貴方を酔わせて
基本、私達が泊まるのはそこまで大きな宿ではありません。というか、行く先々にそう大きな宿がない、というのが正しいのですが。ですが、今回は山越えが続いた先の街―――とても栄えた所で、泊まることになった宿も豪華で大きい所。それなのに料金はそこまで高くないというのですから、もう驚くしかありませんよね。
まぁ、残念ながら個室は取ることができなかったので、5人一緒の大部屋になってしまっていますけど。私は皆さんが揃うと楽しいので、別段気にはしていないのですけれど。
「あれ?悟浄くんと三蔵様は?」
大きなお風呂にのんびり浸かり、部屋に戻ってくると…そこにいたのは爆睡している悟空と文庫本を読んでいる八戒くんだけ。
「ああ…あの2人なら外に飲みに行きましたよ」
「えっ2人で…?!明日、雨でも降るんでしょうか…」
「あははっ貴方もなかなか言いますねぇ。…正しくは、悟浄が無理矢理に三蔵を連れて行ったんですよ」
「…まぁ、それなら納得できるかなぁ」
確かにこの街は大きく、栄えていたから、酒場も充実しているみたいでしたね。悟浄くんが後で行ってみるか、と呟いていたのは聞こえていましたし、また夜中には姿を消しているのだろうとは予想していましたが…まさか三蔵様を道連れにするとは思っていなかったなぁ。ちょっと意外かも、あの2人って犬猿の仲って感じでしたのに。
大騒ぎになるような喧嘩をしていなければいいけれど、と考えながら、お風呂上がりの水分補給をしていると、パタンと何かを閉じるような小さな音が聞こえた。飲み干したコップを置いて振り返ると、文庫本を閉じた八戒くんがぐーっと伸びをしているのが見えました。
「もう読み終わったんですか?」
「ええ。結構、面白かったですよ。読んでみます?」
「いいんですか?」
「もちろん」
差し出された本を受け取り、早速読もうかなとベッドに腰掛けようとして…ふっと時計が目に入りました。昼過ぎにこの街に着いたせいか、ゆっくり過ごしてもまだ早い時間で、のんびり過ごすのも悪くない。彼から借りた本も気になる所だけれど、…何となく―――八戒くんとの時間を共有したい、って思ったんです。
旅をしていますから、ずっと一緒にいるんですけど…でも、普段は5人揃っているし、彼と2人きりで過ごすってことはあまりなくて。旅に出る前はそれなりにありましたけど、この旅に出てからは皆無に近いかなぁ…買い物も悟空達と一緒に行きますしね。
…別に、付き合ってるわけでもないんですから2人きりの時間なんてなくてもいいんですけど、…ほら、やっぱり好きな方と一緒にいたいっていうのはあるじゃない?私の場合はただの片思いだし、八戒くんの心の中には忘れられない愛しい人がいるけれど、それでも…この方の隣にいたい、って思っちゃうんです。
「なまえ、コーヒー淹れますけど飲みますか?」
「あ、……あの八戒くん、ちょっと提案があるんですけど…」
「はい?」
きょとん、とした表情になった八戒くんににっこりと笑いかけ、頭の中に浮かんだ提案を投げかけた。
「あ、これ美味しい。八戒くんも食べてみてください」
「…ん、本当だ。美味しいですね」
彼にした提案というのは、宿の1階にあるバーに飲みに行かないか、ということ。悟空は寝てしまっているし、悟浄くんと三蔵様も飲みに出かけてしまっている。極めつけは明日もこの街に滞在する予定だということで。こんなに好条件が揃っていたら、部屋に籠っているなんてもったいないでしょう?
明日、運転する必要がないですから八戒くんも安心して飲めますしね。我ながらいい提案だと思うんです。
「けど、よく宿の中にこんな所があるって知ってましたね?」
「お風呂に行った後、少しだけ見て回っていたんです。その時に偶然、見つけたんですよ」
「宿の中にある割には人も少ないですし、…落ち着いてていい雰囲気ですね」
「この街は酒場もたくさんありますから、お客さんのほとんどは外に飲みに行ってしまうんじゃないですか?あの2人のように」
気分転換にもなりますからね、外の空気は。
けれど、来てみてわかったこともある。大きい宿であるからかどうかまでは察することができないけれど、この小さなバーはお酒やおつまみの種類が豊富なんです。わざわざ外に飲みに行かなくてもいいくらいの種類は揃っていると思いますよ?あまり酒場事情には詳しくないですけどね。
静かな音楽と、時折聞こえる他の方達の声をBGMにして私達は淡々と飲み続ける。彼と飲むのはこれが初めてではないけれど、2人きりっていうのは………あ、初めてだったかも?大抵、悟浄くんが一緒のことが多かったですもんね。
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
「んー…旅をしている中で、こんなにものんびり飲む時間が取れるなんて贅沢だなぁと思いまして」
「確かにそうですね。同じ街に連続で滞在するなんて、そうそうありませんから」
他愛のない話を繰り返して、お酒も進んで、自然と気分も高揚してくる。この方と過ごす時間はどんなものでも嬉しい、と思ってしまうのは…やっぱり好きだからなんでしょうか?
自分で考えたことなのに、急に恥ずかしくなってきてしまって残っていたお酒を一気に流し込む。次は何を飲もうかな、とグラスを置いた所で、カタンと音がした。音の発生源は隣―――つまり、八戒くんで。どうしたのだろうか、と視線を動かしてみれば、グラスを持ったまま静かに寝息を立てている彼がいたのです。
…え、寝てる?寝ちゃってるの?この方!!突然のことに驚きつつも、小さな声で八戒くん、と呼びかけてみたものの…うん、一切反応がありませんね。だけどグラス持ったまま寝ちゃうほどは飲んで、……飲みましたね、2人にしては多すぎるほどの量を飲みましたよね。確実に。
普段なら八戒くんは酔うことなんてない。顔に出ることもないから、本当に強いんだと思う。それにきっと、飲む時はセーブしてるんじゃないでしょうか。この方は自分の限界をきちんと知っている方だと思うので、限界値以上は飲んだりしないと思うんです。
だからこそ、余計に今驚いているんです。こんな風に酔いつぶれる彼を見たことは、今までで一度もありませんでしたから。もしかして、…顔には出していないだけで疲れていたのかもしれません。毎日、1人でジープを運転していますし、彼の性格なのかさりげなく他人の世話を焼いている。自分のことは後回しにする方ですから、身体が疲労を訴えていたとしても口に出すような方ではないのも―――わかっている、つもりだった。
「すー…」
「こんな無防備な姿、あんまり見たことありませんね」
僅かな隙間から見える顔は、少しだけ赤く染まっていました。でも寝顔はとても穏やかで、気を許してくれているのかな、と思うと…また嬉しくなっちゃうんです。
「いつもお疲れ様です。…たまには頼ってくださいね?」
頬にキス1つ。
労いの意味を込め、そして少しだけ…貴方への想いも込めさせてください。
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