かけられた魔法を解くのは
近いようで遠い彼と私の距離。隣に立っているつもりでも、気がつけばあっという間に先へと進んでしまっているのが彼―――赤井くんだ。
追いつこうと思って必死に走っても、足掻いても、もう少しの距離が縮まってくれなくて。どうしたらいいんだろう、と悩んだのは一度だけではない。いつだって私は彼の近くに、隣にいたいのにそれを許さないとでも言わんばかりに、避けられているような気がしないでもない。
(露骨に避けられているわけじゃないし、話しかければちゃんと返ってくるけど…)
でもあまり笑顔を見せてくれないし、目を見てくれることだって片手で事足りる。ジョディやキャメルには笑いかけている所を見たことがあるし、話す時だって目を見てることが多いのに…何故か私を話す時はいつのも増して仏頂面だと思うし、視線が合わないことの方が多い。
ただの気のせいと言われてしまえば、それはそこまでなんだけど。というか、気のせいだったらどんなにいいかと思ってしまうんだよねぇ。
「あら?あそこにいるのシュウじゃない?」
「え?赤井くん?…本当だ」
ジョディが指差した先。そこには確かに赤井くんがいて、柔らかい眼差しを『誰か』に向けていた。
ズキン、と胸が痛んだのは気がつかないフリ。あんな顔、…一度だって見たことないのに。
「猫…好きなのかな」
「どうなのかしら。でも…確かに滅多に見ない表情ね、レアだわ」
いいなぁ…猫とか動物になったら、あんな風に笑いかけてもらったり頭を撫でてもらえたりするのかなぁ。バカげた考えだとは思う、だけど今の私はそんなことを考えないと平静を保っていられなかったんだろう。
吐き出された溜息は、今までで一番重かった。
「(ん……?私、いつの間に寝ちゃったんだろう)」
さっきまで仕事をしていたはずだった。書類をまとめて、詳細を確認して、それでー…それで?あれ、私それからどうしてたんだっけ?何か頭がボーッとするっていうか、記憶が曖昧っていうか。
首を傾げながら目を擦ろうとしてふと気がついた、何か…床近くない?いつもは床ってもっと遠いし。というかさ、もしかしなくても私ってば床に寝っ転がってるの?!慌てて体を起こした―――つもりだったのに、視界はさっきと何ら変わりない。うん?変わらない、ってどういうこ、と……
「にゃにゃっ?!(これ私の手?!)」
手が、手がもふもふ!!そして言葉を発したつもりだったのに、耳に届いたのは猫っぽい鳴き声だったのは気のせい…?!
え、ちょ、どういうことなのこれ!!夢?私、もしかして完全に夢見てる?そうじゃなきゃ色々と信じがたいことが起きてると思うんだけど?!いまだに自分の身に何が起きているのか把握できてないし、現実だって気がしないし、いい感じに頭の中はパニックになっていると思う。
「…ん?こんな所に猫?」
カツン、と靴音がしたのと同時に、聞き慣れた声―――それは予想通り、赤井くんの声だった。そっと振り向いてみれば、少しだけ驚いた顔でこっちを見下ろしている。うん、そりゃあ本部内に猫が入り込んでたら驚きますよね…そしてやっぱり、赤井くんの目にも私は猫に見えてるのね。ということはつまり、…夢ではない可能性が高い?それとも赤井くんも出演の豪華な夢なんですか?
何なのよ、と呟いたつもりだったんだけど、零れ落ちたのはさっきと同じうにゃあ…という鳴き声。何度聞いても猫以外の何者でもない声ですよねーこれ。どうしようもないけどどうしよう、と考え込んでいると、ふわりと体が浮いて目の前に赤井くんのドアップ。
思わず、ビシッと固まった。驚きすぎると声が出ないってよく聞くけど、それは本当です。本当に一切、声が出ません。自ら証明しましたよ、今。
「なんだ、お前。どこから入ってきた」
「にゃ、にゃぁ…」
「はは、人間の言葉がわかるのか?」
うん、わかるけれども!腕…というか、前足をパタパタさせたりして必死にアピールしてみるものの、赤井くんには一切通じない。うう、通じるわけないか…だって猫の言葉わかる人なんていないもんねぇ。私だよ、なまえだよ!って言っても出てくるのは鳴き声だけだし、きっと私の言いたいことの一ミリもこの人に通じていないと思う。通じたら奇跡だよ、奇跡。
どうやったって無理だ、と気がついた私は、この際だから猫の生活を満喫してみようと思いついた。いつ戻るのか、その前に戻ることができるのかわからないし…夢オチっていう可能性もまだ残ってるし!うだうだ考えているよりも、この状態を楽しんでしまった方が何倍も得だと思うのよね。何が得なのかはサッパリわからないけれども。
だけど、それでもやっぱり開き直りって大事だと思う。そう思ってからは早かった。抱っこされたままの状態なのをいいことに、赤井くんに擦り寄ってみた。あれだよね、人間の時には絶っっっっっ対にできないことだよね。
「懐っこい猫もいるものなのだな」
「にゃー(貴方だから懐いてるんですよー)」
「…まるでお前はアイツのようだな」
アイツ?アイツって、誰のことだろう?一瞬だけ赤井くんの顔が淋しそうに見えたのは、私の見間違い?
動物相手だからか、寡黙なこの人も少しばかり饒舌になっている。静かに淡々と、自分の気持ちを口にし始めた。猫になった私を、腕に抱いたまま。
「アイツというのは職場の同僚でね、…少々じゃじゃ馬だが頭の切れる奴なんだ」
ジョディのことかな?彼女、少し感情的になりやすい部分もあるけど、でも赤井くんに勝るとも劣らない推理力を持ってる。銃の扱いにも長けているし、何より行動力がすごいと思うんだ。
うんうん、やっぱり赤井くんから見てもジョディは素晴らしい能力を持っているんだねぇ、と内心頷いていると、段々、彼女のことではないように聞こえてきた気がする。黒髪が綺麗だとか、ころころ表情が変わる様が面白いとか、臆することなく突っ込んでいくとかその他諸々…え、黒髪?赤井くんの同僚で黒髪の女性なんていたっけ?
(私以外、皆アメリカ人だし…………うん?)
黒髪美人なんていたかなー、とメンバーの顔を1人1人思い浮かべていると、黒髪の女性は私以外に誰もいないことに気がつきました。何度思い返そうとも、結果は同じで。
ぶわっと全身が熱くなっていくのがわかる。…猫の姿で本当に良かったと、今なら思うね!元の姿だったら絶対に顔が真っ赤になってるもん!というか、元の姿だったら赤井くんは私のこと抱き上げたりしないし、こんな優しそうな顔してくれないし、何よりこんなこと話してくれるわけがないんだけどさ。
「なまえという名で、日本人なんだが…誰よりもタフな奴なんだよ」
俺は彼女のそういう所に惹かれたんだ。
そう言って笑ったかと思えば、赤井くんは顔を近づけて―――キスを、した。唇が触れた瞬間、私の体は元に戻ったのだけれど…私達の関係がどう変化したのかは、神のみぞ知る!
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