悲しき運命の果て
桜の樹の下で出会ったのは、とても綺麗な目をした女性でした。透き通るような青い瞳をしたその人は、ふわりと髪と服を揺らし、その場を去っていった。花の咲くような、目を奪われる笑顔をひとつ残して。
side:天蓬
あの衝撃的な出会いからどれくらいの時間が経っただろう。気がつくとあの女性の笑顔が、あの綺麗な瞳が脳裏をチラついて離れてくれない。…だけど、彼女は一体どこの誰だったのだろうか。
服装からして軍人でないのは明らかだし、身に着けている装飾品などから推測してみても恐らく、いいトコのお嬢様―――という感じがしましたしね。誰かの娘?いや、でもそれだったら天帝の誕生祭などで必ず顔を見ているはずだ。あの祭は天界人全てが参加を義務付けられていますから。
「おい天蓬、いつになくボーッとしてっけどどうした?」
「捲簾。…いえね、数日前に万年桜の樹の下で綺麗な女性と会ったんですけど…誰だったのかな、と思いまして」
「あ?名前聞いてねぇの?」
「ええまぁ…というか、言葉すら交わしていないんです。フッと微笑んだかと思ったら、すぐに姿を消してしまったので」
僕が確認すべき書類を差し出してきたかと思えば、当然の如く椅子に腰掛け、煙草に火をつけながらどんな奴?と聞いてきた。どうやら僕の話に興味を持ったようですね。珍しい。そう呟けば、お前が他人に興味を持つ方が珍しい、と返されてしまった。
―――確かに、捲簾の言う通りかも。こんなにも気になる人に出会ったのは、初めてに近いかも。
「青い瞳が、とても印象的な人でしたよ。すごく綺麗な人だなぁ、と」
「―――青い瞳の女…?」
「捲簾?」
「それ、…もしかすっと噂のお姫様かもな」
噂?お姫様?…果たしてそんな噂が飛び交っていただろうか?それなりにそういうものには敏感に反応しているつもりでしたが、うっかりアンテナに引っかからなかったものがあったのかもしれません。
捲簾が教えてくれたのは、天帝は最近、1人のお姫様にご執心だ―――という、本当なんだか嘘なんだかわからない話だった。捲簾自身も真実かどうかわからない、と前置きして教えてはくれましたけど。
その噂になっているお姫様というのが、綺麗な青い目をした女性ということらしく、僕が会ったのはその人かもしれないらしいですよ。まぁ、お姫様と言っても天帝の娘というのではなく、…俗に言う愛人というやつですけどね。
「ほっとんど外には出さないようにしてるっつー話だから、見たことがある奴はごく少数だけど」
「天帝ご執心のお姫様、ですか…」
「鳥籠に入れられっぱなしとあっちゃ、逃げ出したくもなるだろーよ」
普段は何処にいるのかもわからない。ましてや名前すらも知らない女性だけれど、でも…あの桜の樹の下に行けば、また会えるような―――そんなよくわからない自信があったんです。
「―――あ、…」
「あら、こんばんは」
「こ、んばんは」
「会うのは二度目ですわね。貴方、天蓬元帥でしょう?」
「え、ええ…どうして僕のことを」
知っているわ、貴方はとても有名ですもの。捲簾大将と共に、ね。
クスクスと笑う彼女は、初めて会った頃に受けた印象とは全く違う。どこか幼く感じて、…いや、違う…きっと今の笑顔が彼女の本当の姿なのでしょう。あの時の笑顔も目を奪われる程に素敵で、綺麗でしたけど、でも今のような笑顔の方がずっと素敵だと思います。心から笑っているのだと、そう感じることができますから。
…けれど、軍人以外の所で僕と捲簾が有名になっているとは思いませんでしたね。確かに好き勝手動き回っているのはわかっていますから、それも仕方ないのかもしれませんが…だけど、あまりいい噂ではないのでしょうね。彼女の耳に入っているのは。
「一度、貴方にお会いしてみたかったのです」
「え?」
「噂では変わり者だとか言われておりますけれど、でもきっと…素敵な殿方なのでしょう、とそう思っていましたの」
「…!」
「思っていた通り。貴方は、…とても自由で、何者にも囚われない強い心の持ち主なんですわね」
―――瞳が、そう言っています。
ふわりと浮かべられた笑みが、淋しそうに見えて。きっとこの人は、鳥籠から逃げ出したいんだ。狭い場所ではなくもっと広い、青空の広がる所を羽ばたいてみたいのだと―――僕は、勝手にそう感じていたんです。
「外に、…出たいんですか?」
「…どうなのでしょう。もうずっと、動けないでいますから…それすらもわからなくなってしまいました」
「……」
「でもこの場所に足を運ぶようになって、天蓬元帥にお会いしてわかったこともあります。―――外は、私が思っている以上にずっとずーっと広い所なのだと」
「そうですね、貴方が思い描いている以上に外は広くて、それで―――素敵な所だと思いますよ」
綺麗なものばかりが溢れている世界ではないけれど、外に出ればきっと汚いものも、見たくもない現実も目に入ってしまうでしょうけれど、それでも…僕達が生きるこの世界は、光り輝いているとそう信じている。
少なくとも、陽の光さえ届かないような場所にいるよりは、ずっとマシだと思いますよ。狭い鳥籠の中にいたままでは見えないこと・感じることができないものがたくさん、たくさん存在しているんですから。
おかしなものですね。この人とは知り合ったばかりで、言葉を交わしたのは今日が初めてで、名前すらも知らないのにどうしてだろう、この人に下界の様子や、見たことがないであろう天界の綺麗な場所を見せてあげたい、と思ってしまうのは。
ザァッと風が、吹いた。桜の花弁と一緒に彼女の髪が風に舞う―――それがとても幻想的で、胸が高鳴ったんです。
「いつか―――」
僕はこの人を、
「いつか貴方を、」
―――奪い去ってしまいたい。
「…なまえ、です」
「え…?」
「私の名前です。私だけ名前を知っているのは、不公平でしょう?」
「なまえ、さん…」
「はい。天蓬元帥」
ああ、この笑顔を独り占めできたら―――どんなに幸せだろうか。
この人と、なまえさんともっと近づくことができればいい、そう心の底から思ったのに。…運命というものは、残酷なのだと知るのはもっと後のこと。
-9-
prev|back|next