誓うことはできないけれど

悪夢を見ているんだと、そう思いました。…いや、思いたかったのかもしれません。目の前で起きたことが現実でなければいい、夢であってほしいと、そう強く願ったのは事実ですから。


 side:八戒


ベッドの上で静かな寝息をたてているのは、なまえ。血の気が引いたような青白い顔をしているけれど、でも、それでもまだ生きている。心臓はしっかりと動いているし、呼吸もしている。だけど、…もう3日も意識が戻っていないんです。昏々と眠り続けたまま、目覚める気配さえない。

『ッ八戒くん!!』

あの時、切羽詰った声で僕の名を呼んだ彼女。振り向いた時にはもう、なまえは血に染まって真っ赤になっていました。血飛沫が上がる瞬間を、彼女が倒れる瞬間を、僕は目の前で見ていたのに―――その事実に、ただ呆然とするだけで。
そんな放心状態になっていた僕を現実へと引き戻してくれたのは、悟浄の声と…大丈夫ですよ、と紡いだ愛しいあの子の声。おびただしい程の量の血が流れているのに、なのに笑顔を浮かべて言うんです、大丈夫だからそんな顔をしないで、って。そう言って…なまえは意識を失ったんだ。


「…八戒」
「悟浄、…」
「お前、この3日間ロクに寝てねぇし、メシも食ってねぇだろ。顔色、ひでぇぞ」
「―――眠くならないし、お腹も空かないんですよ。…おかしいですよね、僕は怪我ひとつ負ってないし、確かに生きているのに」
「バァカ。なまえちゃんだって生きてんだろ。必死に、…生きようとしてんだろーが」


とりあえず食え。そんで数十分でもいいから寝ろ、もしくは横になってろ。
ぶっきらぼうにそう言ったかと思うと、何か包みのようなものを投げて、そのまま部屋を出て行った。何とか掴み取ったのは、アルミホイルに包まれた何か。一体何を…首を傾げながら開けてみると、中には歪な形をしたおにぎりが2つ入っていました。これ、悟浄が作ったんですかね?普段、キッチンにすら立たないような人がどんな顔をして、これを作ってくれたのでしょうか。

せっかく作ってくれたものを無駄にするのは、やっぱり悪い気がします。少しずつでも食べよう、とおにぎりを齧りながらさっきの悟浄の言葉を反芻する。反芻して、噛み砕くように―――受け入れようと、する。
そうだ、なまえは死んでなんかいないし、今だって生きようと必死になっているんだ。それなのに、


「僕がこんなんじゃ…貴方が起きた時に怒られちゃいますね」


もらったおにぎりを平らげ、ひとまず少しでも休もうとベッドに横になる。ゆっくりと目を閉じれば、あっという間に意識が落ちていくような感覚に陥った。
…ああそうか、意外と疲れていたのかもしれない―――気がつけば僕は、深い眠りへと落ちていました。


次に目を覚ました時は、もう部屋の中は真っ暗になっていて。一体、どれくらい眠っていたのか…けど、いくらか身体が軽くなったような気もする。
うーん、と伸びをしていると、隣のベッドに寝かせている香鈴が僅かに身じろいだような気がしました。慌てて電気をつけて駆け寄ると、ずっと閉じられたままだった瞳が震え、そしてゆっくりと開いたんです。見えたのは、見慣れた黒の瞳。


「なまえ!」
「はっかい、くん…?私、」


目覚めてくれて心底ホッとした。でも、同時にあの時の光景がフラッシュバックして、僕は。

―――パンッ!

乾いた音が耳に届く。それは僕が彼女の、なまえの頬を叩いた音。そしてそのまま力任せに抱きしめた。触れた箇所から彼女の体温が伝わってきて、ちゃんと生きていることを実感できて…泣きそうに、なるんです。


「あ、あの…っ」
「僕がっ…僕がどれだけ心配したと思ってるんですか!あんな、勝手なことをして…!!」


ホッとしたのは本当。だけど、それ以上にあの時の恐怖が全身を支配していて、怒るつもりなど少しもなかったはずなのに気がつけば僕は声を荒げていました。そのことに驚いたようで、なまえの身体がビクリと跳ねた。
驚かせてしまったみたいですが、でもすみません…今は、貴方を気遣ってあげる余裕なんてないみたいです。起き抜けの貴方に何てことをしたんだ、とも思うんですけどね。

―――嘘だ。

怒るつもりなどなかったなんて、そんなの嘘です。あの時の僕は確かに、多少なりともこの子に怒りを感じていたんです。いつだって無茶をして、他人優先で、自分の命の危機など考えもしない…自分を盾にすることで僕達を守ろうとするこの子に、ずっとやりきれない思いを抱いていたんですよ。そんなことをしなくてもいい、って何度声を上げたかったことか。


「失うかと、本気で貴方を失うかと思ったんです。目の前で血に染まる貴方を、倒れゆく貴方を見て…そう思ったんです」
「……はい」
「もう二度とあんなこと、しないでください。あんな光景を見るのは…もうごめんですよ」
「ごめんなさい、八戒くん。心配を、かけてしまいましたね」


でも、守られてばかりは嫌なんです。私だって、失いたくないもの・譲れないものがあるんです。
そう言ってふんわり笑う貴方に、また泣きそうになる。生きていてくれたことに、目を覚ましてくれたことに、…またこうして触れられたことに心の底から安堵して、僕は静かに涙を流しました。
急に泣き出したのに、それでもなまえはただ静かに、優しく僕を包み込んでくれる。涙が止まる、その時までずっと。





―――ねぇ、八戒くん。
きっとね、私は約束できないんです、もう二度とあんなことをしない、って。だって、また大切なものを失うなんて嫌だから。失って後悔するのはもう、…嫌なんだ。
-8-
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