恋とは、如何に。

時々、八戒くんは遠くを見つめていることがある。ぼんやりとした瞳で青い空を見つめて、何かに思いを馳せているように見えるんです。…きっと、亡くなった恋人のことを思っているんでしょう。


「で?珍しく時化た顔してるんだ」
「時化た顔って……そんなにひどい?」
「ま、いつもよりはな。なまえちゃんは笑顔を絶やさないタイプだから、余計に」


やだなぁ…なるべく顔に出さないように気を付けていたのに、悟浄くんに気がつかれちゃうなんて。彼は元々、人の気持ちに聡い人だから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけど。
…でも時化た顔、か…恋というものは一喜一憂するものだと聞くけれど、相手の気持ちが自分に向く可能性なんてゼロに近い私の恋でも、それは当てはまるものなのかしら。だって一喜一憂するだけ無駄じゃない、叶わない恋だってわかっているのに。

コーヒーを啜りながら、窓辺で本を読んでいる八戒くんに視線を移した。真剣な顔で活字を追う彼は、惚れた欲目を抜いたとしてもとてもカッコいいと思うんですよね。笑った顔とか、今みたいな真剣な顔とか、照れた顔とか、…色んな表情を見る度に、この方を独占したいって気持ちが強くなるんだ。亡くなった恋人より、私を見て―――だなんて、そんな馬鹿なこと言えやしませんけど。


「はあ…」
「好きな奴がいるんなら、そう思っちまうのは普通なんじゃねぇの?」
「そうなんですかね…恋なんてしたことなかったから、よくわかりません」
「俺もしたことねぇから勘みてぇなもんだけど…でもさ、嫌じゃん?自分以外に目がいくの」


悟浄くんの言うことは尤もだと思ったし、そう考えると少しだけ肩の力が抜けたような気がしないでもない。それでもやっぱり、こんな嫉妬にまみれた私の気持ちを知られたくないっていうのが先立っちゃうけど。


「…ま、あんまり考え込みなさんな。それはなまえちゃんの悪いクセよ?」


私の頭を撫でて、彼は夜の町へと消えていった。きっと朝まで戻ってこないのでしょう…明日もこの町に滞在が決まっているから、尚更。
話し相手がいなくなってしまった私は、手持ち無沙汰。かと言って読書に集中している八戒くんに話しかけるのは憚られるし…何より、今のもやもやした状態で口を開いたら余計なことを口走ってしまいそうで怖いんです。言ってはいけない気持ちまで、するりと言ってしまいそうな気がするんです。
そんなことをしてしまった暁には、私は1人で長安へ引き返さなくちゃいけなくなりますから。引き返すことが面倒だとか、そういうことではないんです…何よりも嫌なのは、八戒くんとの関係にヒビが入ってしまうこと。せっかく傍に、一番近くにいることができているのに、それを全て捨ててしまうような真似だけはしたくないってずっと思っている。
でもそれは私のわがままで、ただ臆病なだけ。だって本当は、八戒くんの一番になりたいから。…なりたい、けど、どう考えたって一生無理な話だ。亡くなってしまった人ほど、人の心に深く根付く存在なんてこの世にはないと思っていますのでね。


「なまえ?」
「わっ!は、…八戒くん…?」
「すみません、驚かせちゃいましたね。ボーッとしたまま百面相してたので、つい…」
「い、いいえ、大丈夫…」


ああ、ビックリした…彼のことを考えていたら、いつの間にか視界いっぱいに八戒くんの顔があったんだもの。


「本は読み終わったんですか?」
「ええ、ずいぶん集中してたみたいで…悟浄が出かけたことにも気がつかなかったなぁ」
「ふふっそれは確かに集中してた証拠ですね。さっき飲みに出かけましたよ」
「ああ、やっぱり。明日もこの町に滞在ですからね…羽を伸ばしに行ったんでしょう」


さっきまでの欝々としていた気持ちが嘘のよう。綺麗に晴れ渡った青空のように、澄み渡っているような気さえする。…いえ、さすがにそれは冗談ですけれども。
―――あれですね。相手の言葉・言動に一喜一憂するって、どんなに叶う可能性が低い恋でも当てはまるんですね。やっぱり。
私の気分を落とすのは八戒くん、その反面、私の気分を上げてくれるのも八戒くんなんです。それはずっと変わらないことでしょうし、変える必要も…ないかな?

(矛盾しているなぁとは思うけど…)

恋というものは、総じてそういうものなのかもしれないと思います。好きだけど嫌い、というような矛盾した感情をいつだって抱きかかえているのでしょう。


「厄介なものですよねぇ…」
「?何がです」
「いえ、こっちの話。コーヒー淹れますね」
「あ、コーヒーなら僕が淹れますよ。なまえは座ってて」


スッと立って簡易キッチンへと行ってしまった。こういう所、弱いんですよねぇ私。飲み干したマグカップをテーブルに置いて、そのまま突っ伏す。でも視線だけは彼の背中に釘づけ。…なんかストーカーしているみたいですけど、断じて違いますです。はい。

コーヒーを淹れる為に動いている彼の背中に、「好きです」と音を出さないまま呟いた。
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