潜む下心

うーん、と背伸びをすると、体の至る所からパキパキと骨が鳴っているのが聞こえる。これはもう、思っていた以上に凝っているらしい。まぁ、溜まった事務仕事を一気にしていたから仕方ないのかもしれないけど…何で上官がやるべき仕事を、私1人で片づけているのかがわからない。いや、上官が此処にいない理由はもちろん知っているけれど。

(グウェンダル閣下は無事かなー…今日はもう仕事にならないんだろうなぁ、あの人)

そう。何を隠そう私の上官はフォンヴォルテール卿グウェンダル。
ツェリ様の御子息でもある、あの方が私の上司なのです。ちょーっと強面で怖い人だと思われがちだけど、実は可愛いもの・小さいものが大好きだという一面を持っている。そして優しいんですよね、ああ見えて。とても兄弟思いで、部下思い。
コンラート閣下とちゃんと話すようになったのは、第27代魔王陛下であるユーリ陛下が就任されてからみたいだけど。それまではもう犬猿の仲っていうか―――興味すら持っていない、って感じでした。まだ犬猿の仲の方が微笑ましい感じがしたくらい、ギスギスした空気がお2人の間には流れていらっしゃったよ。

…っと。何だか話が逸れちゃいましたね。それでね、我が上司が執務室にいない理由なんですが…コンコンと突然、響いたノック音。一体誰だろう?とりあえず返事を返せば、ドアの外から「コンラートです」という声が聞こえてきた。あら、噂をすればってやつですかね…入って大丈夫ですよ、と声を掛けると、すぐに爽やかな笑みを浮かべたコンラート閣下ご登場。今日も眩いですね、本当に。


「…あれ?グウェンはいないのか?」
「ええっと…閣下は1時間ほど前に、アニシナ嬢に捕まりまして」
「ああ…それはしばらく帰ってこないかな」


ええ、恐らくあと2時間ほどは帰ってきません。帰ってきたとしてもげっそりとして、使い物にはならないと思われます。
キパッと告げれば、コンラート閣下はぷっと吹き出し、肩を震わせてくつくつと笑っていらっしゃる。…わお、この人ってこんな無邪気な笑顔を見せることもあるんだぁ。初めて見ちゃったなぁ。


「すみません。閣下に何か用事であれば、言付けを承りますけど」
「んー…急ぎではないけど、お願いしようかな。これ、グウェンに渡しておいてもらえる?」
「わかりました、お渡ししておきます」
「……ねぇ、なまえ」
「?何でしょう」


預かった書類を失くさないようクリップで止めて、更にはメモ用紙を挟んでおく。メモにはしっかり『グウェンダル閣下に渡す!』と書いて。よし、これだけでかでかと書いておけば渡すのを忘れるなんて失敗はしないと思う。私の名前を呼んだコンラート閣下に返事をしつつ、まとめた書類を目立つところに置いた。
カツン、と靴音が鳴る。それはコンラート閣下のものに間違いはなく、音が鳴ったということは彼が私に近づいてきた、ということになります。執務机に落としていた視線を上げれば、予想通りコンラート閣下が目の前に立っていらっしゃる。だけど、名前を呼んだっきり何も紡がれることはなく…依然として、グウェンダル閣下の執務室には静寂が訪れていた。
沈黙が苦手というわけではないけれど、それは話す必要性がない時に限る。仕事している間とか、会話中のふとした時の沈黙とか、そういうの。でも今回の沈黙は、そういう類のとはちょっと違う気がして、何だか居心地が悪いのです。
どうにもこうにもいかなくなった私は、あの、と口を開きかけて―――また閉じる羽目になった。


「良かったら、お茶でもいかがですか?」


何故ならコンラート閣下が、口を開いたから。


「……へ、お茶、ですか?―――誰と?」
「俺と」
「誰が?」
「君が。…見た所、仕事もひと段落しているみたいだし…休憩がてら、と思って」
「え、ちょっ…私がコンラート閣下とお茶だなんてそんな…!」
「迷惑かな?」
「いいえっ!決して迷惑とか、そういうことではなくてですね…!!」


魔族似てねぇ三兄弟は、ツェリ様を母にもっているせいかひどく見目麗しいのだ。コンラート閣下は魔族の中でも地味だと言われるけれど、柔らかい物腰や親しみやすい人柄から女性に大人気。ファンクラブもある、と風の噂で聞いたこともあるくらい。
そんな人と2人っきりでお茶なんて…ファンの人達に見つかったら、私は絶対に殺されてしまいます!!!


「はははっ俺のファンって…そんなのいないよ、大丈夫。殺されたりしないから」
「いやぁ、気がついてないのはご本人のみ……」
「そうかな?…それで、俺の誘いは受けてもらえる?」


うう…一応、問いかけだけど断りきれない雰囲気を醸し出されていらっしゃいますよ!!
だけど、嫌だと思わないのは…少なからず、閣下に好意を抱いているからなのだろう。私は控え目に頷きを返し、机の上の物を片づけ始めたのでした。





「…あ、美味しい」
「良かった。もらったはいいんだけど、1人じゃ食べきれなくて」
「まぁ、確かにこの量をお1人ではキツイですよねぇ…美味しいですけど」


気分転換に、とコンラート閣下が連れて来てくれたのは中庭。今日は天気もいいし、外でお茶をするにはうってつけの気候だ。それに美味しいお菓子とお茶があるときたら、もう気分は最高なのです。
むぐむぐとクッキーを頬張りながら、この幸せな時間を絶賛満喫中。はー…こういう些細なことを幸せって感じられる時間って、いいですよねぇ。

ズズ、と紅茶を啜っていると、頬杖をついたコンラート閣下がふんわり微笑んでこっちを見ていることに気がついた。その笑みに思わずドキッとしてしまう。普段、見慣れている笑顔じゃないし、それが真っ直ぐに自分へ向けられているのだと思うと…何故だかわからないけど、心臓がドキドキしてどうしようもない。
ごくん、と思いっきり喉を鳴らして啜っていた紅茶を飲み込んだ。


「前から思ってたけど、なまえは本当に美味しそうに食べるよね」
「え、そ、そうですか…?」
「うん。おいしそうに食べている姿を見るの、俺は好きだよ」
「げほっ!」
「わ、大丈夫?」
「だっ、だいじょ、ゲホッ!…ぶ、です」


この人はいきなり何を言い出すのですかね?!びっくりしすぎて噎せちゃったじゃないですか!!
危うくコンラート閣下の顔に、思いっきり紅茶を吹きかける所だった…!良かった、吐き出すようなことにならなくて。


「…閣下って、実は天然タラシでしょう」
「ええ?ひどいなぁ、思ったことを言ったまでなのに」
「だとしたら余計に悪いですよ…」


心臓に。と言いかけたのを慌てて飲み込む。いや、確かに心臓には悪いんだけど、何だかそれを本人に告げるのはマズい気がして。言葉を飲み込んだことがバレないように、紅茶を一口飲み、それからクッキーへと手を伸ばした。
…けれど、心臓は決して落ち着いてくれることはなく、むしろどんどん早くなっている気さえする。あれか?このまま私の心臓は鼓動を急停止させたりするのか?…さすがにそれは死んじゃうので頑張って、私の心臓。


「―――そのクッキーは君の為。」
「へ?」
「もらったなんて嘘だ。君とお茶をする口実が欲しくて買ってきた、って言ったら」


なまえは信じてくれる?
食べかけのクッキーがポロリ、と零れ落ちた。じわじわと上がってくる体温、鼓動の速さに拍車をかけた心臓、楽しそうに笑う閣下の顔。色んなものがぐるぐると頭の中を回っていて、目を回しそうになる。

そして限界点を突破した私がとった行動は―――逃亡。


「これで少しは意識、してもらえるかな?」


だから私は知らない。そんなことをコンラート閣下が呟いていたなんて。
-55-
prevbacknext