前兆


予兆は全くなかった。何となく予想はしていた。だけど、半信半疑だったんだ。
そう…これはもう逆らうことの出来ない、宿命だったんだから―――――





「ユーリ、お茶の準備をした。少し休んでは?」
「わっありがと、ルナ!」
「本当に休憩となるとお前は素早いな。僕の分はあるのか?」
「ちゃんと全員分を用意している。コンラート、手伝ってもらえるか」
「はいはい。このお茶菓子は配っていいのか?」
「頼む、1人1つずつあるから」


穏やかな気候、雲一つない綺麗な青空、心地の良い風。執務さえなければ、我らが主君は中庭にでも出てコンラートと遊んでいるのだろうな。
しかし、残念ながら魔王陛下のサインが必要な書類は山ほどある。
逃げることも出来るだろうが、それを実行すればまた倍の量の書類が溜まっていき、最終的に…グウェンダル閣下の雷が落ちるのだ。
外に出たいのならば、さっさと書類の山を片付けてしまえばいい。


「(この量だと、夕食の時間まで執務室に篭りっきりだなぁ)」

―――…ドクン…ッ

「……っ?」
「?ルナ、ボーッとしてどうした」
「あ…いや、何でもないよ」


淹れ立ての紅茶を皆に配っていると、一瞬だけ鼓動が大きくなった気がした。
けれど、今は何ともない…気のせいだったのか?何ともないなら心配することもないか。
気を取り直してカップを手に取った時、先程以上に鼓動が大きく脈を打った。



―――ガシャンッ…!

「ルナ?」
「すいませ…っ」
「おい、様子がおかしいぞ!」
「どうしました、ルノアーナ!!!」
「う…く…っ!」
「大丈夫か?!しっかりしろ!」


息が出来ない、体中が引き裂かれるように痛い。

だ、れか…たすけて――――

ほぼ無意識で伸ばした手を、誰かの温かくて大きな手が掴んでくれた。その温かさに、飛びかけていた意識が少しだけ浮上する。
息苦しさは消えない、体を駆け回る痛みも弱まるどころかどんどん増していく一方で。


「ルナ!聞こえるか?!」
「コ…ン…ッ」


私の手を掴んでくれたのは、コンラートだった。わずかに残る意識の中、発することが出来たのは彼の名前だけ。
皆の心配する声は聞こえているけれど、その声に対して何も答えることが出来ないんだ。


「っあ……!」
「体が痛むなら俺の服を掴んでろ」
「は…っコ、ン…コン…ッ!」
「大丈夫、此処にいるよ」


コンラートの言葉を聞きながら、私は意識を手放した。





『これは貴方のことを護ってくれるお守りよ。決して外してはダメですからね?』


―――誰…私に優しく話しかけるのは?


『どうして貴方だったのかしらね…?ごめんなさい、ルノアーナ…私達は貴方を護ることができなかった。
許してとは言わない、どうか幸せに…笑顔を絶やさない娘に育ってちょうだいね』


―――涙…?
…あぁ、そうか。これは私達の幼い頃の記憶だ、最近まで忘れていたもの…



―――時ハ満チタ…サァ、我ヲ解放シロ!再ビ、コノ世ヲ手ニイレルノダ―――



「っ?!!」


な、んだ?今のは…夢だったのか?


「…大丈夫か?ルナ」
「コン、ラート…?」
「あぁ」
「此処は私の部屋か…どのくらい眠っていたんだ?」
「かれこれ5日ほど。陛下やギュンターが大騒ぎだった」
「はは…それは大変だな」


まだ頭が起きてないようだ、ボーッとしていてうまく働かない。
体の痛みも消えているが、ずっと眠っていたせいで軋んでいるようだな。動きにくい。

しかし、あの引き裂かれるような痛みは何だったんだ?体を見てみても怪我をしたとか、出血をしている様子もない。原因がわからない。
とにかく息が出来なくて、体中が痛かった…それも突然だ。今まではこんなことなかったというのに、どうしたというんだ?私は。


「眠っている間、ずっと傍にいてくれたのか?」
「何もできないのはわかってたんだけど、心配でね。大丈夫、睡眠は取っていたから」
「すまない、心配をかけたな。もう平気だ」


悲鳴を上げるように軋む体を無理矢理動かして、横たえていた体を起こす。
うわ…汗をかいていて服が体に纏わり付いている。このままでは気持ちが悪い。…面倒だが着替えるとするか。
コンラートには後ろを向いていろとだけ伝え、衣装棚から白のシャツを引っ張り出す。
本当ならばコンラートは外で待たせるべきなんだろうが、私自身は気にする性格ではないしシャツを替えるだけだからな。
後ろさえ向いていてもらえば問題はないだろうというわけだ。


「そうだ、ルナ」
「何だ?」
「目が覚めたら話があると、猊下から伝言だ」
「猊下直々にか…わかった。何処に行けばいいんだ?」
「お前が倒れた後、こちらに来ている。今はユーリの執務室にいるはずだ」
「了解。…行こうか」
「起きたばかりで大丈夫か?」
「問題ない。それに猊下をこれ以上お待たせするのはまずいだろう?」


水を一杯だけ喉に流し込んで、コンラートと共に執務室へと向かった。
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