甘やかしたがりと甘え下手?
「なまえ」
「え?…えっ?!」
さあ帰ろう、と駐車場に向かう途中。聞き慣れている声が鼓膜を揺らした。いやいや、そんなわけないだろうこんな所にいるわけがないでしょうあはは、と視線を向けると…私の予想通り、秀一がいました。
もうかなり遅い時間だ、そしてこの辺りは遅くなればなる程に人通りが少なくなる場所ではあるのだけれど。だからって安易に変装ナシで現れていいわけがないでしょうがっ!
内心、冷や汗ダラダラで秀一を車に押し込んだ。くつくつと楽しそうに笑みを零している彼は、えらく大胆だな?とかバカなことを言ってらっしゃいますけどね!!
「〜〜〜バカ?!貴方、切れ者のクセにバカなんですか?!」
「ひどい言い草だな、だからちゃんとキャップをかぶってきているだろう」
確かに以前使った赤のキャップを被っているし、服は見たことがあるけど秀一の趣味ではないものだから…沖矢くんのものなのだろう。パッと見では多分、赤井秀一だとは気づきにくそうではあるが。けれど私はそれでも心配で仕方ないんだってば!本人は大分あっけらかんとしているけれども、結構危ない橋を渡ってるってわかってるのかなぁ。
思わずはぁ、と溜息を吐けば、くしゃりと頭を撫でられる。…そんなのでご機嫌取ろうとしたって無理ですからね。私は怒ってるんです!
(…とは言うものの、顔は緩んでいくものなんだなぁ…)
まだバカだ、と思ってはいるものの、撫でられる感触が少しずつささくれだった心を解いていくようで…あっという間に機嫌を直してしまった自分に苦笑してしまう。うん、でも仕方ない。私はこの人に滅法弱いのだ。それに抗おうとしたって、それは無駄なことなんだろう。
「そこまで怒られるとは予想していなかった」
「予想してくださいよ…!」
「すまん。…最近、疲れた顔をしていただろう?だから迎えを、と思ったんだがな」
いや、正直めちゃくちゃ嬉しいです喜んでます!建前上、怒りましたけど!!というか、怒ってるのも事実なんですけどそれ以上に喜んでますから大丈夫です。…言わないけど。
「…ありがとう、ございます」
「いや、構わんよ。俺がしたくてやっていることだ。…明日の予定は?」
「休みを取らされました。半ば無理矢理」
「お前もなかなかのワーカーホリックだからな…車、出すぞ」
「はぁい」
せっかくだしドライブとか行きたいな、と呟いてみれば、それよりも体を休めることを優先しろと一刀両断されました。なんだよこの野郎。
「その誘いは魅力的だが、まずは食事をして寝ろ。出かけたいなら明日、存分につき合ってやるから」
「んー…だって明日にはまた、沖矢くんの姿でしょう?」
動き出した車の振動が心地良い。うつらうつらとする意識の中で言ってしまった言葉は無意識で、でも心の底からの本音だった。
決して沖矢くんが嫌いというわけではない。顔だって好みだし、あの声だって秀一のものとは全く違うけど好みだと思う。だからといって、全てを委ねられるかと言われたら…それはまた別の話だと思うのよね。
いくら変装しているだけで同一人物だ、とわかっていても、どうしたって求めてしまうのは『沖矢昴』ではなく『赤井秀一』なのだ。こんなこと言ったら困らせるというのは、ちゃんと理解しているんだけどなぁ。半分夢の世界に飛んでいる状態では、気を遣うことはできないらしい。
「…すまんな、なまえ」
するり、と頬を撫でられる感触を最後に、私は意識を手離した。
「…い、」
ん…?声が、聞こえる。
「おい、なまえ。起きろ」
誰か、…心地良いテノールで、名前を呼んでる。
―――むぎゅっ
「起きろと言っているだろう、バカ」
「いったたたたた?!」
「ようやく起きたか…何度呼ばせるつもりだ」
…いい夢を見ていたような気がするんだけど、痛さで全て飛んでいきました。何も思いっきり、しかも両頬を抓ることないじゃないか!ほんっと容赦ない、ドSだ。
むう、と頬を膨らませれば、それを潰すように顔を掴まれて「マヌケ」と笑われた。〜〜〜言っておきますけどね?!そのマヌケな顔にさせたのは、紛うことなき貴方ですからね?!それわかって言ってますか!!
「甘やかしてくれるのかと思ったのに…」
「そのつもりでいるんだが?」
「行動が伴ってない!!」
「わかっていないな…中に入らんと、思いっきり甘やかしてやれんだろう?」
ほら、手を出せ。
しれっと言いやがるなこの野郎…!助手席のドアを開けられて、手を出せとか…そんなのときめかないはずがないじゃない。いじめてくるかと思えば、すぐに甘やかされて。この人は無意識に飴と鞭を使い分けているから、尚更質が悪いんだ。意識的に使い分けられても質が悪いけどさ。
うだうだ考え込んでいても仕方がない、大人しく差し出された手を掴めば、そのままの勢いで抱き上げられてしまいました。急すぎて驚きの声すら上げられませんでしたが何か?!
「ひとまず風呂だな。勝手にクローゼットを開けても構わんか?」
「貴方、何度も開けてるでしょ…今更ですよ」
「ク、それもそうか…なら、先に風呂へ行っていろ。着替えは持っていってやる」
玄関で下ろされ、彼はさっさと階段を上がって2階へ。ぽつん、と取り残されてしまったけれど…うん、とりあえずお風呂に行こうか。
明日は休みだし、スーツはもう1着あるし、ということで雑に脱ぎ捨ててちゃぷん、と湯船に浸かる。何というか、準備万端だなぁ…きっと夕食の準備まで全て済ませて、それから迎えに来てくれたのだろう。何とできた彼氏なのか。
時間がそうさせたのか、それとも沖矢くんという偽りの人格のせいかはわからないけれど、秀一は昔と比べて格段に過保護というか…世話焼きになったと思う。
(甘やかされているってこういうことなのかなぁ…)
普段から割と(仕事以外では)甘やかされている自覚はあるけど、ここまでされたことはないかも。たまーに車から降りる時にエスコートされるけど、それは毎回じゃないし。それこそ沖矢くんの姿の時はそんなこと、されたことないんじゃないだろうか。比較的、紳士だとは思うけれど。
そんなことを考えながらボーッとしていると、不意にバスルームの扉が開いた。ギョッとして視線を上げると、服は着ているけれどシャツの袖とパンツの裾を捲り上げた秀一がいまして。え、何してんの?
「しゅ、秀一…?」
「なんだ?」
「えっと、…何をしようとしてるんです?」
「洗ってやろうと思ってな」
やっぱりか!!ニヤリと口角を上げた彼を見て、心の中で大絶叫。いいです、自分で洗えます!と叫んだ所で諦めてくれるような人ではなく、結局は私が折れる形になりましたとさ。
そして隅々まで洗われた後、今は洗面所で髪を乾かして頂いております。
「腹は空いてるか?」
「空いてますけど、…眠い」
「やれやれ…今日はもう寝るか、その様子では食事をするのも難しいだろう」
髪を梳かれる感触が気持ち良くて、うっとりと目を閉じる。うー…このまま寝てしまいたいくらいには、瞼が重いなぁ。
カチッとスイッチが切られる音が遠くで聞こえて、次の瞬間には頬をペチペチと叩かれる。重い瞼を必死に開ければ、鏡越しに苦笑している秀一と目が合った。
「しゅーいち…」
「ほら、ベッドまで運んでやるから首に腕回せ」
「んん、…」
ぎゅうっと抱きつけば、ふわりと体が浮いた。あ、お姫様抱っこされるの今日は2回目だ…ほとんど回っていない思考回路はそんなどうでもいいことを考えてしまう。
バスルームから部屋まではそう遠くはない、抱き上げられた体はすぐにベッドへと下ろされてしまった。もう少しくっついていたかったのにな、と残念に思ったけれど、それを口に出す気力も、行動に移す元気も残っていません。持ち上げようとした手も、力なくぽすんとベッドへと逆戻り。
もう少しで眠ってしまいそう、と思っていた時、衣擦れの音が聞こえて薄らと目を開けた。何かと思えば、いつの間にか部屋着に着替えていた秀一がベッドに入り込んできていたみたい。
ああ、さっきの衣擦れの音はこれか…そつない仕草で私の頭の下に腕を滑り込ませた彼は、フッと笑みを浮かべて髪を梳く。んもう…宣言通り、今日は本当にとことん甘やかしてくれるようだ。
「眠いんだろう?もう寝ろ。…ここにいるから」
「ん、約束ですよ…?寝てる間にいなくなるとか、ナシですからね…?」
彼の服を緩く掴んで擦り寄れば、微かに秀一の体が揺れたような気がした。
「…寝惚けながらも煽るのはやめろ、なまえ」
抱きたくなるだろう、と呟きながら落とされたキスは、ひどく甘い。
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