泣きたくなった一日の終わり
ここ最近は至って平穏だ。だったら今のうちに、と昴くんと旅行の話を進めていた。場所は旅行に行こう、と話をしていた時点で伊豆に決まっていたものの…それだけ。ホテルの手配は一切手付かず。というのも、その話をした後にちょっと色んな案件が重なっちゃってねー。旅行の話をしている場合じゃなくなっちゃったんです。昴くんも昴くんで忙しそうにしていたし。
それが落ち着いた頃には、旅行の話なんて頭の片隅に飛んでいってしまっていたんだけど…たまたま寄った本屋で伊豆のガイドブックを目にして、思い出しました。彼の方はバッチリ覚えていたみたいだけどね。
まぁ、そんな事情は置いておくとして。ホテルの手配も済んで、休暇の手続きも滞りなく済ませてある。やるべき仕事はさっさと終わらせて提出済みだし、休暇中は連絡が来てもすぐに駆け付けられないことを理由によっぽどの案件でない限り、連絡はしてこないでほしいとボスやジョディ、キャメルくんに伝言済みだ。直に他の捜査官達にも伝わるだろう。
こっそり秀一にもね、とボスにお願いしてあったりします。あの人はそんな野暮なことはせんよ、と笑っておりましたけれども。そもそも、休暇の話を持ち出してきたのはボスだしね。事前準備は万全、あとは当日を迎えるのみだ―――と、思っていたのだけれど…。
「は?お見合い?!」
それは兄さんからかかってきた電話で、覆されてしまった。
『そうなんだ。是非とも円香に会いたい、と言っている人がいてね…』
「ちょ、ちょっと待って!私、つき合ってる人がいるし…!」
『もちろんそれは私も知っているさ先方にもそう伝えたんだが、…あ、ちょっと有希子!』
「兄さん?どうしたの?」
『もしもし?円香ちゃん?』
兄さんと話していたら、急に相手が義姉さんに変わった。きっとさっきの声は、義姉さんに携帯を取られた時のものなんだろうな…ちょっと焦った声音だったし。
「義姉さん…ねぇ、お見合いってどういうこと?」
『うーん…優作も私も、断ったのよ。円香ちゃんには婚約者がいますから、って』
「うん、さっき兄さんも言ってたわ」
でもね、と続けた義姉さんの声は、普段の元気がないように思えた。珍しく溜息もついているし。言い辛そうに、でも伝えなくては意味がないと思ったのか、彼女は重い口を開いた。
義姉さん曰く、私に会いたいと言っているのは案の定、兄さんの知り合いの方だそうです。うん、まぁそれは何となく予想していましたけれども。そこまではいい、問題はその先。偶然、私の写真を見た知り合いの方は何とまぁ一目惚れをされてしまったらしく…どうしても会いたい、と何度も話を持ち掛けてきたらしいのです。
ちゃんと婚約者がいるから無理だ、と兄さんも義姉さんも何度も断って、説得をしてくれているらしいのだけれど、何というか―――ものすっごく諦めが悪い方みたいなのね?それでも一度会ってほしい、そうすれば自分の良さをわかってもらえる。乗り換えてくれるかもしれない、と。
それにはさすがの兄さんと義姉さんも口をあんぐり開けてしまったらしいわ。あまりの衝撃に。うん、…多分、私も同じような反応をしてしまいそう。という事情で、断りきれずに押し切られてしまったんですって。話を聞いている限り、兄さん達が悪いって感じではないけどー…1つだけ言わせてもらうなら、どうしてそうなった。です。
『あちらがものすっっっっごくやる気でね?もう場所も押さえているらしくて…』
「やる気あり過ぎでしょう。なんだそれ」
『答えはわかっていて敢えて聞くんだけど、円香ちゃん…会ってもらえる?』
本当なら即座にNO!って言ってしまいたい。私は秀一以外の人とおつき合いするつもりも、ましてや結婚するつもりもないんだもの。会ったって無駄としか思えなくて。
そう思ってはいるのだけれど…こんな落ち込んだ義姉さんの声は初めて聞くし、できることなら兄さんの交友関係にむやみにヒビをいれたくはない。いや、その原因を作っているのはあちらの方だし、兄さんはきっぱり断ってくれているのだけれども。
色々考えた結果、私の口から断りをいれてしまうのが手っ取り早いのかもしれないという結論に辿り着く。会いたくは、ないけれども。
「はぁ…義姉さん、兄さんの交友関係にヒビが入るかもしれないけれど構わない?」
『え?』
「気は進まないし、ものすっごい嫌だけど、こうなったら私が直接無理ですって言うしかないかなと思って」
『円香ちゃん…!』
「だけど、私の気持ちは絶対に変わらないし、揺らぐこともない。きっぱり断るから、下手すると交友関係にヒビ入っちゃうわ」
『優作もそれはわかっていると思うわ。…ごめんね、円香ちゃん』
大丈夫、気にしないで。…でも今度、美味しい手料理ごちそうしてね、と試しに言ってみれば、即座にもちろん!といつもの明るい声で返答があった。ふふ、少しは元気が出たみたいで良かったわ。
電話を切る前に聞いた日時は、秀一と旅行に行く前日でまた憂鬱度は増しましたけどね。