嫌悪の情
それは、ある朝のこと。朝食を食べ、執務室に向かっていた時のこと。
珍しく朝からバタバタと動いていたフォンクライスト卿に呼び止められた。(暴走してない彼に会うのは、かなり久しぶりな気がする。)
一体、どうしたんだ?
「…私に何か?」
「あ、おはよギュンター」
「おはようございますっ!陛下!今日も麗しい…!」
「はいはい、汁を出す前に本題に入ってくれ」
「扱いが上手くなったな、ルナも」
もうかなり長い時間、この城にいるんだ。
いい加減、色んな部分に適応し始めるわ。嫌でもね。
「ああ、そうでした!私としたことが…ルナ、今日の午後は空いていますか?」
「午後?…陛下の護衛以外は、特に何もなかったはずだが」
「実はですね、貴方に謁見を求める方が…今日の午後にいらっしゃると」
「…私に?またいきなりだな。会うのは構わないが、誰だ?」
「露骨に嫌な顔をしないと約束してくださいね?…ロンギルト卿です」
名前を聞いた途端、自分の眉間にしわが寄るのがよーくわかった。
すまない、フォンクライスト卿。私にはこらえ性というものがなかったらしい。
しかし…またその名を聞くことになるとは思わなかったな。しかも、この短期間で。
「誰?その…ロン、ギルト…?」
「私の知る中で、混血と人間を最も目の敵というか…憎んでいる人物だな。異端を嫌っているんだ、秩序を乱すからという理由で」
「それっ!何かおかしくない?!人間も魔族も、何も変わんないじゃん…」
「…ユーリのような考えを皆が持ってくれれば、誰も傷つかないのにな」
そうすれば、コンラートもヨザックも……あんなに辛い思いなどせずに済んだのに。
「それで、会うのか?ロンギルト卿に」
「恐らく拒否権はないだろ。それに私を訪ねてくる理由も、想像がついている。彼はフォンシュピッツヴェーグ卿の部下だからな…」
ああ、考えるだけで頭が痛い。理由はたやすく想像がつくし、話し合いという名目で来るんだろう。
それはもちろん、構わない。だが、冷静に話が出来るのかと言ったら…多分、返事は否だ。…向こうはかなり攻撃的だから。穏便に事が進むとは思えないんだよなぁ。
かと言って、此処で逃げでもしたら…何を言われるかわかったもんじゃない。私自身のことは、何を言われてもまだ我慢できる(多分、きっと恐らく)。
しかし、ユーリやこの城に住む者のことを言われるのは黙っていられない。殴ってしまう気がする、言われたら。
「大丈夫ですか?ルノアーナ。顔色が優れませんが…やはり、会うのはやめておいた方が」
「いや、会うよ。逃げたら女が廃るし、あとが面倒になる」
「じゃあ、今日は護衛はいいよ!部屋でゆっくり休んでて、お客さんが来るまではさ」
「気持ちは嬉しいけど…執務室にいた方が気分転換になるから、いさせていただきたい」
「でも…」
彼が来るまで自室で悶々としてるのは、はっきり言ってごめんだ。
片付けなければいけない書類もあるし、昼過ぎまでは色々としながら気を紛らわせていたい。
「ユーリ、ここはルナの好きなようにさせてあげては?彼女も具合が悪いわけではなさそうですし」
「ルナが、大丈夫なら…」
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
結局、執務室にいても気が紛れることはなかったんだが…。
午前の執務は滞りなく進み、あっという間に午後に。食後のお茶でもと思った時に、客人が来たと兵士が走りこんできた。
…?何でそんなに息を切らしてるんだ?
「私への客人だろう?確か、応接間に通してほしいとフォンクライスト卿を通して、伝達したはずだが…」
「お待ちくださいっそこは魔王陛下の執務室です!謁見なら応接間に…っ」
「うるさい!私に指図をするな!…失礼するぞ!」
「…ロンギルト卿…」
まさかの事態だ。応接間で話をするつもりだったのに、何故陛下の執務室に突っ込んでくる。
ロンギルト卿の失礼極まりない行為に、思わず溜息が出てしまう。どうやら…かなりご立腹のようだな、彼は。
しかし、このまま此処で話をするのは非常にまずいな。どちらにしろ応接間に移動した方がいいだろう。確実にね。
「フォンクライスト卿、応接間の準備は?」
「朝のうちに準備はできているはずですから、問題ありませんよ」
「ありがとう。ロンギルト卿、私にお話があるのでしょう?」
「そうだ!朝、その旨を書いた白鳩便を貴様宛に出しただろう」
「……ええ、存じています。ですので、応接間に移動してはいただけませんか?此処で話しては、陛下の執務の邪魔になりますので」
「ふんっ忠実な臣下を演じおって…いい機会だ、魔王陛下にも話を聞いていただこうじゃないか」
「ロンギルト卿!陛下には執務が…っ」
「我らの話を聞くのも、大事な執務ではないのか?眞魔国の明暗が分かれるのだからな…」
ユーリにも聞いてもらうの一点張りで、頑なに譲ることをロンギルト卿が拒んだ為、結局全員で応接間に移動した。
「まずは魔王陛下…ごあいさつが遅れました。私の名はロンギルト卿レイブンと申します。以後、お見知り置きを」
「あ、どうもご丁寧に…」
「陛下、日本での返し方になってますよ?」
少しだけ、肩の力が抜けた。多分、ユーリの行動によって。
そしてクスクスと笑うコンラートを見て。
迷惑をかけてしまっているんだが、でもやはり心強いと思うよ。1人ではないということは。
「それで、お話とは何でしょうか?」
「……魔王陛下を暗殺しようとした者を、何の処罰もせずに解放したというのは貴様か?」
「ええ、間違いなく私ですね。調べた結果、捕虜の2人には後ろ盾…つまり、黒幕がいると判明したものですから」
あぁ、やはりその話か。私が何もせずに故郷へ帰してしまったからな、それが許せないんだろう。
この男もフォンシュピッツヴェーグ卿と同じで、権力を得たいが為に動く者だからな。
憶測だが、私のした行為を咎めて陛下に媚を売ろうとしているんだろう。
ユーリ陛下を、自分の思うままに動かせるように…ツェリ様の時と同じように、自分の安定した地位を求めている。
フォンシュピッツヴェーグ卿がまた陛下の摂政という形でつけば、ロンギルト卿の地位も今以上に安定するのだろう。
あとは…
「だからと言って、のこのこと解放してどうするのだ!また魔王陛下を狙わないとも限らない…おまけにその捕虜は混血だったというではないか!何故、そのような汚らわしい輩を野放しにしたっ?!」
捕虜が2人とも、ロンギルト卿の嫌いな混血であったから。
「2人が同じ過ちを犯さないと、そう確信があったもので」
「貴様は昔からそうだ…人間や混血の味方をしていた!誇り高き魔族を侮辱する気か!!!」
「侮辱?とんでもない…私は種族など関係ないと思っているだけです。自分が正しいと思った方に手を貸している、それの何が問題で?」
「魔族としての誇りを棄てる気か…っ!」
魔族としての、誇り?この男は一体、さっきから何を言っている?
ああ…本当に気分が悪い。体の芯からすーっと冷えていく感覚。…そうか、腹が立っているのか。私は。
「貴方が言っている魔族の誇りとは何だ?魔族以外の者を切り捨てるということなのか?」
「当たり前だ!魔族は高貴な種族だ、人間や混血など足元にも及ばないほどに。この世界の頂点に立つべきなのは、我々魔族以外に誰がいるというのだね?」
「…馬鹿馬鹿しい…そんなものが魔族の誇りというのならば、私はいらない。高貴な種族?人間や混血など足元にも及ばない?ふざけるな!」
貴族共のその考えのせいで、どれだけ傷ついた者がいると思っている。
どれだけの命が失われて、奪われたと思っているんだ。
「ふん…今思えば、貴様は元々魔族の誇りなど持ってはいなかったな。アルノルド帰りの魔族になど」
「さっきから聞いていれば、貴様…っ!ルナをアルノルドへ送ったのは―――」
「…ヴォルフラム、いいから黙ってろ」
「……っ」
「お言葉ですが、ロンギルト卿。ルッテンベルク師団に入ったこと、アルノルド戦に参加できたこと、そして…ウェラー卿の部下であったこと。それらは、私にとって最大の誇りです」
そう、あの戦いで失った物は数え切れないけれど。
だけど、参加したことに後悔はない。誇りであると言ったことにも、嘘はない。
「お話は以上ですか?それなら、これで失礼いたします」
「貴様っ逃げるのか!!!『紅眼の悪魔』が!」
「おい、あんた!さっきから何なんだよ?!ルナのことを目の敵にしやがって…っ」
「魔王陛下、何故このような異端の女をお傍に置いているのですか?!この女をお傍に置くことで、この国がどうなるか…」
「ルナは…いや、ルノアーナは立派な人だ。自分の仕事もちゃんとこなして、俺のことも気にかけてくれてる。殺されずに済んだのもルノアーナがいてくれたからなんだよ!あんたはちゃんと彼女のことを見ていないから、どれだけすごい人かわからないんだ。何と言われようと、俺はルノアーナを手放さない。大事な仲間だから」
「…っこの臣下にして、この魔王か!この国が滅びるのも時間のもんだ――――」
気が付いたら、体が勝手に動いていた。
―――バキィッ!!!
ユーリ達の息を飲む声でようやく我に返った。
いつの間にか握ってたらしい拳がじんわりと痛みと熱を持ち、微かに血がついていた。そして足元には、顔を押さえて呻いているロンギルト卿。
あぁ、私は無意識のうちにこの男を殴ったのか。ぼんやりとしている意識の中で、ようやく理解し始めた。
そうだ、私自身のことだけでなく…ユーリのことを貶そうとしたから、つい―――
「こ、の…っ!!!」
転がっていたロンギルト卿が動いたな、と認知したと同時に頬に痛みを感じた。
殴られたとわかった時には、部屋の壁に勢い良く叩きつけられていたんだ。殴られた反動で。
あー…武人だというのに情けないなぁ、私も。全く気がつけなかった。
本来ならば、このくらい避けられなければ護衛と武人、そして諜報員もクビじゃないか。
「ルナッ!」
「ロンギルト卿っ貴様―――」
「手を出すな!フォンビーレフェルト卿!!!」
「っ!!!」
ヴォルフの綺麗な顔が、一瞬驚きを含んで歪んだ。
私のためを思ってこの男を殴ろうとしたんだろう?気持ちは嬉しいがな、お前の手を汚す相手じゃない。
その気持ちだけで私は十分だ。どんなに貶されようと、生きていける。
「…ろしてやる、殺してやる!お前のような異端の存在が、魔王の膝元にいるなど許さんぞ!!!必ずこの手で葬り去ってやる!!!」
苦し紛れのようなロンギルト卿の言葉。
実に馬鹿馬鹿しい…口角が自然に上がっていくのが自分でもわかった。
殴られた時に端が切れたのか、少し痛むけどな。
「どうぞ、ご自由に?殺せるものなら殺してみるがいい…暗殺だろうが、決闘だろうが何でも受けて立ってやる」
こんな所、これ以上いるのはごめんだ。
先程以上に顔を歪めて悔しそうなロンギルト卿、それを呆れ返った瞳で見つめているユーリ達を置いてさっさと応接間を後にした。
しっかし、さすがに痛いな。誰かに殴られるなんていつ以来だろうか。
小さい頃はコンやヨザと取っ組み合いのケンカをしてたし、怒られてダンヒーリー殿に殴られたこともある。
今思えば、あの方は私を女として育てようとはしなかったな…いや、育て方がわからなかっただけか?まぁ、結果からすれば女として育てられなくて良かったと思ってるわけだが。
『紅眼の悪魔!!!』
眼帯にそっと触れてみる。この下に眠るは、右目とは違う色。流れ出る血の色のような…紅い左目。
…遥か昔から語り継がれている御伽噺の主人公のように、私の存在は『異端』とされている。
「あながち、間違いではないか…」
私が異端であることも、悪魔であることも。
この城に住む者達が知らずに私を受け入れてくれてるだけで、本来ならばロンギルト卿の反応が正しいのだろう。
血のように紅い私の目は、誰にも受け入れてはもらえない。気持ち悪がられるだけだ。
コンもヨザもダンヒーリー殿も、すんなりと受け入れてくれていたからそんなこと忘れていた。
きっとこの目を実際に見たら、皆離れていくのだろうな。
…そうしたら、私はまた独りに戻ることになるのか。少し、寂しいな…やはり。
「(この城の者達は、温かくて優しすぎるんだ…特にユーリ陛下は)」
「あっいたいた!ルナーーーーッ!!!」
「っわ…!」
突然聞こえた大きな声。私らしくなく、その声に驚いてしまったではないか…っ!!!
バッと後ろを振り向いてみたら、ぶんぶんと手を振っているユーリと眉間にしわを寄せて怒っているようなヴォルフラム(閣下にそっくりだな、そういう表情をすると)、更にいつも通りのコンラートが走ってきた。
何か急用でもあったのだろうか。てか、ロンギルト卿は…?
「あああ…やっぱり血が出てる!頬も真っ赤に腫れちゃってるじゃんか!とりあえず、冷やさないと。俺の部屋に行こう」
「は?!ちょっ…ユーリ?!!コンラートもヴォルフも黙って見ていないで助けろ!」
「俺はいつでもユーリの味方だから。ルナの味方でもあるけど、今回は…ね」
「ふんっお前が悪いのだから、僕は助けてなんかやらないからな!」
はぁ〜〜〜〜〜っ?!何、わけのわからないこと言ってやがる、魔族似てねぇ兄弟め!!!
3人の意図が読めないまま、私は魔王陛下の自室に連れて行かれることになったのである。