ワクワク、ドキドキ
―――ピロン
読んでいた本から視線を上げ、すぐ傍に置いておいたスマホを見ると新着メッセージが1件。送信者は、衣装作りを手伝ってから割と頻繁に連絡を取るようになった瑠璃川くん。
LIMEを起動してみると、送られてきていたのはメッセージではなく写真が1枚。なんとうさ耳をつけた皆木くんと、猫耳をつけた佐久間くんでした。え、なにこれ可愛い。
あれか、春組第二回公演の衣装か。そっか、衣装合わせまで進んだんだね〜。ふふっ2人共、恥ずかしそうではあるけど似合ってるじゃない。台本の世界観ともピッタリだし、さすがだね。
「ただいま、遥。お店番ありがとう」
「あ、お母さんおかえりー」
「何だか楽しそうじゃない。いいことでもあったの?」
お店から家に繋がるドアを開けながら、お母さんこそ楽しそうに笑った。
「うん、まぁ。…あ、そうだ!今週末から劇団の手伝いに行くからお店手伝えないや」
「大丈夫よ。貴方はしたいことをしなさい」
「…ありがと」
我が家は割と古くからある古書店だ。お父さんのひいおじいちゃんがお店を作り、それを代々守ってきているらしいんだけど…長男であるお父さんはお店を継がず、劇団に入った。
お父さんには弟もいたけれど、その人も特に古書店に興味はなかったみたいで…おじいちゃんは自分の代で終わりか、と悲しそうにしていたんだけど、本が大好きだったお母さんが「失くしてしまうくらいなら私が継ぎます」と男前な一言を発し、今に至ります。他の家は知らないけど、ウチはこんな感じだったから嫁姑の仲はバッチリだったんだよね。お母さんがおじいちゃんおばあちゃんとケンカしてるの、一度も見たことなかったもん。
だけど、そんな2人ももう亡くなってしまっている。このお店はいつでも潰したって構わないんだからね―――と、遺言を残して。でもお母さんはそれでもお店を続けているんだ。いつか帰ってくるであろうお父さんを、此処で待つ為に。
「お疲れ様でーす」
「あっ遥ちゃん!思ったより早かったね」
「講義が早く終わったんです。受付ってもう設営しても大丈夫ですか?」
「もちろん!でも椅子とか机とか、ある場所わかる?」
「多分、大丈夫だと思います。わからなかったら呼びますから」
早いもので明日は、もう春組の第二回公演『不思議な国の青年アリス』が初日を迎える日。なので私も今日から千秋楽を迎える日までは、MANKAIカンパニーの一員なのだ。
今まで手伝ってきた劇団が悪いとか、そういうことを言うつもりは一切ないんだけど、この劇団の居心地の良さは半端ない。歴代一位だよ、本当に。多分、いづみさんの性格とかそういうのが関係しているんだと思う。劇団員さんだっていい人ばっかりだし。
そんなことを考えながらロビーに受付を作るべく作業開始!小さい頃にくまなく探検しまくったから、割とどこに何があるとか覚えているもので。必要なものはすぐに見つかった。…見つかったのだけれど、割と奥にしまわれていて出すのが大変そうだ…そこまで重いものじゃないだろう、と1人で来ちゃったけど、こんなことなら誰か呼べば良かったかな。
だけど初日前日だと皆、忙しく動き回っているだろうし。それに学生組はまだ帰ってきていないか。うん、やっぱり自分の力だけでどうにか頑張ろう。
「―――はる?」
「ッわ、…!」
何とか物を避けて机を出そうと奮闘していたら、後ろから声をかけられた。全く気がついてなくて大げさだろって程に肩が跳ね、バランスを崩してしまいました。
あ、これは倒れるとまるで他人事のように思っていたんだけど、いつまで経っても衝撃も痛みもやってこない。咄嗟につぶってしまっていた目をそっと開ければ、見慣れたベストとシャツが視界いっぱいに映り込んできた。
「…お、臣くん……?」
「間一髪だな、大丈夫か?」
「大丈夫…ありがと」
「いや、俺が声かけたから驚いたんだろ。悪い」
うん、まぁ多分原因はそれだよね。驚いたのも確かだし。でもそれを助けてくれて、尚且つしょんぼりしている本人に言うのは憚られたので苦笑を浮かべるだけで誤魔化すことにした。
それすらも臣くんは気がついているんだろうけど、それ以上何かを言ってくることはない。あれ?でも何で臣くんが劇場にいるの?さっき顔を出した時はいづみさんと裏方の方達しかいなかったはずなのに。うん、思い出してみてもあの場に臣くんはいなかったな。
「監督に手伝ってやってくれ、と連絡もらってな」
「あ、そうなの?でも助かったかも。思っていたよりも奥に机があってさ…」
「冬組の旗揚げの後、奥にしまいすぎたんだな。今度は手前にするか」
「その方が出す時に楽だと思うよ」
結局、奥に入り過ぎていた机は臣くんに出してもらうことになりましたー。流れで設営まで手伝ってもらっちゃって…私、今日ほとんど仕事してないんだけど。驚いただけだよ、マジで。
いづみさんに追加の仕事がないか聞きに行ったけど、舞台のセットは大道具さんにお願いしてあるから問題ないし、照明と音響も問題なく進んでいるとのこと。なので劇場でできる仕事は全くない、ということになる。
これは大してお役に立てないまま帰宅かな、と溜息をつきかけたんだけど、いづみさんが、あ。と声を上げて苦笑した。どうしたのだろう、と臣くんと揃って首を傾げる。
「お客さんに配るアンケートがね、まだ用意できていなくって…元のデータはあるから、それを少しいじるだけなんだけど」
「データもらえれば私、寮でプリントアウトまでしちゃいますよ?」
「じゃあお願いしようかな。一緒に配るパンフは一成くんに作ってもらってあるから、彼にもらってね」
「わかりました。データはいづみさんの部屋ですか?」
「うん、パソコンデスクの上に置いてあるよ。プリンターもあるから勝手に使って。これ、私の部屋の鍵ね」
ごめんね、よろしく。印刷枚数はデスクの上に貼ってあるから、と託され、私は臣くんと一緒に劇場から寮へ移動した。
「俺は夕食の準備するからキッチンにいるよ。食べていくだろ?」
「んー…じゃあお邪魔しようかな。手伝いの間はご飯いらないって言ってあるし」
「…今までどうしてたんだ?」
「劇団によってはお弁当出るからそれで済ませてた。出なければ、コンビニで携帯食買ってたし」
「はぁ…ウチを手伝ってる間はちゃんと作るから、食べていけ」
「うん、わかった」
呆れている臣くんにいづみさんの部屋の場所を聞き、早速2階へと上がった。階段を上りきり、右に曲がるとそこがいづみさんの部屋―――らしい。
預かった鍵をソロソロと回せば、ちゃんと開きました。良かった、間違えてたらどうしようかと思ったよ。本人に入室許可をもらってるとはいえ、何となくそーっと入ってしまうんだよね…もちろん、お邪魔しますという言葉も忘れずに。誰も聞いていないのはわかってるけど。
ええっと、データが入ってるUSBはパソコンデスクの上って言ってたよね…あ、これか。パソコンとプリンターも使っていい、とお許しを頂いているので、失礼しまーす。
「アンケートデータは、…これか。タイトルだけをいじれば大丈夫そうだな」
今回のタイトルを入力して、あとは印刷するだけ。えーっと、枚数はー…あ、この紙か。書いてあった通りにプリンターの枚数設定をいじり、印刷開始のボタンをぽちっとな。印刷が終わったら三好くんにパンフをもらって、劇場で仕分けすればいいか。
客席の掃除とパンフとアンケの設置は明日の朝でも間に合うし、できそうだったらこの後にやってしまえばいい。その準備さえ終わってしまえば、ひたすら受付でチケットの確認をするだけになるのかな。
それにしてももう明日が初日かぁ…本当にあっという間だ。稽古は一切、見学に行っていないからどんな感じになっているのかは全然わからない。一応、公演を見せてもらえることにはなってるけどどうなんだろうな。
受付が私以外にいればそれもできるだろうけど、遅れてくる人だってゼロじゃない。その時に対応する人が必要だし、他に手伝いを呼んでいるとは思えないから見れない確率の方が高そうなんだよね。いづみさんに頼むなんて以ての外だ。それは他の組の人達でも同じこと。映像に残したりするのかな、そうすれば後で見返せるのに。
「見れるかどうかはまだわからないけど、楽しみだ」
印刷し終えたアンケートをまとめながら、明日からの公演に胸を躍らせていた。