日後。私と赤井さんはニューヨークにいます。
彼の家はワシントンにあるらしいのだけれど、先にニューヨークを観光するそうで…それは聞いてなかったから、搭乗前に言われて驚いたよ。今回はずっとワシントンにいるものだ、と思っていたから。
「でもワシントンまでの移動は飛行機にするの?それとも電車とか?」
「アムトラックだ。レンタカーでも良かったんだがな」
「レンタカーだと4時間弱かかりますよね…?さすがに長時間フライトの後にそれは厳しいよ、赤井さん」
「そう言うと思ってアムトラックにしたんだ」
ワシントンでの観光は地下鉄やサーキュレーターを使う方が便利なので、今回、レンタカーを借りる必要はなさそうかな。何か仕事以外でニューヨークやワシントンに行くって、すごく変な感じ…!
まずは何処に行くんだろうな、と預けていたキャリーケースを受け取りながら考えていると、荷物をひったくられた。相手は赤井さんだから騒いだりはしないけど、文句は言うよ。何で当然のような顔をして人の荷物を持っていらっしゃるのか。
…文句を言いつつもちょっと特別扱いされてるみたいで、嬉しかったりするけどさ!
「何ボーッとしている。行くぞ」
「え、あ、はい!…って何処に?」
「タイムズスクエア。荷物の一時預かり所もあるから、そこに預けていこう」
「…何か慣れてるね?」
「こちらに住んで長いからな、知識も増えるさ」
それは私も同じ気がするんだけど…だけど、私はあまりそういう情報に明るくない。だってワシントン在住だったし、大荷物でニューヨークに来ることもなかったし。あ、でも一度だけ家族で旅行に来たことがあったっけ…家族旅行だったし、まだ中学生だったから自分で大荷物を持って移動ってことはなかったけどね。
…あれ?その旅行の時、何かあったような気がしたんだけど…何だっけ?とても大切な思い出で、ずっと忘れられない何かがあったはずなのに思い出せない。
(今まで忘れたこと、なかった気がするのに…?)
いや、現に思い出せないわけだから忘れたことがあったのかなかったのか、それを判断することはできないんだけれども。だけどこれだけはわかる、それは絶対に忘れちゃいけないことだったってこと。
うーん?と首を傾げていたら、どうやら赤井さんとはぐれてしまったらしい。しまった、と思った時には、彼の後ろ姿は何処にも見当たらなくなってしまっていた。マズイ、土地勘がないわけではないけど…合流できるか否かと言われれば、自信は皆無なのです。
あ、そうだ携帯…!って、さっき赤井さんに荷物持たれちゃったんじゃん!キャリーバッグの持ち手に引っ掻けていた小さなバッグに携帯を入れていたのを今思い出した。今度はパンツのポケットに入れておこう、そうしよう。
「…どうしよう。とりあえずタイムズスクエアに行けば…って、財布もないんだった…!」
「Hey!Are you alone?(ねぇ!君、1人?)」
「Do you want to play with us?(俺達と遊ばねぇ?)」
「Ah…sorry,I'm here with my friend.(あ、ごめんなさい。友人と一緒なの)」
「But you're alone.It would be nice right?(でも1人じゃんか。別にいいだろ?)」
マズイ。とっても面倒な人達に捕まってしまった…!英語はできるから問題ないけど、逃げ出す術がない。こうなったら無視して通り過ぎてしまおう、と思ったのに、グッと腕を掴まれてしまった。
今すぐその腕を捻り上げてやりたいけど、下手すると警察沙汰になりかねないんだよなぁ。下手に刺激すると面倒だし、どうしよう。ぐるぐる考えている間にも腕を引っ張られ、そのまま裏路地に連れて行かれそうになってるし…!
力だけでは敵うわけがない、本格的にマズいと冷や汗が流れ始めた頃―――とてもとても、聞いたことのないくらいに低い声が聞こえた。
「Let go her hand.(その手を離せ)」
本気で目で人を殺せると、そう思った。私の腕を掴んでいた奴らも、赤井さんの殺気に恐れをなしたのか、何かを叫びながら走り去っていく。…とりあえず、助かったのかな。
「ええっと、ありがとう…赤井さ、」
「馬鹿野郎!」
「ひっ?!」
「いくらニューヨークと言っても女一人じゃいいカモにされるに決まってるだろう!」
「ごっごめんなさい〜!」
私だけが悪いわけじゃないと思うけど、でも考えごとに没頭してたのも事実だから謝る。でもまさか怒鳴られるとは思ってなかったので、若干涙目。
うう、さっきの絶対零度の瞳も怖かったけど、怒鳴られるのも怖いよ!!というか、赤井さんも怒るんだね人並みに。素直に口にしたら俺を何だと思っているんだ、と言われちゃいそうだから、絶対に言わないけども。
「はぁ…怒鳴って悪かった。しっかり確認しなかった俺の責任でもある」
「うう、ごめんなさい赤井さん〜!」
「泣くな。お前に泣かれると、どうしたらいいかわからなくなる…」
キィン、と頭の奥で何か音が、した。こうやって怒鳴られるのも、慰められるのも初めてのはずなのに…『知っている』と思ったの。前にも今みたいに怒鳴られて…そう、泣きそうになって、でも結局泣いちゃったんだ。
私が泣くと”彼”はいつも困ったように眉を下げて言うの、「泣くな。お前に泣かれると、どうしたらいいかわからなくなる」って。まるで、さっきの赤井さんのように。
(でも彼って―――…誰のこと?)
一番肝心な所が出てこない、思い出せない。こんな出来事があった、って思い出せたのに、その相手が誰かわからないなんて意味がないじゃないか。
でもきっと、その相手も…赤井さん、なのだろう。ハッキリとはわからないけれど、同じ言葉を発している、怒鳴られた感じも同じだと感じた。それはつまり、そういうことなのだろうと思うんです。
「ぐす、」
「…ほら、手を出せ」
「へ?」
「掴んでいろ、と言ったんだ」
―――左手を掴んだら、いざという時に大変じゃない。
頭の中でそんな声が響いた。どういう意味なのかわからないまま、私は差し出された左手に自分の手を重ねた。