大切なものをひとつ、ふたつ
ふとカレンダーを見て、2ヶ月くらい生理がきていないことに気がついた。その瞬間、一気に血の気が引いたよね…職業柄、生活が不規則なせいか元から遅れることは多かったけどさすがに数ヶ月遅れるってことはなかったもの。
何か病気って線もある、あるんだけど…それよりも確実な原因に心当たりがあって思わず苦笑が漏れたのは記憶に新しい。そして病院で検査を受けた結果、陽性だった。うん、やっぱりそうですよねーと思ってしまったのは言うまでもないです。
その結果自体を嫌だと思いはしなかったけど、不安だとは感じたの。秀一がどう思うのかな、って。まぁ、子供を作りたくないと思っていたらちゃんと避妊しているだろうし、結婚してから避妊具を使う回数が減っていたということはつまりそういうことなんだと思うんだけれども。
でも言葉できちんと聞いたわけでもないし、不安にはなるでしょう?どうしたって。どう伝えたらいいんだろう、堕ろせと言われたら離婚すればいいのかなとか色々考えながら帰ったんだけど、…帰った瞬間に優しい笑顔でおかえり、って言われて、何かホッとしてそのままの勢いでポロッと口にしちゃったんだ。
(あの時の秀一の顔、珍しすぎて思わず笑っちゃったんだっけ)
ふ、と吐息を零して笑う。そうして視線を下ろせば、さっき産まれたばかりの我が子がスヤスヤと寝息を立てているのが見えて余計に笑みが濃くなるのが自分でもわかる。
私が今いるのは病院だから、もちろん騒ぐ人なんていないから静かなんだけど…ドアで隔てられた向こう側からバタバタ走る音と、「走らないでください!」と叫ぶ看護師さんの声が聞こえてきた。ああうん、これはもしかしてもしかするかも…?
―――ガラッ
「ッなまえ!」
「なまえさん!!」
「…君が来るのは予想外だったよ、新くん」
「あとで父さんと母さんも来るぞ」
あ、やっぱり来ちゃいますか。兄さんと義姉さん。産まれたら連絡してね、と念押しされてはいたけれどもさ。
まぁ、それはともかく…
「なんて顔をしているんですか、秀一」
いつもの余裕綽々な顔はどこへいったのかわからなくなる程、彼の顔は情けない感じになっていた。完璧超人だの鉄人だの言われているけれど、この人だって人間だ。だから、私は今みたいに普段の表情が崩れる瞬間が割と好きだったりする。意外と表情豊かなのよ?秀一って。
子供を片手で支え、空いた手を秀一の頬に伸ばせばすり、と擦り寄ってきた。新くんがすぐそこにいるけれど、さすがに見慣れたのかびっくりする素振りも、慌てる様子もない。ふっつーにしてる。
「無事に、産まれたのか」
「はい、母子共に健康だそうです。女の子ですよ」
頬に触れていた手を離し、秀一と新くんにちゃんと顔が見えるように抱き上げる。
「うわ、ちっせぇ…!」
「でもすぐに大きくなるわよ。子供の成長って早いらしいから」
新くんのアルバムを見ると、つくづくそう思う。この前までまだ歩けなかったのに、その数ヶ月後にはつかまり立ちが出来るようになったとか、単語しか話せなかったのに文章で話すようになったとか…そんな話もよく聞いていたし。この子だってまだまだ小さいけど、新くんが次に会う時にはビックリするくらい成長していると思うのよねぇ。会う度にビックリするんじゃないかな?うん。
ふふ、と笑みを零しながら視線を上げると、今までで一番なんじゃないかってくらいに穏やかな笑みを浮かべた秀一が、我が子の頬にそっと触れていた。その感触で目を覚ましたのか、ゆっくりと目を開けて「あー」と声を漏らしながら、彼の指をキュッと握り込む。自分のパパだ、って認識しているのかしら?
「ほら、君のパパですよー」
「ッ…」
「っわ、秀一…?!」
我が子に握られた指はそのままに、秀一は私達をまとめて抱きしめた。僅かに彼の体が震えているような気がして、もしかしたら泣いているのかも。
どんな理由で泣いているのかは本人にしかわからないけれど、きっと悲しいものではないだろう。この人にとっては初めてかもしれない嬉し涙ならいい、とそう思う。
「ありがとう、…なまえ」
「…こちらこそありがとう、秀一」
気を利かせてくれたのか、そっと出て行った新くんに心の中でお礼を述べて―――もう少しだけ、この温かい幸せに浸らせてもらうことにした。
(あら?新ちゃん、そんな所で何してるの?)
(…邪魔者は退散してようかと思って)
(まだ産まれたばかりだったね、嬉しくて飛んできてしまったが…有希子、新一。少し時間を潰してこよう)
(あっちにベンチと自販機あったぞ)
(なまえちゃんと赤ちゃんに早く会いたかったけど、そうよね。今は家族水入らずの方がいいわよね)
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