疲れきった喉に蜂蜜を


万理さんも帰ってしまった事務所は、とても静かだった。それもそうか、いるのは私1人だけ。いつもなら一緒に残業することが多い紡くんも、今日はアイドリッシュセブンの寮にいるんだもの。そのまま直帰する可能性が高いし、あまり遅くなると怒られちゃうかなぁ。
キーボードを叩く手を止め、うーんっと背伸びをする。コーヒーでも淹れてもうひと頑張りしようと立ち上がった所で、デスクの上に置いていた携帯が振動した。ラビチャかな、と思ったんだけど、バイブは鳴り止まぬ様子がない。慌てて画面を見ると、そこには二階堂さんの名前が表示されていらっしゃった。
…あ、きちゃった連絡。このまま見て見ぬフリをしたい所だけれど、きっとあの人は何度でもかけてくるだろうし…うん、出なくちゃダメですよね。


「…お疲れ様です、小鳥遊です」
『お疲れ、姐さん』
「どうされました?皆さんとお話されていたんじゃ―――」
『俺さ、お前さんにも聞いてほしかったんだけど』


ああ、やっぱりそれが用事ですよね。わかっていましたけど。
僅かばかりに怒気を滲ませた声に、苦笑してしまう。怒っているというか、拗ねていると言った方が近いだろうか。何度か拗ねている二階堂さんを見たことがあるけれど、でも今回が一番幼く感じるかも。皆さんに全てをお話して、少しは楽になったのかもしれない。


『全部話し終わってみれば縁、いねぇし』
「はい」
『いないことに気づかないくらいテンパってたのは認めるけど、けど…気づけなかった自分に腹が立った』
「けれど、貴方が一番お話を聞いてほしかったのは私ではなく―――仲間である皆さんでしょう?」
『…なぁ、その仲間の中にお前さんも含まれてるんだけど?』


恋人でもあるけど、それ以前に大事な仲間の1人だ。だから聞いてほしかったのに。
そう零れ落ちた言葉。それは拗ねているような、どこか淋しいと言外に告げられているような…そんな印象を受けた。良かれと思って起こした行動だったんだけど、それは思いも寄らないダメージを与えてしまっていたみたいです。
さすがにこれは予想外ですし、ちょっと罪悪感が込み上げてくるなぁ。どう言葉を返そう、と思案していると、何だかざわざわと騒がしい。もしかして、ご自身の部屋じゃなくてリビングで電話してたのかな?


『おい、縁。二階堂が完全に拗ねちまってるからさっさとこっち来いよ』
『八乙女っ…!』
『ハァイ、ユカリ!ヤマトの傍に来てくださらないと淋しがりますよー!』
『ナギ!!お前まで何言ってんだ?!』
『Hum…本当のことでしょう?嘘はいけませんよ、ヤマト』


次々と聞こえてくる声に笑いを堪えることは難しかった。というより、無理でした。ふふっと笑い声が零れ落ち、それをしっかり聞いた二階堂さんは更に不機嫌な声音で、お前さんまで笑うなよ…と溜息交じりに言う。


「仕事は粗方片付きましたので、これから向かいます。…待っててくださいね、二階堂さん」


想像以上に甘い声が出て、我ながらダダ漏れ過ぎる!ってなった。反射的に通話を終了したのは言う間でもありません。
うっわ、やっちゃったよ…!二階堂さんだけならまだしも、よりにもよって楽に聞かれるなんて!絶対アイツからかってくるじゃん。六弥さんは、…どっちかというと二階堂さんをからかいそうだから。楽も彼をからかうことあるけど、アイツの場合はそのまま逆襲されてるからなぁ。
でも今日の二階堂さんはちょっと大人しめな気がするし、逆襲する気力もなさそうだけど。何も言われないといいなぁ、と願うものの、それは難しい気がしてきた。ひとまず、寮へ向かうとしますか。これから向かう、って言った手前、あまり遅くなるのも悪いし。念の為、紡くんのデスクも確認して忘れ物がないかをチェックしてから、私は足早に事務所を出た。





「おー。さっきぶり、姐さん」
「そうですね。…二階堂さんは?」
「部屋にいるよ。ちょっと拗ね気味ではあるけど、怖くはないからさ」
「そこは心配していませんよ。あ、あの人お酒は持っていきました?」


出迎えてくれた三月さんにそう問いかけると、今日は持っていっていないはずだと教えてくれた。良かった、それなら買ってきた物達が無駄にならずに済みそうです。
持っていた袋がガサリ、と揺れ、リビングへ向いていた三月さんの視線が私の手元へ移動する。


「キッチンと調理器具をお借りしても?」
「それは構わねぇけど…なに?腹減ってんの?だったら夕飯の残りがあるけど」
「あ、いいえ。いや、お腹は空いてますけど…食事を作るわけではないので」


じゃあなに?と疑問を投げかけられながら、2人でリビングへ入るとくつろいでいる皆さんからいらっしゃいとか、お疲れとか、大和さんなら部屋にいるよとか、いろんな言葉をかけられる。ひとつひとつに返事をし、真っ直ぐキッチンへと向かった。
わ、男所帯なのに相変わらず綺麗だなぁ…ここのキッチン。料理を主にしているのは三月さんと逢坂さんと聞いているし、2人共、片付けまできっちりやるイメージだもんね。そりゃあ綺麗な状態を保てるわけだ。持っていた袋をカウンターに置き、ガサガサと買ってきたばかりの牛乳を取り出す。それに興味を示したのか、目をキラキラさせながら七瀬くんが近寄ってきました。


「縁さん、なに作るの?」
「何の変哲もないホットミルクですよ。甘めの」
「牛乳だったらここにもあるし、使っていいのに」
「だってこちらでも使うでしょう?申し訳ないですから」
「ねぇ、オレも飲みたい!」
「いいですよ。他にもホットミルク飲みたい方、いらっしゃいますか?」


残った分は寮で使ってもらえばいいや、と買ったのは1リットルの牛乳。なので、少しくらい人数が増えても問題はないのです。ホットミルクでなくとも、ココアパウダーを入れてココアにしてしまってもいいですし。飲みたい方に挙手をしてもらうと、天くん・紡くん・一織くん・四葉くんが手を挙げた。成人組はビールを飲んでいるらしく、いらないみたい。
それもそうだよね、お酒飲んでいる時に甘いものはいらないよね。飲む前に牛乳を飲むのは二日酔いに効果あるらしいけど。


「君、ホットミルクとか飲むの?」
「…千さんは私を何だと思ってるんですか」
「ん?可愛い後輩」


絶対、嘘だ。
胡乱気な視線をソファに座っている千さんに送りながら、取り出したミルクパンに牛乳を人数分注いでいく。蜂蜜はあとで入れればいいから、とりあえず温めよう。


「縁ちゃん、夕飯食べた?」
「食べてないけど…何で?」
「もうっ何でじゃないでしょ?1人で残業すると、いっつも食べないんだから…」
「集中してるとお腹空かないんだもの」


焦げないようにゆっくり混ぜながら、紡くんと他愛のない話をしていると方々からご飯食べろよ!って声が飛んできています。いや、あの、はい…すみません。でもそんな一斉に言わなくたっていいじゃんか。むぅ、とちょっとだけ唇を尖らせると、カウンター越しで見ていた七瀬くんが「縁さん可愛い!」と半ば叫ぶような声量を出した。
七瀬くん、もう夜だから…!そこそこ遅い時間だから、もっと声量落としてください。そうじゃないと近所迷惑になるし、部屋に戻っている二階堂さんもビックリしちゃうから!声量を落としましょう、と注意をする前に、リビングのドアがおずおずと開けられた。その先にいたのは案の定、二階堂さんです。うん、まぁ聞こえますよね…さっきの声量じゃ。


「なんかリクの叫び声聞こえたけど、何事?」
「あっ聞いてください大和さん!さっき縁さんがねっ」
「姐さん?」
「あーっちょ、七瀬くんちょっと黙ってホットミルクできたから!!」


何とか話題を逸らそうと声を上げれば、私もなかなかの声量で叫んでしまった。これじゃあ七瀬くんに注意できないじゃないか。はぁ、と溜息を1つ吐いて出来上がったホットミルクをマグカップに注いでいく。
メンバーの分はそれぞれの色のマグカップ。天くんと紡くんと私は、お借りしたマグカップ。仕上げに多めの蜂蜜を入れれば完成です。注ぎ終わったマグカップをそれぞれに手渡した。


「天にぃ、蜂蜜入りだって!」
「そう。良かったね、陸」
「ありがとうございます」
「あんがと、姐さん。ほい、マネージャーの分」
「すみません。ありがとうございます、環さん」


残ったのは緑のマグカップと、来客用らしいマグカップが1つずつ。それを手に持って二階堂さんに近づいた。


「…それ、もしかしなくても俺の?」
「はい。温まりますよ」
「いや、温まるだろうけど…お兄さん、ビールの方がいいな〜」
「今日は我慢してください」


口ではそう言っているけれど、恐らくはお酒を飲む気分じゃないんだろう。そうじゃなければリビングに残っていたと思うし、もしくは部屋に持っていっていたはずだから。
体が疲れきっているか、精神が異常な程に擦り減っているか…そのどっちかかな。いや、両方の可能性が高いかも。自分のことを、それも今までひた隠しにしていたことを口にするということは―――人に話すということは、これでもか!ってくらいに労力を使うから。


「ではすみませんが、二階堂さんをお借りしますね」
「おー、ごゆっくり〜。…あ、姐さん!話終わったらリビング来て。メシ用意しとくから」
「う、…」
「なに?お前さん、夕飯食ってないの?」


きょとんとした顔で見下ろしてくる二階堂さんに、頷きだけを返す。だったら先に食べれば?と言われたけれど、三月さんがせっかくのホットミルクも冷めちゃうし、話を先にした方がいいだろーと。
それにすんなり納得したらしい二階堂さんはスタスタとリビングを出ていかれました。ペコリ、とお辞儀をしてから、私もリビングを後にした。
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