感じる体温
自分には価値がないから。そう彼女は口にした。…頭にきた、あんなにも愛されてるのに、大事にされてんのに、それなのに価値がないとか言いやがるから。
俺の好きな奴を貶すなら、お前でも許さない―――思わず、口をついて出そうになった。
side:大和
姐さんが怪我をしてから1週間。切れたのが額だったから出血は多かったけど、幸いにも怪我自体はひどくなかったらしい。念の為に撮った脳のCTも問題はなかった、と教えてくれたのは万理さんだった。
迎えに行ったのは俺だったけど、会話らしい会話はほとんどしなかったし、事務所に着いてからもその話はしないままだったからな。本人の口から聞くことはしていない。つーか、できなかったっつーのが正しいのか。まぁ、そんな状況に持ち込んだのは他の誰でもない俺自身なんだけど。
(あの時、姐さんは迷いなく俺の体を引き寄せた)
離せ、と叫んでも一向に力は緩まなかったし、俺に危害が及ばないように必死に抱きしめて…あの男に姐さんは、背を向けたんだ。狙うなら自分を狙え、と言っているように見えた。いや、実際そうだったんだけど。
あんな小さな体で、華奢な体で、必死に守ろうとしてくれてるのが嬉しかったけど、それ以上に悔しくて苦しくて仕方なかったんだ。好きな女ひとりも守れないのか、と嘲笑われている気分になるくらい。
今思えば、八つ当たりに近かったのかもしれない。けれど、頭にきたのも事実だ。自分に価値がないなんて二度と言うな、というのも間違いなく俺の本音。
―――コンコン、
ノックの音にハッとして、反射的にサイドボードに置いてある時計に目をやった。時間はもうすぐ22時になろうとしている所で、こんな時間に誰だ?と咄嗟に思う。普通に考えればメンバーの誰かなんだろうけど、あいつらだったらノックしながら俺の名前を呼ぶか、もしくはノックしてすぐに開ける。特にタマは。
けど、ノックの音は聞こえたがメンバーの声は一切聞こえてこない。ドアに向かって誰だ、と声をかければ、少し間を置いて「小鳥遊です」と返事があった。この声、姐さんか…?!
―――ガチャッ
「姐さんっ…?!」
「こ、こんばんは、二階堂さん」
ドアを開ければそこには予想通りの人物、姐さんが立っていた。ちゃんと顔を合わせるのはあの時以来で、言葉を交わすのだって…あの時以来、だった。
気まずくて避けてた部分もあるけど、仕事が忙しくてすれ違っていたっつーのが大半だ。姐さんはMEZZO”のマネージャーで忙しくしてたし、俺も単発ドラマの仕事が入って連日夜遅くまで撮影してたしな。
あー…でもあの後だから、すっげぇ気まずい。気まずいけど謝る気はないし、かといってこのまま何も聞かずに帰すっつーのも嫌だ。きっとこの子は何かを伝えに来てくれたんだろうから。
「えーっと、…とりあえず入って。何か飲み物持ってくるから」
「あ、いえ、お構いなく…!」
「俺も喉渇いたからいいよ。座って待ってて」
「…はい。ありがとうございます」
姐さんを中に招き入れ、俺はそのまま飲み物を取りにキッチンへ向かった。もう誰もいないだろ、と思ってたんだけど、そこにはミツが1人でテレビを見ていた。
けど、考えてみりゃそれもそうか、鍵を持っていないであろう姐さんが寮の中にいるってことは誰かが中に入れたってことなんだから。
「あ、大和さん。飲み物取りに来たのか?」
「そう。…鍵開けたのってミツ?」
「うん。姐さんから連絡もらってさ」
「ふーん…」
なんでわざわざミツに連絡?俺に用があるんだったら直接連絡くれりゃいいのに、とちょっとムッとしてしまう。それに気がついたのか、ミツが笑いながら直接連絡したら逃げられるかもしれないって思ったんだってさ、と裏話を教えてくれた。
いや、逃げねぇよ。姐さんの中で俺の印象ってどうなってんの?もー…お兄さん、ショックで溜息つきそう。とりあえずそれは置いておこう。彼女との間にある気まずさがなくなって、それでも覚えてたら問い質せばいい。先に聞くべきなのはきっと、それじゃない。
冷蔵庫から水出ししたお茶を取り出し、数秒悩んで缶ビールに手を伸ばす。最近は何となくビールを飲む気分じゃなかったけど、急に飲みたくなってきた。飲みたくなってきた、というより、飲まないとやってられない気分になったのだろうか?本当なら素面の状態で聞くのが正解なんだろうけどね。
「姐さんが帰る時、俺が鍵閉めるからミツも部屋に戻って大丈夫だぞ」
「ん、わかった」
くあ、と欠伸をしていたミツにそう声をかけて、姐さんの待つ自室へと戻った。ドアを開けると、姐さんはぼんやりとしていたのかハッとした様子で顔を上げる。その顔には僅かに緊張の色が見えていて、へぇ珍しいこともあるもんだな、と思ってしまった。
俺の知ってる姐さんはいつだって冷静で、焦ってる所とかあんまり見たことなかったから。
「あの、…すみません。遅くに押しかけて」
「別に大丈夫だけど…明日はオフだし。それを知ってて来たんでしょ?」
「はい、まぁそうなんですけど。最近はドラマの撮影でお疲れだったでしょう?」
「まぁな。でもぶっ倒れる程じゃねーし。…で、どうしたの?わざわざ訪ねてきて」
「二階堂さんに、お話したいことがあるんです」
コトリ、と床に置かれたマグカップ。唇をキュッと引き結んで、ゆらゆらと揺れる瞳が真っ直ぐに俺を見つめてくる。揺れているはずなのに、それでもその瞳には強い決意の光が見えていた。それを見て俺も何故か居住まいを正さなきゃいけない気がして、持っていたビールをサイドボードに置いて背筋を伸ばした。
何度か口を開閉させて言い辛そうにしてたけど、彼女はゆっくりと口を開く。『久遠』を名乗りアイドルだった頃、1人のファンに言い寄られていたことがある―――と。それは1週間前、姐さんに怪我を負わせた人物。そしてスタジオで俺やイチ達が見かけた人物でもあった。
彼女曰く、ストーカー紛いのことをされていたんだとさ。もちろん、当時警察に相談もしていたし、社長と万理さんも最悪の事態を引き起こさないよう警戒してたらしいんだけど。でもストーカー行為はエスカレートしていって、彼女が表舞台を下りるまで続いていたらしい。
「…急に活動休止したのって、」
「いえ、それが直接の原因ではないんです。…まぁ、要因の1つではあったんですが」
「そっか」
「活動を休止して、もう二度と会うことはないと思っていたんですが…その考えは甘かったみたい」
そう言って苦笑を浮かべているが、普通はそう思っても仕方がないんじゃないの?引退したわけじゃないけど、活動を休止してしまえばその男の前には姿を現さなくなる。テレビにも出なくなる。接触する機会が一切なくなるってことだ。特別姐さんの考えが甘いとか、そういうことはないと俺は思うけどね。
でも口を挟む勇気がなくて、淡々と言葉を紡ぐ彼女の姿をただ黙って見つめるしかできない。
「だから、…二階堂さんが襲われそうになったの、私のせいなんです」
二階堂さんだけじゃない、アイドリッシュセブンの皆さんに迷惑をかけてしまった。すみませんでした。
彼女の言葉は震えていた。頭を下げているせいで表情は見えないけど、もしかしたら泣いているのかもしれない。そう考えたら居ても立っても居られなくて近寄って、顎を掬い上げた。驚かせることになるとわかっていても、確かめずにはいられなかったんだ。
無理矢理上げさせた顔、綺麗な瞳には涙が薄らと浮かんでいる。ひとつ瞬きをすれば、零れ落ちていってしまいそうだと思う。その光景はきっと、綺麗なんだろう。そんな思いが胸を過る。好きな女が泣きそうになってるのに、何でんなことを考えてるんだろうな。俺は。
「―――この前、怒ったことは謝らない」
「…はい」
「けど、二度と自分に価値がないなんて言うな。今度は怒鳴るし、下手したら殴るぞ」
「はい…っ」
「怪我、させてごめん。怖い思いさせて、ごめん」
「に、二階堂さんが謝ることじゃっ…!」
ボロボロと流れていく涙。それを親指で掬って、思いっきり抱きしめた。突き飛ばされたらどうしよう、と思ったけど、彼女も混乱してるのか何なのか…突き飛ばされるどころか、背中におずおずと腕が回った。
ただそれだけなのに、想いが通じたわけでもないのに―――嬉しいと、心の底から思ったんだ。