いつまでも待つと決めたのです

ふわり、と感じる煙草の香り。それは大分前に長安を旅立っていったあの人と同じ煙草の香りで、だからこそ反応してしまったのかもしれない。あの人が帰ってきたのかも、って。
勢い良く振り返ってみれば、そこにいるのは顔も知らない男の人。あの人とは似ても似つかなくて、同じなのは本当に煙草の香りだけだ。

…バカみたい。いつ帰ってくるかもわからない、無事に戻ってこれる保証もない旅に出て行った彼を―――こんなにも一途に、待ち続けているなんて。

忘れてしまえばいい。忘れてまた、違う人と恋をすればいい。本当はそれが一番いいことなんだと、私自身よくわかってるんだ。でもそれができないのはやっぱり、私にはあの人しかいないと思ってしまっているから。どんなにカッコいい人を見ても、優しい人に出会っても、あの人以上に素敵な人はいないって思ってしまっているからなんだろうなぁ。
思い返してみてもどこがいいの、って言いたくなるくらいに横暴で、俺様な人だったけれどね。それでも好きになっちゃったんだから、どうしようもないよなぁ本当に。

『明日、長安を発つ』

最後の最後まで言わないでいる気だった、と前置きして告げられたのは、衝撃的な一言。とある命を受けて西へ行く、と淡々と告げるあの人に、私は何も言い返すことができなかったのよね。
普通ならどうしてもっと早く言ってくれなかったの、とか、私も連れて行って、とか言うのかもしれないけど…彼のあんな表情見ちゃったら、何も言えなくなっちゃうよ。だって、いつだって仏頂面なのにその時だけ…グッと眉間にシワを寄せて辛そうな表情をしてたんだもん。
その表情を見て、もしかしたら彼も私に打ち明けるの辛かったのかな、淋しいって思ってくれてるのかなって思っちゃったら―――どうしようもなくなっちゃうじゃない。


「待ってろって言われたわけじゃないけど…忘れることもできないんだよ?三蔵」


不器用なりに好きだと伝えてくれたから。苦手なのに不安にさせまいと努力をしてくれたから、だから私も精一杯好きだって、愛してるって伝えようって思えたの。ねぇ、まだ伝え足りないの、もっともっと好きだって言葉にしたいし、態度でも貴方に伝えたい。誰も貴方には敵わないんだよ、って伝えたいと何度思っただろう。
どうせなら待っていろ、と縛られたかったなぁとか考えていたら、カタン、と小さな音がした。音がしたのは玄関。何だろう?と思って行ってみれば、ドアについている郵便受けに一通の手紙が投函されていたのです。手紙なんて滅多に来ないのに、…一体、誰だろう?
手紙を取り出してみると、とても綺麗な字で私の名前が書かれていた。差出人の名前は、ない。…けど、私には根拠のない自信があったんだ、この手紙の差出人は絶対に三蔵だって。

急いでペーパーナイフで封筒を切って、封を開けた。入っていたのは便箋一枚と、淡い桃色の花。それは私が好きだ、と零したことがある花―――桜、だった。きっと花弁が散らず、そのまま枝から落ちてしまったのだろう。それを拾う三蔵、という映像を思い浮かべるととてもおかしいけれど、でもとても可愛らしくて、愛おしかった。私の為にしてくれているんだ、と思うと、尚更その気持ちは募るばかりで。
じわり、と滲む涙には気づかないフリをして、カサカサと便箋を開いた。そこに書かれていたのは数行の言葉。手紙とは言い難いそれに思わず苦笑が浮かぶけれど、同時に止めどなく涙が溢れてきた。


「三蔵のバカ…!こんなの、泣くに決まってるじゃないっ…」


泣くのはこれで最後、明日からはまたちゃんと笑うから。貴方が好きだ、と言ってくれた笑顔で過ごしていくから。だから、…今日だけは泣かせて?
ひとしきり泣いて、泣くだけ泣いて、私は乱暴に目を擦った。もう涙は、零れてこなかった。



―――なまえ。

必ず帰る。だから、



そこで待っていろ。

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