それが君の望みなら
俺が社長に拾われて、そのまま事務員として雇われた頃。2人の少女と出会った。言わずもがな、紡さんと縁さんなんだけど。あの時はまだ中学生くらいだったのかな…今よりあどけない表情で、それを思い出す度に大きくなったんだなぁなんて親戚のおじさんみたいな感想を抱いてしまう。
2人が社長の娘さんだって聞いた時は驚いたけど、時々事務所に顔を出してくれる彼女達と仲良くなるまでにそう時間はかからなかった。
side:万理
彼女―――縁さんが小鳥遊事務所に所属する歌手になると聞いた時は、俺だけでなく紡さんもとても驚いていたのはよく覚えてる。どうして歌手になろうと思ったのかは、今でも理由を聞けずにいるんだけど…でも何となく、何となくだけれど社長と紡さんの為だったのかなって思う。そのことを2人も理解していたからこそ、心の底から応援していたのかなって。
それからしばらくは順風満帆、だったと思う。そりゃデビューしたての頃は知名度も高くなかったし、売れるまでにたくさんの努力を重ねていたことも知っている。けれど、彼女の歌の上手さはかなりのものだったから徐々に名前も売れていったし、CDの売り上げも好評だったんじゃないのかな。
歌番組やバラエティー番組のゲストに呼ばれることも増えていったし、ドラマをやってみないかって声もかかるようになって。本人は歌手なのに、って戸惑っていたみたいだけれど、主役ではないからせっかくだし…と出てみたら大当たりだったらしく、一度だけドラマの主役に抜擢されたこともあった。
『万理さん、…私、この世界の仕事が好きかもしれません』
そう言って嬉しそうに笑った彼女の顔を、俺はこの先もずっと忘れないと思う。出会って初めて見た、心からの笑顔だった。この時の俺は縁さん―――いや、久遠ちゃんのマネージャーという立場だったけど、個人的な事情で現場へ一緒に行ってあげることができなくて社長自ら行っていたんだよね。今思うと申し訳なさすぎて、地面に額擦りつけて土下座したい気持ちになるんだけど。
だから、彼女の様子が少しずつ変わっていっていることに気がついたのは、大分後になってから…だったと思う。もっと早く気がつけていたら、って思うけど、それはあくまで可能性の話でしかなくて…実際は何もできなかったかもしれない。それでもそう考えずにはいられないのは、彼女のことを妹のように思っていたからなのかもね。
この世界の仕事が好きだと笑った彼女を、守ってあげたかった。あの笑顔を曇らせたくなんてなかった。好きな仕事をずっと、ずっと続けていてもらいたかった。…でも、そんな願いは淡くも砕け散っていく。この世は無常だ、神なんていないってよく聞くけど、あの時ほどその言葉が正しいと思ったことはなかったと思う。
「万理さんって姐さんが歌手だった頃のこと、知ってるんですよね?」
「え?ああ、うん。一応ね」
「……じゃあ、休止した理由も知ってたり、するんですか?」
事務所のソファに腰掛け、台本を読んでいたはずの大和くんが徐にそう口にした。キーボードを叩いていた手を止め、そっと大和くんに視線を向けてみるけれど、彼は相変わらず台本を読んでいて数十分前と態勢はさして変わっていない。
でもどうして急にそんなことを聞いてくるんだろう?彼達が縁さんが久遠ちゃんだったことを知ったのは、もっと前のこと。何故、今になって休止した理由を気にするようになったのかがわからない。その真意を探ろうと視線を向けたんだけど、さすが演技派の大和くん…簡単に悟らせてくれないみたいだね。
まぁ、本人にそういうつもりはないのかもしれないけど、こうも視線がこっちを向かないとそう考えてしまっても仕方がないと思う。
「…理由は知ってるよ。相談だってされたから。だけど、それは俺の口から話せることじゃないよ」
「―――ですよね。そう言われると思ってました」
「でもどうして今頃?」
「この前、俺達のライブがあったじゃないですか」
パタン、と閉じられた台本をテーブルの上に置き、更に深くソファに体を沈めた大和くんの眉間には僅かにシワが寄っている。それでも頑なにこっちを見ないのは、恥ずかしさなのか何なのか…でもこういう所が可愛いと思っちゃうんだよね。素直になったなぁ、彼も。
「あの時の姐さん―――羨ましそうな顔を、してたから」
「うん」
「あんな顔をするのに、きっと歌だって演技だって好きだったはずなのに…戻ってこない理由は、休止した理由は何だったんだろうって」
それを考え始めたら気になって仕方がなくなっちゃったんだって。でも縁さん本人に聞くのはどうしてもできなくって、だったら俺に聞けばわかるんじゃないかって思ったらしいんだけど…きっと教えてはくれないだろうな、と思いながらも聞いてみたらしい。結果は案の定だった、と大和くんは笑う。
ああ、この子は理由が知りたいというか、純粋に羨ましそうな顔をしていた彼女の心を心配しているんじゃないのかな。自分に何かできることはないのかな、って。誰よりもきっと、縁さんを大事にしているから。
「久遠ちゃんはね、本当に歌も演技も好きだったよ。この世界の仕事が好きかもしれないって笑ってた」
「ははっでもかも、なんだ」
「うん、かもだった。でも…あの時の笑顔は、今でも忘れられないでいる」
そう呟くと、大和くんはゆっくりと視線をこっちに向けた。
「この事務所に事務員として入社したのも、この世界を嫌いになっていないからだって俺は思ってる」
「それは…わかる気がします。今なら」
「俺はね、大和くん。あの子が望むなら…どんな願いだって、叶えてあげたいって思うんだよ」
俺もあの子のことが大好きだから。
しっかりと視線を合わせて笑えば、眉をハの字に下げながら彼も笑った。俺も同じです、そう言いながら。