叶えたい望みなんてなかった


私の世界はいつだって、紡くんとお父さんとお母さんだった。家族がいればそれで良かったし、他に欲しいものだってなかったの。ただ4人で笑えていれば、静かに暮らしていければ、それだけで満足だったの。
でもお母さんが亡くなって…紡くんを守らなくちゃ、お父さんを支えなくちゃって気持ちが大きくなった。唯一、私が失いたくなくて守りたいものだったから。今思えば子供に何ができるのって感じだし、今だってきっとまだまだ私は子供で、お父さんを支えられてなんかいないと思う。紡くんを守るどころか、私が守られているようにさえ思う。それでもやっぱり、私の世界は2人を中心に回ってる。

芸能界に入ろうと思ったきっかけも、お父さんの為―――だった。
少しでもお父さんの、小鳥遊事務所の役に立てたらいいって、そんな思いからだったんだよね。どうしてもアイドルになりたいとか、芸能界で働きたいとか、熱い気持ちとかは皆無で…本当に家族の為に、って気持ちが大きくて。いつからだったんだろう、私の歌を好きだって言ってくれる人の為に歌いたい・頑張りたいって思い始めたのは。





「…ファンレター…ですか?」
「そう。これは黙っていた方がいいかも、って社長とも話していたんだけど…」


苦笑を浮かべながら万理さんが持ってきたのは、段ボールに詰め込まれたたくさんのファンレターだった。休止宣言を出した日から今日までに届いた、『久遠』への。
活動している間にもファンレターをもらうことはたくさんあったし、いまだにそれを捨てられないでいる。未練がましい、と思いつつも、やっぱり…応援の言葉や、好きという気持ちがたくさん込められたファンレターを捨てるなんてことはできなかったんです。でもいまだに書いてくれる人がいるなんて、微塵も思いもしなかった。


「一番届いてたのは、休止宣言を出した直後かな。今でも1ヶ月に数枚、事務所に届いてるんだ」
「今でも……」


さっき万理さんは黙っていた方がいいかも、って社長とも話していたと言った。それなのに何故、私に見せようと思ったんだろう。疑問を素直に口にすれば、彼は私の向かいのソファに腰を下ろして顎に手を当てた。
少しの間、考える素振りを見せて口を開く。迷っているように見えたから、って。驚いて目を見開いた私を見て、万理さんはそれ以上は何も紡がずに、ただにっこり笑っているだけ。
どうして―――…いつだってこの人は、こんなにも優しいのだろう。


「何も…望むものはないと思ってました」
「うん」
「望んだらダメだと、これ以上は贅沢すぎるって…でも、」


彼らのライブを見て、光り輝くステージを見て、ずっと目を逸らしていた思いが急激に大きくなっていくのを感じた。これ以上はもう隠してはおけない、誤魔化すこともできないって、そう思ったの。もう一度、ステージに立ちたいって。
でもそう思うことは悪いことだと、心の何処かで思っていたのも確か。逃げてしまったから、全てを捨てて、投げて、遮断してしまったから。そんな私がもう一度を望むなんて、なんて愚かで滑稽なんだろうと思った。図々しいにも程があると。


「私、は…もう一度だけ、ステージに立ちたい……!」


お父さんの為だけじゃない、紡くんの為だけじゃない。ひとりでも私の歌を好きだと、今でも好きだと言ってくれる人がいるのなら…その人の為にもう一度、歌を歌いたい。
この願いを叶えたい、そう思ったのはいつ以来だったのだろう。
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