ズルイというのは、
閻魔大王様の補佐官を務めているのは、鬼神・鬼灯様だ。仕事に関しては殊更鬼のようで(比喩でもなく、本当にあの方は鬼だけど)、とてもとても厳しい方だ。笑っていらっしゃる所なんて見たことがないし、告白されてもバッサリお断りしているのをよく見る。
それでも見目麗しく、それでいて誠実な所も持ち合わせていらっしゃるので―――それはもうモテるんですよね。うん。とにかく私が持つあの方の印象は、『怖い』。これにつきるのです。
(…とはいえ、私は下っ端も下っ端なので鬼灯様に関わることなんてないのだけれど)
いつだって遠くから仕事をしていらっしゃるのを見ているだけ。新人の頃は配属先が決まるまで鬼灯様に色々なことを習っていたものの、それももう数えるのも面倒になるくらい昔のこと。立派―――かどうかはわからないけれど―――な極卒となった今では、視察で来られる鬼灯様をたまーにお見掛けする程度だ。
そしてあちらはきっと私のことなど覚えていらっしゃらないだろう。新人時代は鬼灯様によく怒られていたけれど、それでもあの方の記憶には欠片ほども残っていないと断言できる。それだけ薄いのだ。私の印象というものは。
「思ったより遅くなってしまった…」
終業時間を大幅に超えた時間に、私は閻魔庁の廊下を歩いていた。いくつかの提出書類を持って。とはいえ、鬼灯様ももう終業時間を迎えているはずだよね…残業がデフォの方とはいえ、まだいらっしゃるのだろうか。まぁ、いなかったらまた明日出直せばいい。終わったから提出しに来ただけであって、今日が期限の書類ではないから。
だから今持っていく必要性だってないのだけれど、何となく。本当に何となく提出しに行くか、と思ってしまい、今に至る。気まぐれってやつだよね。
ええっと、補佐官室は…っと、キョロキョロしていたら、ドカーンッとでっかい音と共に人が吹っ飛んでいった。あ、いや、人じゃないか。ここ地獄だから十中八九、鬼だ。というか、吹っ飛んでったけど大丈夫なのかな…そしてあの煙が出ている場所は、恐らくというか確実に私が行こうとしていた補佐官室…ですよね。
もしかしなくても鬼灯様の機嫌は最っ悪なのか。ああ、運が悪い。やっぱり明日にすれば良かった。
「は、白澤さまあああぁあああ?!」
「…はくたく?」
はくたく、はくたく……ああ、神獣・白澤様!天国で薬屋さんを開いている御方だ。そういえば、閻魔庁からの依頼で薬を作ったりしてるって聞いたことあったっけ。そしてあの追いかけて行った人は、お弟子さんだな。薬を買いに行くと丁寧に接客してくれる、桃太郎さん。
2人で配達にでも来てたのかな。…鬼灯様の機嫌が悪いというか、白澤様が来ていらっしゃったからこういうことになったんだな。仲が悪いって話だからな〜あの御方達。うん、よし帰ろう。提出書類を抱え直して踵を返した所で、思いっきり引っ張られた。襟元を。
「ぐえっ?!」
「まるでカエルが潰れたような声を出しますね、貴方」
「ゲホッ…鬼灯様が襟元を引っ張られたからだと思いますが…?!」
「おや、それは失礼。貴方、私に用事があって来たのでしょう?」
「え、あ、……そうなんですけど」
襟元からパッと手を離した鬼灯様はいらっしゃい、とだけ言って、補佐官室へと戻っていく。ええっと、それはつまり私も行かなくちゃいけないということですよね…?帰ったら帰ったで大変なことになる。
それにせっかくお声をかけてもらったのだし、提出していってしまおう。深呼吸をひとつ。まるで戦地へ赴くような心持で、私は室内へと足を踏み入れた。
「うおお、荒れていらっしゃる…?!」
「気にしないでください。書類を持ってきたのでしょう?寄こしなさい」
「あ、はい。お願いします」
慌てて書類を差し出せば、男らしくも長い指がそれを攫っていく。そして真剣な顔で目を通していく様を、思わずじっと見つめてしまう。
何だか変な感じだ…目の前に鬼灯様が、いらっしゃるなんて。いつもは少し離れた所から見ていたから、ここまで近い場所で見るなんてそれこそ新人の頃以来だろう。妙に緊張してしまう。いや、鬼灯様はいつだって独特なオーラを纏っていらっしゃるから、緊張しないことなんてないんだけれど!
「不備はありません。確かに受け取りました」
「ありがとうございます」
「……なまえさんの書類は、いつも読みやすくて助かります」
「は……?」
「?なんですか、呆けた顔をして」
こてん、と傾げられた首。訝し気な表情と声。
それでも私はあんぐりと開いてしまった口を、閉じることができずにいた。え、だって今鬼灯様が私の名前を呼んだ―――?!
「いい加減、口を閉じなさい!」
「ぁいった?!」
突然立ち上がったかと思えば、ビシッと私の頭にチョップを落とされました。あまりの痛さに叫んでしまったんですが…?!けれど鬼灯様は悪びれた様子もなく、ブスッとした表情で腕を組んでこちらを見下ろしている。
おおう、ものすっごい威圧感です!ごめんなさい!!でも私が悪いんですか?!確かにマヌケ面を晒してはいましたけれども!!謝る筋合いなどない、と思いつつも、威圧感に押されに押された私は…
「も、申し訳ありませんでした…?」
疑問符付きの謝罪を口にした。
「全く…女性が大口を開けるものじゃありませんよ」
「いや、まさか鬼灯様が私の名前を知っていらっしゃるとは思わなかったので…つい」
「何を言っているんです?貴方、新人の頃に私の指導を受けていたでしょう」
「受けてましたけど、大勢の中の一人じゃないですか」
「名前は全員覚えています。特に貴方は失敗ばかりだったので、忘れるはずがありませんね」
前言撤回。私の印象、薄くなかった。しかも一番、嫌な記憶の残り方をしていました!
うわー、泣きたい。
「それはもう…忘れて頂けないデスカ」
「あれだけの失敗を繰り返す鬼を、私は見たことがないので」
「うっ」
「…ですが、ちゃんと成長していますよ」
「へ?」
「書類や報告書を一番綺麗に、且つわかりやすくまとめてくれているのはなまえさんですから」
ポン、と頭に何かが触れ、視線を上げると―――そこには薄らと笑みを浮かべた鬼灯様がいらっしゃって。ブワッと全身の体温が上がったような気がした。
飴と鞭、とはよく言うが、鬼灯様のこれは正にソレだと思う。ズルイというのは、この御方のようなことを言うのだ。絶対。
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