ぼくを癒す
山、山、山。デスクの上には書類の山―――というより、タワーと言った方が正しいかもしれない。その処理に追われている私は、大分精神が擦り減っているような気がします。さっきコーヒーいる?って聞いてきたジョディにも、思いっきり甘いやつを頼むとえらくひっくい声でお願いしてしまったくらい。
ピリピリ殺気立っているのか、大分前から私の傍には同僚も先輩も近寄ってこようとしません。何か用事があればおずおずと声はかけてくるけど、…つーかね、別に話しかけられたくらいで噛みついたりしないってば。取って食うなんて以ての外!
「そんな顔をしていたら近づきにくいのは当たり前だ」
「…秀一」
「鏡を見たか?なかなかにひどい顔をしているぞ」
「ハッキリ言っちゃう貴方もなかなかにひどいです」
そして顔のこと、貴方にだけは言われたくないですよ。目つきもんのすごい悪いクセして。
「はぁ…それで、書類の追加でも持ってきましたか?」
「いや、これ以上はお前の仕事を増やせんよ」
「そうですか。なら、秀一は何のご用事で?」
「ペンを置いてついてこい。出かけるぞ」
「……はい?」
彼の一言に、眉間に寄っていたであろうシワが一瞬にして伸びた。いや、この人何言ってんの?デスクの上に積まれた書類のタワーが見えてないの?え?
わかりやすく混乱している私に痺れを切らしたのか、秀一は溜息を1つ吐いて(溜息吐きたいのはこっちだよ!)無理矢理に持っていたペンを取り上げると、私を引きずるようにしてスタスタと歩き始めたじゃないですか。
え、ちょ、あの仕事!!と喚いてみても聞く耳持たずで、腕を掴む力も弱む様子を見せない。ジョディかボスに助けを求めよう、と振り向いたけれど、全員が全員、何故か笑顔を浮かべていってらっしゃいとでも言いたげな顔をしているのですが。ま、まさか…此処にいた奴、全員秀一とグルなのか?!
「ちょ、ジョディ、ボス…!」
「少しは息抜きしてらっしゃい。顔の怖い美人さん!」
「工藤くんを頼んだよ、赤井くん」
「了解」
了解じゃないよ秀一!!そしてジョディもボスもすんなり送り出さないでよ!
そんな叫びは聞き入れられることはなく、あれよあれよという間に私は秀一の車に乗せられました。というか、押し込まれました。もっと言えば投げられました。抵抗されないようになんだろうけど、それでも投げるなよ。仮にも女ですよ、私。
いや、FBI捜査官になった以上、そういう扱いをされない方が有難いんだけど。でもさっきまでの秀一の行為には、声を大にして言いたいですよね。女だよ、って。言った所で「で?」って返される確率の方が高いんだけども。
もうここまで連れてこられてしまったら何も言うまい…出かけた溜息を飲み込み、大人しくシートベルトをつけると秀一はゆっくりと車を発進させた。一体、何処に連れて行く気なのかしら…今日はこの人と捜査に出る予定もなかったはずなんだけど。もしそうだとしたら、ボスやジョディがあんな顔をして送り出すはずがないし…あの言葉も引っかかるわよね。
つまり、秀一はどんどん荒んでピリピリしていく私を見兼ねて気分転換に連れ出してくれた―――ということになる。
(女心を読むのが苦手なクセにまぁ…)
ほーんと、こういう時だけはしっかり気がついてくれちゃうんだから。まぁ、私もイライラしたり疲れているのを隠そうともしていなかったから?洞察力や観察眼が優れている人なら、大体予想がつくとは思うけど。
ムスッとした表情を崩さぬまま、そう当たりをつけていると黙ったままだった秀一に着いたぞ、と声をかけられた。え?着いたって何処に、というかいつの間に車が止まってたの…窓の外を見ていたはずだったのに、全然気がつかなかったわ。
「どうした?円香」
「いや、何でもないです……ん?喫茶店?」
「ここのコーヒーが美味いと聞いてね」
…誰にですか。どうしよう、その情報を仕入れたのが誰かからとかではなく、雑誌とかネットだったら。それを調べる秀一の姿を思い浮かべると…ダメだ、面白すぎて笑っちゃう…!
「ようやく笑ったな」
「へ?」
助手席のドアを開けながら、秀一はホッとしたような笑みを浮かべていた。傍から見ればそんな風に見えない!って笑みだと思うんだけど、これでも彼女だった時期がある。それくらいは、…今でもわかるよ。どうやらこの人は本当に私の心配をしてくれていたようです。
それは嬉しいんだけど、何故に助手席のドアを開けて手を差し出していらっしゃるんですかね?そんなことつき合っていた時ですらしてもらったことないんだけど?!……あ、あの時は秀一の車で出かけたことってなかったっけ。
「な、なんで手…?!」
「いいからさっさと掴まれ」
「あ、はい、すみません」
しまった。つい命令口調で言われると拒否できなくて…。うっかり良い返事をしてしまった私は、そのまま彼の手に自分の手を重ねてしまった。
柔らかく掴まれた手を、強すぎない力で引っ張られ車から降りた―――はずだったのに、バランスを崩した私は秀一の胸へダイブしました。ええ、それも思いっきり。けれど、それくらいでグラついたり慌てるような人ではなく、おっと、と口では言いながらも危なげない仕草で抱き留めてくれる。
…マズイ、非常に距離が近いこの状態はマズイ…!下手するとし、心音が、秀一にも聞こえて緊張してるのが一発でバレる!!
慌てて離れようとしたのに、腰に回っていた手に力がこもり抜け出せそうにないです。あ、あれ?もしかしなくても今の状態って抱きしめられてる感じ?うわわ、更にマズイ状況じゃないか…なんっで秀一は離してくれないのかな!あれか?私をからかって楽しんでやがるんですか?!
「大丈夫か?」
「みっ耳元は反則です止めてください…!」
「ク、お前は本当に面白い反応をするな」
「おもしろ、」
やっぱりか。やっぱり私をからかって遊んでやがりましたね…!
「ひどいじゃないですか!仕事で疲れている後輩を弄ぶなんて!!」
「弄ぶ…?誰が、誰を」
「秀一が、私を、です。他に誰がいますか」
「それは心外だな。からかっているつもりは微塵もないが」
いやいやいや!笑いながら言われても説得力皆無ですからね?!先輩!!うがーっと声を上げて、どさくさに紛れて彼の腕の中から逃げようと試みたのだけれど、…はい、残念ながら失敗に終わりました。
でもですね、秀一。いくら人の気配がない所とはいえ、此処は喫茶店の駐車場なんですよ。今は停まってる車はシボレーしかないけど、いつ他のお客さんが来るかわかんないでしょ?!こんなとこ赤の他人とはいえ、誰かに見られたら恥ずかしすぎて死ねる…!爆死できるくらいです。なので、いい加減離してくださいって怒りを込めて言葉を発すれば、今度はあっさりと解放された。
さっきまでは離そうとしてなかったクセに…やけにあっさりだな、と秀一の顔を見上げれば、僅かに首を傾げて何だ?と問いかけてきた。問いかけられたけど、素直に言えるはずもなくうーとか、あーとか言葉にならない声を上げていると、不敵に笑った彼は「抱きしめられたままの方が、良かったか?」と、とてつもなく好みである低い声が耳元で聞こえた。
思わずズザザザッと勢い良く後退れば、やっぱり秀一は楽しそうに笑っていて…自分の眉間にグッとシワが寄ったのがわかる。
「また眉間にシワが寄っているぞ」
―――グイグイ
「わっ…だ、だからって押されても眉間のシワ伸びない、」
「やってみないとわからんだろう?」
「いや、わかりますって。というか、誰のせいだと思って…!」
本人は至って真面目な顔で、俺のせいか?とかほざいてくれてますけどね。
「…秀一のバカ」
「そう拗ねるな。コーヒーを奢ってやるから、機嫌を直せ」
「ケーキもつけてくれたら、考えてあげてもいいです」
「はいはい」
笑いながらナチュラルに繋がれた手は、振り払えなかった。