予約の指輪

赤井さんはモテる。それはもうめちゃくちゃ、同じ男ならハンカチを噛みしめて嫉妬するくらいにモテる。時々、男女問わずになるくらいだ。
別にいいんだ、つき合っているのは私だけ(らしい)し、浮気もしていない(らしい)ので。遥か遠くの地で暮らしていようとも、なかなか会う機会がなくとも、赤井さんのことを信じているので大丈夫―――だと思いたい、というのも本音。けれどその反面、さっきも言ったけど遥か遠く…アメリカには私より魅力的な女性がわんさかいる。どれだけ頑張っても敵わないであろう女性が、ね。

(それも全て承知の上で、つき合っていたつもりだったんだけどなぁ…)

たっぷりのミルクを注いだミルクティーをかき混ぜれば、氷がカランッと涼し気な音を立てる。私の心も、あの人を好きな想いも全てこの氷みたいに溶けてなくなっちゃえばいいのに。
ふ、と息を吐いて程良く冷えたそれを少しずつ飲み下す。半分ほど飲み終えた所でストローから口を離したけど、胸の内に芽生えたモヤモヤはそう簡単に消えてくれそうもなかった。


「うあー…」
「ずいぶんと落ち込んでるな、珍しい」
「んー?うん、そうかも」


向かい側に座っていた工藤くんが手元の小説から視線を上げ、コーヒーを飲みながらそう口にした。デート?違う違う、コイツ赤井さんと知り合いだから時々お茶して話を聞いてもらってるの。知っている人の方が話をしやすいじゃない?
友達だとあの人と会ったことないから、まずそこから説明しなくちゃいけないし…多分、相談とか肝心の話に触れるまで大分時間がかかると思うんだよね。それはちょっと面倒だし、根掘り葉掘り聞かれるのはあんまり好きじゃないんです。
あ、話がズレた。それで今日、私が工藤くんとお茶をしているのは…愚痴をね、聞いてもらいたくて。相談ではなくて愚痴です、もう一度言いましょう。愚痴です!!

実は3日前くらい、かな?講義が終わって街を歩いてたら、偶然にも赤井さんを見かけたの。日本に来る、っていうのは連絡もらってたし、その日も用事があるから会えない旨はあらかじめ聞いてました。決して日本に来ることを知らなかったわけじゃないし、それでショックを受けてたわけではないのである。
では、何にショックを受けて工藤くんを呼び出したか、と言いますと…赤井さんってば金髪の超絶美人さんと歩いてたの!!私より確実にスタイル良かったし、美人だし、足も細くて綺麗だったし、その後に自分の体と顔を鏡で見て絶句&絶望した私の気持ちを述べて頂きたいです。いや、冗談抜きで。


「…お前、面白おかしく話してるけど相当キテるだろ」
「さっすが工藤くんだね…ご名答〜」
「しっかし赤井さんがみょうじ以外の女性と、ねぇ…」
「それもアクセサリーショップに消えていったんだよ!こんなのってないよぉ…」


私とあの人は、まだつき合っているはずだ。他につき合っている人はいない、浮気もしていないという言葉を信じていたのに…こんな裏切りってない。


「やっぱり…大学生なんてがきんちょより、成人した大人の女性の方が好きなのかなぁ」
「歳の差、気にしてたのか?」
「するに決まってるじゃん。だって10以上も離れてるんだよ?そりゃあ不安にもなるじゃん」


せめて赤井さんが日本に住んでくれていたら、ここまで悩まなかっただろうし、気にもしなかったと思う。…いや、きっとちょっとは気にするかもしれないけど、同じ国にいる分、今より不安材料は絶対に少ない。
だけど、私達は1万キロも離れた場所で暮らしている。今回の帰国だって半年ぶりだったのに、それなのに用事があるって嘘をついてまで他の女性(それも金髪美人の外人さん!)と会わなくたっていいじゃない。

告白された時―――…私がいいんだ、と珍しく優しい笑顔を見せてくれたのに、その言葉と笑顔は何だったんだろうか。

嘘だった、なんて思いたくないくらいに幸せな時間をもらったと思うけど…あの人にとっての私はどんな存在だったのかな。もしかしなくても、本命を口説き落とせるまでの繋ぎだったとか?
ああダメだ、考えれば考える程にドツボにハマっていくような気がする。じわじわと目に溜まっていく涙を見て見ぬフリをして、テーブルに突っ伏した。工藤くんの溜息が聞こえたような気がしたけど、確認する元気なんてない。


「みょうじ、あと10分この店から出るなよ」
「……は?」


10分お店から出るな、って…なに?外で事件でも起きてるの?工藤くんって事件ホイホイだって聞くし。でもそう言った当の本人は立ち上がる気配もないし、閉じていた本(恐らく推理小説)を開いて読書を再開させたのだ。それはつまり、10分後まで工藤くんもそこに座ったままだということなわけで。
…尚更、意味がわからない。もしかして私達共通の友人でも来るの?共通って言っても、蘭ちゃんと園子ちゃんと真純くんくらいしかいないけどさ。あとあむ、じゃない、降谷さんも共通の知り合いだけど友人ではない。そもそもFBIと公安に知り合いが1人でもいること自体おかしいことなんだけれども。

なんて、どうでもいいことを考えていないと一気に気持ちが急降下してしまいそうで。唯一の話し相手である工藤くんは読書に夢中で、こっちには見向きもしない。私は仕方なく氷が溶けて薄くなったミルクティーを啜った。


「…私も赤井さんと同い年だったら良かったのに」
「歳の差を気にしているのが、自分だけだと思ったか?」


突然聞こえた声に体がわかりやすく、ビシッと固まった。怖くて後ろを振り向けない、でもそれはきっと怖いだけじゃない。真実を突きつけられたくないという、そんな思いもあると思う。まぁ、それも怖いってことと変わりないんだけど。意味合いは違うけど、表現する言葉は同じだ。


「早かったね、赤井さん」
「あんなメールがきたら急ぐに決まっている。…悪いな、ボウヤ。コイツは返してもらう」
「ええ、どうぞ。俺もそろそろ待ち人が来る時間なんで」
「そうか。行くぞ、なまえ」
「え、ちょ赤井さっ…!工藤くん助けて!!」


読みかけの本に視線を落とそうとしていた工藤くんに手を伸ばしてみたが、彼は楽しそうに笑ってひらりと片手を振っただけだった。





「ねっねぇ何処に行くの?!というか、私、赤井さんに会いたくなかった…っ!」


離して、と言いかけた言葉は音にならなかった。人通りの多い場所で思いっきり抱きしめられてしまったから、驚きで何ひとつ出てこない。心臓はバクバクいってるし、何かものすっごく恥ずかしいし、でも赤井さんは私を抱きしめたまま動いてくれないし!
急速に動きが低下した脳は、また急速に動き始めて、シャットダウンされていた辺りの音が耳に届く。それがまた恥ずかしさを助長させていっているのに、アメリカ育ちのこの人は慣れているのか何なのか知らないけど全く動揺していないような気がする。


「会いたくなかった、なんて…言わないでくれないか」
「え…?」
「なまえにそんなことを言われると、どうしたらいいかわからなくなる」


いまだぎゅっと抱きしめたまま、赤井さんは大げさな溜息を吐いた。でも声は僅かに震えていて、…傷つけてしまったのかなと思ってしまう。そりゃあそうだ、私だって赤井さんに「会いたくなかった」なんて言われてしまったら、泣きそうになるくらいに悲しいし、胸が痛くなる。それはきっと、赤井さんだって同じなんだ。

(いつだって私ばかり、と思っていたけど…)

もしかしたらそうじゃなかった?赤井さんも、私と同じように感じていたの?淋しいとか、会いたいとか、辛いとか…そんな風に思ってくれてた?
いつだって飄々としてて、余裕綽々って感じで、何をされても動揺しなさそうな人に見えたけど、そんなに完璧な人じゃなかったのかな?私が勝手に『余裕な大人の男性』って思っていただけなのかもしれない。


「…赤井さん、は…浮気、してるの?」
「していない。…ボウヤから話は聞いた…俺の話を、聞いてくれるか?」


ゆっくり頷けば、ようやく離れた赤井さんに手を引かれ人ごみに紛れ込んだ。
今度は何処に行くの、なんて口にしなかった。いや、できなかった…っていう方が正しいのかも。何か口にしちゃいけないような、気がしちゃって。
黙ったままついていくと、辿り着いたのは駐車場。一般的な国産の車が並ぶ中、一際目立つ赤井さんの愛車―――マスタング。外車だから、っていうのももちろんあるんだけど、何より目立つのは色だと思う。その赤は、何よりも目を引かれるものがある。


「3日前、街中で俺を見たんだな?」
「うん、…金髪美人の外国人と一緒にいる所を」
「…入った店は?」
「アクセサリーショップ…というか、ジュエリーショップだよね?」


だからこそ、私は強いショックを受けた。高そうなジュエリーショップで買うものなんて、相場は決まっているから。


「別にね、いいんだ…私なんかよりずっと魅力的な人だったし」
「……」
「仕方ないって思う、けど…でもやっぱり悔しいし、何より嘘つかれたのが一番―――っ、ン」


言葉を紡いでいる最中に、無理矢理に引き寄せられて唇を塞がれた。噛みつくような、と比喩されることは多いけれど、言葉のまんま噛みつかれるとは思わなかった。じくり、と痛む唇に自然と眉間にシワが寄るけれど、赤井さんはそれがどうしたと言わんばかりにキスを深くして、口内を舌が好き勝手に蹂躙していく。
最後に血が滲んでいるであろうそこをぺろり、と一舐めして離れていった。当然、こっちはついていくのに必死で肩で息をしている状態。


「いくら君でもそれ以上、自分を卑下すると言うのなら…許さんぞ」
「ッ、」
「わかりにくいことは自覚しているが、これでも本当に君を愛しているんだよ。なまえ」


ツ、と赤井さんの親指が唇に触れる。一瞬だけ痛みが走ったから、恐らくさっき噛まれた場所に触れたんだと思う。


「あの時の、女の人…」
「職場の同僚だ、ジョディという。昔、つき合っていたが…今は何もない。本当だ」
「なにもないって言うなら何であんな場所っ…!」


赤井さんが罰の悪そうな顔で、頭をガリガリと掻く。こんなつもりじゃなかったんだがな、とか言いながらジャケットの内ポケットから取り出したのは小さな箱。小さいけど、でも高級な指輪が入っているような…そんな箱だと思う。きっと私が赤井さんを見かけた日、あのジュエリーショップで購入したものなんだろうな。
一緒にいた女性とは何もない、と言ってくれたけど、まだあのお店に行った理由を聞いていないもの。それを聞くまでは安心できないような気がしているんだ。自分でも何故かわからないけれど。


「本当はなまえが大学を卒業するまで言わないつもりだったんだが―――」


綺麗な所作で私の左手を持ち上げた彼。流れるように薬指に嵌められたのは、光を放つシルバーリング。


「ゆ、びわ…?」
「女ものには疎くてな、ジョディに選ぶのをつき合ってもらっていたんだ。…だが、逆に不安にさせてしまったな。すまない」
「うそ、」
「10も歳が離れているんだ。どうしたって繋ぎ止めておきたくなるだろう?」


結婚しよう、なまえ。
囁かれた言葉に私の目から、一粒の涙が零れ落ちた。
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