目を閉じれば浮かぶきみ
FBI捜査官という職種に就いてから、あまり忙しくない日というのはなかったように思う。新人だろうと何だろうと、事件が起こればすぐさま出動しなければならないし、事件がなくとも書類整理などの事務仕事が待っている。仕事がない、という日はないのです。どんな仕事であろうと、それは当たり前のことだと思うけど。
だけど、疲労を感じこそすれ、多忙な日々を恨むようなことはなかったかな。事件なんて起きないことに越したことはないけれど、私はFBIに入って良かったと思ってるし、この仕事を誇りに思ってる。だから、どんなに忙しくて休む日がなくてもあまり気にしたことはなかった。なかったんだけど、さすがにキツイなぁと思う日もあるわけで。
(…体、ダルイ)
ここ最近は特に忙しくて、家に帰ることもままならなかった。着替えに帰ったり、シャワーだけ浴びに帰ったりはしていたけれど、用事を済ませてすぐに戻るという生活を…どれくらい続けていただろうか。もう記憶にないけれど、少なくとも1ヶ月は続けていたんじゃないかな。
それでもようやく追っていた案件に目途が立ち、久しぶりの休日を頂いたのだけれど―――車に乗り込んだ瞬間、体が鉛のように重くなった。もう動くのも嫌だ、と叫びたくなるくらいで。とはいえ、自分で運転しないと帰ることはできないので頑張りますけどね!
「おかえり。ずいぶんと疲れた顔をしているな」
「…貴方だって負けるとも劣らない顔色ですよ、勝負する気なんて毛頭ないですけど。ただいま」
何とか誤魔化し誤魔化しで運転をし、工藤邸にたどりついた頃にはもう疲労困憊です。ただでさえ疲れてるのに、慣れている道・運転で何でこんなにも疲れてるんだろう私。
溜息をつきながら玄関を開ければ、音に気がついた秀一がひょっこり顔を出した。私の顔を見て苦笑を浮かべたけれど、この人だって私と同じくらいの期間、アメリカで任務こなしてたんですけどね。多分、同じくらいか倍以上の疲労感だと思う。
「はー…先にシャワー浴びてきます」
「では、その間に食事の準備をしておこう。食べるだろう?」
「ええ、いただきます。…あ、そうだ秀一」
「どうした?」
「おかえりなさい。無事なようで何よりです」
「ありがとう。お前もな」
お互いに頬にキスを1つ落として、私はバスルーム、彼はキッチンへとおぼつかない足取りで向かう。
車に乗った瞬間に圧し掛かってきた倦怠感は相変わらず、むしろひどくなっているような気さえするなぁ…あれかな、無事に目途が立って安心したからかな?今までこんなことなかったんだけど、自分が思っている以上に疲れているということなんだろうか?
肺に溜まった空気を押し出すように息を吐いた瞬間、ひくっと喉が引きつった。何だろう、と思った時にはもう呼吸が苦しくなってきていた。
(なにこれ、…息が、上手くできな……っ)
必死に普段しているように息を吸って吐こうとしても、全く上手くいかない。マズイと直感的に感じたのと、体が崩れ落ちたのは恐らく同時だっただろう。ガタンッと派手に音がしようが、何かが落ちようが、今の私には気にしている余裕は一切なくて。ただ必死にままならない呼吸を、繰り返すだけ。
「なまえ?音がしたが大丈夫、…おい?!」
「はっ…ふ、ぅ、」
「過呼吸か…?」
ぼんやりとした頭。だけど、そこに秀一がいるってことだけは何故か理解出来ていて…縋るように腕を伸ばせば、しっかりと手を握りしめてくれた。視界に入った彼の顔は平常時のソレではなく、珍しく焦燥感を露わにしていて驚いてしまったくらい。
苦しいのに、それでも彼を見て思ったのはそんな顔しないで、だった。それを言葉にはできないけれど、伝わってほしいと強く手を握り返す。
「ゆっくりと呼吸しろ。…そうだ、いい子だな」
「ケホッ…は、は…っ」
「焦らなくていい。目を閉じて、何も考えるんじゃないぞ」
そっと抱きしめられて、まるで子供をあやすかのようにゆっくりとしたテンポで背中を叩かれる。耳元で同じように呼吸しろ、と言われたから、鈍くなっている聴覚で必死に秀一の呼吸の音を探る。目も閉じて、なるべく頭を空っぽにして―――彼のと重なるように、吸っては吐いてを繰り返した。
それをどのくらい繰り返したのだろうか。あれだけぼんやりとしていた意識が次第にクリアになってきて、苦しくて仕方なかった詰まるような感覚も薄れている。呼吸も、普段通りにできているみたい。
「すみません、もう平気です…」
「そうか、…少し焦ったぞ」
「あはは…私もです。過呼吸になったのは初めて…」
「最近はあまり睡眠時間を取れていなかったんだろう?体が不調を訴えている時に誘発されることもある、と聞いたことがあるから、それかもしれんな」
そうなんですか?と詰めていた息を吐き出すように問いかければ、話に聞いただけだがな、と返答。
ふぅん、過呼吸って慢性的に不安や不満だったり、あと怒りとか…精神的に緊張している状態が続いている人に起こりやすいんだと思ってた。体調不良から誘発されることもあるのか、気を付けた方がいいのかも。
「それとも何か不安なことでも?」
「うん?んー…しいて言えば、任務でアメリカに行っていた恋人の安否が」
「なんだ、信用ないな。俺も」
「そういうわけではないんですけど…」
何が起きるかわからない。非常事態になっていたらどうしよう、と不安になっていたのは嘘ではない。秀一のことは信頼しているし、彼の捜査能力・射撃能力だって信用しているのです。よっぽどのことがない限り、この人は私の元へ帰ってきてくれると、そう思ってはいるのだけれど…それと不安感は別物だと思うのよね。心配しない人なんて、いないでしょう?
ようやく息苦しさから解放され、とん、と秀一の胸に寄り掛かる。服越しに感じる熱が気持ち良くて意識が沈みそうになるのは仕方ないと思うんだ。ああダメだ、シャワー浴びてないしご飯も食べていないのに眠い。今すぐベッドに転がって眠りたいくらいに。
「しゅう、いち…」
「寝るのは構わんが、ここで寝落ちしないでくれ。シャワーと食事は、明日の朝にするか?」
「うう…シャワーだけは、浴びたい」
本音がポロリ。だけど、ダルイ体を叱咤してシャワーを浴びれるのか、と聞かれたら、答えは否だと思います。でもやっぱりこのままベッドに転がるのは、嫌だなぁ。
「仕方がないな…少しここで座っていられるか?」
「んう?んー…」
「こら、寝るな。テーブルに並べた料理を冷蔵庫にしまってくる、そうしたら風呂に入れてやるから待っていろ」
「はぁい…」
洗面台の前に置かれている椅子に座らされ、落ちないように壁へ寄り掛からせてから秀一はバスルームを出て行った。
寝るな、と言われたけれど、その言いつけは守れそうにないなぁ…そんなことを考えながら、私は襲ってくる眠気に抵抗するのを早々に諦めるしかできなかった。だって眠いものは、眠い。
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