sweetRose propose
全ての業務を終え、使用人である彼らも寝支度を済ませ、各々の部屋へと戻っていった。
懐中時計を見てみれば時刻はもうてっぺんをとうに超えていて、そこでようやく体中に広がる疲労感を自覚する。疲労を感じにくい体とはいえ…全く感じないわけじゃないからなぁ。
首元を少し緩め、大きく息を吐き出せば少しだけ体が軽くなったような気がした。あくまで気がする、ってだけで、実際はこれっぽっちも疲労は消えてないけど。
さーて…僕もお風呂入って私室に戻ろうかな。業務日誌はきっとセバスが書いてるだろうから問題ないだろ。そう考えて立ち上がった時、さっきからその肝心の彼の姿が見えないことを思い出した。
んん?そういえばいつから姿が見えなかった?仕込みをしてた時は当然ながらいたし、その後の戸締りをしていた時も、……あ、いなかった気がする。戸締りは僕とフィニでやったんだったっけ。そんで庭の見回りは僕が引き受けて、彼らにはもう休むように言ったのも僕だ。
つまり、30分程前からセバスの姿を見ていないということ。
一体何処に行ったんだ?主に呼ばれたってことはないよな、だってもうすでにあの方はお休みになってんだし。まぁ、眠れなくて紅茶とかホットミルクを所望されたってことはあるかもしんねーけど…もしそうだとしても、こんなに長い時間、主の寝室にいるというのは考えにくい。よってそれも却下、と。
「だとしたら、何処に行ったんだ?セバスの奴」
「おや、呼びましたか?なまえ」
「ぅおわぁっ?!」
「……もう少し可愛らしい声を上げて頂けませんか?」
「今は男!この格好と声で「きゃっ」とか言われても気持ち悪いだけだろ!!」
ドキドキと忙しなく心臓を隠すように大声で反論すれば、しれっとそれが貴方なら別に気持ち悪いとは思いませんよ、とか抜かしやがった。
…時々。本当に時々だけど、セバスって男が好きなんじゃねーの?って思うことがある。まぁ、それは杞憂でしかねーんだけど。だって事あるごとに元の姿で、って言われるからね。
今思えば、男装してる時に体求められたことねーなぁ…キス、はしたことあるけど。シタい時は絶対に元の姿に戻れ、って言われるし。ってことはつまり、別に男好きじゃないってことだよな?
これを本人に言ったらきっと、貴方ならどんな姿でも構いませんよとか言っちゃうんだろうね。この完璧執事さんは。…それでも喜んで舞い上がるんだろうけど。
「そうだ、なまえ。もう戸締りと見回りは済みましたか?」
「うん?当然だろ。それに皆も私室に戻ったよ」
「それはそれは、尚更好都合。なまえ、元の姿に戻ってください」
急に何を、と思いつつも変身を解けば。その途端に姫抱っこされて、今度はさっきみたいな声ではなく、少しだけ女性っぽい声を上げることとなった。
その声に満足そうな笑みを浮かべたセバスは、その笑みを浮かべたまま廊下を歩き始めたわけですが。…一体、何なの?
抱えられたまま連れて行かれたのは、何とバスルーム。そこでようやく下ろしてもらったんだけど、何だか良い香りがする…?何だろ、この香り…花、だというのはわかるんだけど…薔薇、かしら?スン、と鼻を鳴らして首を傾げていると、セバスがクスクスと笑いながら薔薇ですよ。良い香りでしょう?と教えてくれた。
うん、とっても良い香り。でもここはあたし達、使用人が使うバスルームのはず。それなのに何故、こんな良い香りが漂っているのだろう。
「メイリンさんが薔薇風呂にでも入ったのかしら」
「…あぁ、これは貴女の為に用意したのですよ。お嬢様?」
「…………、は?」
思わず素っ頓狂な声が出ました。でも仕方ないと思うんです、一使用人の為に沸かされたお風呂(しかも薔薇つき)にお嬢様、という呼び名。そりゃあもう素っ頓狂な声が出てもおかしくないでしょう?
でもそうか。セバスが急に元の姿に戻れ、って言ったのはこういうことだったのね。理由はわかったけれど、狙いはわからないままだ。何でまた急にこんなこと…それにお風呂はいつも部屋に備え付けのシャワーで済ませてるというのに。
ま、何にしろ…湯船に浸かるなんていつ以来かしら。せっかく彼が用意してくれたんですもの、入らないともったいない。考えることを放棄したあたしはお風呂に入る為に服を脱ごうと、した、んです、けど。
「……セバス。腰に回っているこの手は何かしら?」
「服を脱ぐのをお手伝いしようかと思いまして」
「何でよっ!服くらい自分で脱げるし、お風呂にも1人で入れるわ!!」
腰に回っていた手をパシンッと叩き落とせば、この男は至極楽しそうに笑みを零す。こっちは恥ずかしくて仕方ないと言うのに…!てか、これが目的でお風呂まで沸かしたとか言ったらぶん殴ってやるんだから!
珍しく素直に手をどけたセバスだけれど、一向にバスルームから出ていく気配がない。裸を見られたことがないわけじゃないし、今以上に恥ずかしい思いをしたことだってあるんだし…彼からしてみれば、それこそ今更だと思うことかもしれないけど、やっぱり他人に、それも好きな人に裸を見られるなんて恥ずかしいことこの上ない。しかもアノ時と違って灯りが煌々とついていれば尚のこと。
これなら薄暗い灯りの下で見られた方が何倍もマシだわ。…うっかり口走ってしまったら大変なことになりそうだから、絶対に言わないけれどね。
「それで?あたしはお風呂に入りたいから、出来れば出て行ってほしいんだけど」
「おや、つれませんねぇ。せっかくですので私が体の隅々まで洗って差し上げます」
爽やかに、にこやかに言ってのけやがったけど、そんなのお断りに決まってるでしょう!!
さっと脱いだ服を投げつけて、あたしは一目散に浴室へと逃げ込んだ。
扉を閉めればさっきよりも濃く香る薔薇の香りに、思わずほう、と溜息が漏れる。ゆらゆらと揺らめく白濁のお湯に浮かぶ真紅の薔薇は何とも言えないほどに美しい。薔薇風呂なんて楽しむ身分ではないから知らなかったけど、…視覚的にも楽しめるのね。これはちょっと嬉しいし、クセになってしまいそうだわ。
湯船にゆっくりと体を沈めれば、さっき閉めたはずの扉が開く気配。その正体が誰かわかっているから特に声を上げたりしないけれど、さっきの言葉を聞いておいて入って来るなんて何を考えてるのかしら。
そっと顔を上げれば、そこには予想通りの男がにこやかな笑みを浮かべ立っていた。いつもジャケットは着ていなくて、袖を捲りきっちりボタンで留められている。…嫌な予感しかしないのは、あたしの気のせいなのでしょうか。否、絶っ対に気のせいなんかじゃないわ。
「全く、…アンタって男は懲りないのね」
「お褒めに預かり光栄です」
「これっぽっちも褒めてないんだけれど…まぁ、いいわ。なぁに?今日はとことんお嬢様扱いしてくれるの?」
「少しお疲れのようでしたので。たまにはこのようなご褒美もいいのではないのかと」
「ええ。薔薇風呂に関してだけなら最高よ」
嫌味の言葉を述べてもセバスは決して引くことはないし、へこたれることもない。だって、いつだって主と水面下の言葉の言い争いをしているんですもの。このくらい強くないと、2年も執事してられないのかもね。
はぁ…考えを巡らせるのもここまでにしましょう。お風呂くらいのんびり楽しみたいし。
湯船の淵に背を預ければ、傍に控えていたセバスの白くて綺麗な手があたしの腕をとった。何をするのかと思いきや、泡立てたバスリリーで優しく腕をこすり始める。
やだ、本当にお嬢様扱いだわ。確かにさっき、隅々まで洗って差し上げますとか言ってはいたけれど…本当にやってくれるなんて思ってなかった。ああ、でも…誰かに洗ってもらえるのって、案外気持ちがいいものかもしれない。
「珍しく表情が緩んでますよ。気持ち良いですか?」
「ええ、とっても。人に洗われるのって初めての経験だけど、気持ちいいわ…」
「それは良かった。お気に召していただけたのなら幸いです」
髪の毛まで洗ってもらって、全身さっぱりしたあたしはひどく満たされた気分でお湯に浸かっていた。その間、セバスは浴室を出ていくことはせずにずっと話し相手になってくれていて。思わず長風呂してしまったくらい、とても楽しかったわ。
いい加減出よう、と湯船の淵に手をかけたらセバスにやんわりと止められた。もう少しだけ、と囁く彼の真意がわからない。わからないけど…まだ何かやりたいことがあるのだろう、と解釈してもう一度お湯の中へと体を沈める。
口元ギリギリまでお湯に浸かってセバスの行動を待っていれば、手を出してくださいと言われました。何故に手?と思いつつも素直に右手を出せば、即座に逆ですと言われる始末。渋々と左手を出せば、恭しく口づけが落とされた。
予想外のことにぽかん、と呆気にとられてしまう。よほどすごい表情をしていたのか、あたしの顔を見たセバスが珍しく吹き出した。そして顔を背け、肩をふるふると震わせて笑ってる。…うん、なんつーか…笑うならもう堂々と笑えやセバスチャン…!
「何よもう…急に変なことするセバスが悪いんじゃない」
「ふ、…すみません、きょとんとした表情がとても愛らしくて」
「あら、愛らしいならそこまで笑う必要はないんじゃなくて?」
全くもう、失礼しちゃうわよね。
そう怒りながらも手の甲にキスをした理由を聞いてみれば、聞いてほしい話があると真剣な顔。話を聞くのは構わないけど…浴室で真剣な話、なんて変なの。
笑いそうになりながらもなぁに?と続きを促す。
「…私は、貴女が好きです。誰よりも、何よりも愛しています」
真剣な瞳。真剣な声音。そしてそっと触れる手に、心臓が跳ねる。
そんなこと、あたしが一番よく知ってる。たくさんの愛情を注いでくれていることも、大切にしてくれていることもちゃんと知ってる。わかってるのよ?セバス。
ありがとう、と感謝の意を返せば、まだ続きがあるんです、と目の前に抱えきれないほどのたくさんの薔薇が差し出された。
「これは私の気持ちです。受け取って、頂けますか?」
「ええ、もちろんよ。薔薇の花言葉、…確かあなたを愛しています…だったかしら」
「さすがですね、その通りです。ですが、今回貴女に渡したのは108本の薔薇」
ご存知ですか?108本の薔薇の花言葉は、『結婚してください』なのですよ。
ふわり、と浮かべられた優しい笑みと共に紡がれた言葉。
花をもらったことだけでも嬉しいのに、そんなことまで言われてしまったら…あたしはどんな反応をしたらいいのかわからなくなってしまう。だってそんなの、嬉しすぎて眩暈を起こしそうだわ。
じわりじわり、とセバスの言葉が胸の奥に染み渡って、じんと目頭に熱が集まってくる。泣いてしまう、と自覚した瞬間に頬を一筋の涙が流れ落ちていくのがわかった。次々に溢れてくる涙をセバスは苦笑しながらも、指で拭ってくれて。その優しさにまた涙が零れてくる、なんて…貴方はわからないでしょう?
「もう、セバスったらっ…!」
「返事を聞いても?」
「馬鹿ね、あたしの答えなんて…1つしかないに決まってるでしょう?」
薔薇の花束ごとセバスを抱きしめて、掠めるだけのキスを愛しい愛しい貴方に。
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