眠れぬ夜は
『ほら、絵本読んでやるから布団入れ』
小さい頃、何だか眠れない夜はいつも兄様の部屋に忍び込んで、お気に入りの絵本を読んでもらってた。それで同じ布団に入って、兄様の体温を感じながら目を閉じると何故かすぐに眠れたんだよね。自分の部屋じゃあんなにも眠気が来なかったのに。
今思うと、誰もいないのが―――誰の体温も感じない、冷たい部屋が嫌だったのかなぁって思うんです。
「けど、大人になってまでそうするのはどうかと思うしねぇ…」
元より、家出したようなものだから兄様の所へは行けるはずもない。かと言って、元帥や大将の所に行くわけにもいかないし…というわけで、私はお気に入りの万年桜を見にそっと部屋を抜け出していた。そっと出て行かんでも、見つかった所で誰に怒られるわけでもないのだけれど。夜は出るな、って言われているわけでもないし。
どうやら今日は下界が満月らしい。いつだって綺麗な色をしている桜だけど、この日は尚更綺麗に見えたんだ。昼の桜も綺麗だと思うけど、私はやっぱり夜に見る桜が好きだなぁっていつだって思うの。夜桜って言うんだ―――って、天蓬元帥が教えてくれたっけ。
木の幹に背を預けて根元に座り込み、上を見上げれば。さわさわと吹く風に乗って、花弁が一枚、また一枚を舞っていく様がやけに幻想的で、でもどこか淋しくて…そこでようやく気がついた。
大好きな桜を見るのなら、1人だけじゃダメなんだってことに。
静かに見るのもいい。それはとてもいいものだけれど、でもやっぱり私は元帥や大将、それから小隊の皆と見た方がいい。断然、いい。
「やっぱり―――なまえでしたか」
「ッ天蓬元帥?!」
「こんな時間に1人で花見ですか?」
「何か、眠れなくてつい…すみません」
「ああ、別に怒ってるわけじゃないですよ。…そういう時は僕を誘ってください、って言いたかったんです」
「へ?」
怒られるものだ、と思っていた私は、元帥のその言葉に面食らった。更に言えば、言葉と同時に差し出されたお酒にも面食らった。
「お酒、」
「綺麗な花には美味しいお酒でしょう。ほら、杯持って」
「わっ…!元帥に注いでもらうなんて、何て贅沢…」
「相変わらず大げさな子ですね、貴方は」
悪い気はしませんけど。
そう言いながら元帥は手酌して、そのまま一気に飲み干してしまいましたとさ。あらら、注いでもらったから今度は私がしてあげようと思ってたのに…素早いなぁ、この人は。手持無沙汰になってしまったので、私も元帥に倣って一気にお酒を飲み干す。
この人と大将が選ぶお酒はどれもハズレがなくって、いつだって美味しいものを持ってきてくれるんです。だからつい飲みすぎちゃう節があるんだけど、でも仕方ない、お酒が美味しいのが悪いんです。一度、そう呟いたら2人には大笑いされた記憶があるなぁ…そんなに面白いことを言った覚えはなかったんだけど。
「…いいですねぇ」
「そりゃあ美味しいお酒と綺麗な花がありますから」
「ええ。それに―――」
「?それに…何ですか?」
不意に喋るのを止めた元帥が、クイッとお酒を煽る。そして飲み干した杯をそのままに、綺麗な瞳が私を映した。
「なまえが隣にいますからね。これ以上のことはありませんよ」
そんな風に言って、綺麗な笑みを浮かべるもんだから―――私は、いつも以上にお酒を飲む羽目になりましたとさ。
だって、…!だって、あんなこと言って、あんな風に笑うのはズルイ。絶対に、ズルイ。それでもこの人を憎めないのは、どうしてなんだろう。
-6-
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