嫉妬しないで、なんて
「え、先輩達は二次会来ないんですか?!」
「カラオケ行きましょうよー!」
「それは現役メンバーだけで楽しんで来いって。俺達はもう引退してんだから」
春先に行った引退公演で私達4年生は、演劇サークルを引退した。もうメンバーではないけれど、今でも飲み会を開く時はこうして律儀に誘ってくれる。さすがに定期公演の打ち上げには参加しないけれど、そうではないただの親睦を深める為の飲み会なら時々、本当に時々だけど参加している。
卒論も形になり始めて、少し余裕もできたしね。まぁ、とはいえもう引退した身なのであまり長居はしないようにしてるけど。今回も二次会のカラオケに一緒に!と千鶴と橘くんと私は誘われたものの、丁重にお断りしました。
飲んだ後のカラオケははっちゃける人が増えるから、見てて楽しいんだけどねぇ…うん。
「相変わらず元気だよねぇ、ウチの後輩達は」
「確かにな。引退してもこうやって声かけてくれるし、有難いこった」
「あはは、それは本当にそう。それで私達はどうする?どこかで酔い覚ましにお茶でもしてく?」
時間が遅いから、と二次会を断ったわけではない。でも割と酔いは回りつつあるから、これ以上お酒を入れるのはちょっと遠慮したい所だ。
となると、選択肢としては真っ直ぐ駅へ向かうか、それとも駅前のカフェで酔いを覚ますかの二択になるわけで。せっかくだからお茶でもしてこうかと、まとまりかけた時、橘くんがふっと視線を逸らした。そしてそのままある一点を見つめてるんだけど、なに?
千鶴と私もその視線の先が気になって、同じ方へと視線を向けてみた。
「……臣くん?」
「あ、だよな。やっぱりあれ伏見だよな」
「だね。なに?伏見くんも今日、飲み会だったの?」
「そういえばそうだったかも…?」
朝、寮を出る前に確認したホワイトボード。臣くんの字で確かに『飲み会。遅くなる』と書いてあったような気がする。
話す時間はなかったから本人から聞いてはいないし、友人との飲み会なのかどうかもわからないけれど…一緒にいる人を見ると、写真部か友人との飲み会なのかな。それはまぁ全然いいというか、私が何か言えることでもないんだけども。だってプライベートのことだし。
思わず眉間にシワを寄せてしまったのはそういうことではなく、綺麗な女性が彼の腕に絡みついていたから。そんな現場を目撃しちゃったら、そりゃ眉間にシワも寄るでしょ。臣くんが困ったように笑っているのが見えたとしても。
(臣くんモテるからなぁ…)
それはもう昔からだと思う。惚れた欲目を抜きにしてもカッコいいと思うし、優しいし、面倒見も良い。
臣くん自身に下心やそういう意図が一切なかったとしても、あんな風に優しくされたら女性はイチコロだと思うんだよね。好きになってしまうのも無理はない。だって私もそのうちのひとりだし。彼に恋してしまう人の気持ちは、一応わかるつもりでいる。
それに私達はつき合っているけれど、つき合ってます!ってことを公言しているわけじゃない。共通の知り合いだったり、友人は知っている。それからサークルのメンバーも何となく察している人もいるけれど、それ以外の人達は大体が知らないと思うんだ。当然ながら。
一時期噂になったのか知らないけれど、つき合ってるの?って知らない人(多分、臣くんと同じゼミとか同じ学部の人)から聞かれることもあったけどさ。わかりやすく指輪をつけてるわけでもないし、大学内で常に一緒にいるわけでもないしね。口にしなければわからないと思う。
とはいえ、とはいえだよ。だからと言って、目の前に広がる光景を見て、嫉妬しないっていうのは―――些か無理な話だと思うんです。だって嫌なものは、嫌だから。
「しの、顔すごいことになってるけど…」
「…こんな顔にならない人がいたらすごいと思うんだよね、私」
「まぁ…それにしたって、東雲がそこまで顔に出すの珍しいけどな」
喜怒哀楽自体は普段から、割とハッキリしてっけど。
橘くんは苦笑を浮かべながらそう言った。自分だとよくわからないけれど、多分顔に出やすい方だとは思う…けど、一応周りに配慮する意思はあるから、不機嫌を顔に出さないように気をつけてはいる。
長年友人をやっている千鶴の前では、ちょこっと出ることもあるけど。あと対臣くんとか。橘くんの前ではどうだったかな、出さないようにしてたかも?この人との友人関係も4年目になりましたけれども。
「あー…でもあれは大分困ってんな、伏見の奴」
「助け舟出す?」
「…悪いんだけどさ、カフェでの酔い覚ましは私パスしていい?」
「しの?」
今までならモヤモヤとした思いを抱えながら、その場から逃げ出していたと思う。でも今日はお酒が入っていて気が大きくなっているのか、何なのか―――臣くんは私のなので、と宣言したくなっていた。
2人にひらり、と手を振って歩き出す。千鶴の問いかけに答えはしなかったけれど、きっと伝わっただろう。私の思惑は。
割と近くまで来れば臣くんと女性の会話も、嫌でも耳に入ってくる。しっかりと聞くつもりはないけれど、やっぱり彼にアプローチをしかけている子は写真部の後輩のようだ。
どうやら私達と同じ一次会が終了した所のようで、中にいる人達が出てくるのを待っている感じかなぁ。…なんか盗み聞きしているみたいで嫌だから、さっさと目的を果たしてしまおう。
女性の腕が緩んだ瞬間を狙って、臣くんの腕を引いて自分の方に引き寄せた。当然ながら臣くんの驚いた声と、女性の怪訝な声が耳に届いた。素面だったら怯んでたかも、って思う。本当に。
「―――ごめんなさい。この人、私のなんで」
にっこり笑みを浮かべてそう言葉にすれば、女性だけでなく臣くんまでビックリしているような気配を感じた。
何であんたまでビックリするのよ…そんなに意外かなぁ?私がこんなこと言うの。
「伏見、お前二次会は来ないんだっけ?」
「ああ。迎えも来たから帰るよ、またな」
「おー、また大学でな」
臣くんはさっきまでアプローチしてきていた女性にもしっかりと挨拶をして、行くぞと私の頭を撫でた。頭を撫でられるとは思ってなくて、ちょっとだけビックリしてしまう。
そのはずみで腕から手を離してしまったけれど、するりとさり気ない仕草で指を絡められた。普段からしていることなのに、何でこんなにもドキドキするのかなぁ。
顔に熱が集まってくるけれど、お酒を飲んですでに赤くなっているだろうからきっと臣くんには気づかれないかな。
「サークルの飲み会、この近くだったのか?」
「うん。さっきまでは千鶴と橘くんも一緒だったけど」
「2人は?」
「多分、先に帰ったと思うんだけど…」
何処かで待っていてくれたらまずいな、と思い直し、臣くんに断りを入れてからスマホを取り出す。電源ボタンを押してみると、2人からメッセージが届いていた。
それぞれ「今日は先に帰ってるね」とか、「今度は4人で飲みに行こうぜ」とか書いてあって、思わず笑みが零れる。念の為に確認しておいて良かった、返信は後でちゃんとしよう。
臣くんにも先に帰ったみたい、と教えてあげれば、そうかとホッとしたような笑みを浮かべた。
「―――…さっきの人、後輩?」
「ん?ああ、後輩だよ。写真部の」
「ふぅん…臣くんに気があるみたいだったけど」
「あー…どうだろうな」
困ったような笑みを浮かべている臣くんは、きっと気がついていないのだろう。彼女がどんな目をして臣くんのことを見つめていたか、なんて。
でもわざわざ教える必要もない、しっかり『私のだ』って宣言もしたし…酔いが回っていて今日のことを覚えていないということがない限り、これ以上のアプローチはないと思う。思うというか、私がそう思いたいだけなんだけど。
(恋人がいようが何だろうが、奪いに来る人だって世の中には存在するしね…)
諦めないことは決して悪いことではないと思うけど、思うんだけど…時と場合と、その内容によるかもしれないと思う今日この頃だと思います。自覚はあるけど、私も酔いが回ってるなーいい感じに。
繋いだ手に少し力を込めて、更に隣を歩く臣くんにくっつけば、ふっと笑う気配がした。
「珍しいな、お前があんなことハッキリ言うなんて」
「思い返すと、大分性格悪いことしたなーとは思ってる」
後悔はしていないものの、ちょっとだけ反省はしている。
臣くんも引退している身とはいえ、後輩達との仲が変に拗れたりしてしまったら、申し訳ない気分になる。本当。そうなったらごめん、と心の中でそっと謝っておく。
かなり慕われているっぽいから、大丈夫かなぁと思いはするけど…その辺は私にはわからないからなぁ。写真部で活動している臣くんは、私の知らない臣くんだから。
「嬉しかったよ。初めて言ってもらえた」
普段から甘い蜂蜜色の瞳がいっそう甘くなり、尚且つ蕩けそうな笑みを浮かべて顔を覗き込まれたら、そんなのドキッとするじゃないか…!
逸る心臓を落ち着けるようにゆっくり呼吸を繰り返していると、額に彼の唇が触れた。あ、無理だ。こんなの落ち着けるわけがない。
「ちょ、…臣くん、もしかしなくても酔ってる…?!」
「そりゃ多少はな。でも意識はハッキリしてるから大丈夫」
「いや、そういうことじゃなくてここ外…!」
「飲み屋街だしな。こっちが思う程、周りなんて見てないよ」
そうかもしれないけど、そういうことじゃなくってね…!
いや、唇にされなかっただけまだマシなのだろうか?額でも恥ずかしいことに変わりはないのだけれど。怒りたいのに触れてくれたことが想像以上に嬉しくて、何も言えなくなってしまった。
もういいや…気にしたってもう済んでしまったことだし、過去に戻れるわけでもない。開き直ってしまった方が早いと思う。うん、そうしよ。
そっと隣を歩く彼を見上げてみれば、どこか嬉しそうというか…いやに機嫌がいいなぁ。そんなにさっきの私の発言が、嬉しかったのだろうか。確かに今まであんなこと言ったことはなかったけれど、そこまで?ってなってしまうのは仕方がないと思うんだよね。
不安になったことなんてないよ、と言われたことがあるけれど、心の奥底ではやっぱり不安に思っていた部分もあるのかもしれない。私には明かさなかっただけで。臣くんも大概、自分のことは抱え込んで飲み込んでしまうタイプだから。
『異邦人』の公演を乗り越えて、少しずつ変わっているようには思うけど。
「ねー、臣くん」
「うん?」
「酔っ払いの戯言で片づけてくれて全然いいんだけど…」
歩みを止めて臣くんを見上げれば、キョトンとした顔で見下ろされた。首を傾げるオプション付きで、思わず可愛い!って叫びそうになったのは私だけの秘密である。
深呼吸をひとつして、繋いだままだった彼の右手をぎゅっと握り込む。そして薬指にそっと指を這わせれば、僅かに彼の体がビクリと揺れた。
「ちょ、はる…?何して、」
「私―――…薬指に、私のだって証を嵌めたい」
特別お揃いのものに憧れが強かったわけではない。わかりやすい証を強く望んでいるわけでもない。
でも―――今日、アプローチされている臣くんを改めて目の当たりにして、『虫除け』になるものが欲しいと思ってしまったんだ。一発で誰かのだとわかる、その証が。
そんなものなくたって臣くんが浮気するなんて、そんなこと思っていないけれど…それとこれとはまた話が別だと思うんだ。
信じていてもやっぱり、離れてしまう未来がすぐそこまで来てしまっているから、安心できる要素をひとつだけ増やしたいって。
「縛りつけたいわけじゃない、けど、でも…離れていても大丈夫だって、そう思ったら欲しくなった」
「…じゃあ、はるも嵌めてくれるか?俺のだって証」
「うん、もちろん」
「ますます離してやれなくなるぞ?そんなこと言うと」
見下ろしてくる蜂蜜色は、どこか苦し気で。
何でそんな顔をするんだろう。私は臣くんから離れるつもりなんて、これっぽっちもないのに。
「いいよ。いらなくなるその日まで、隣に置いて」
「今の所、そんな日は来そうにないけどな」
「―――…うん。来なかったらいいな、とは思ってる」
「そうか。……明日、見に行くか?指輪」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ見に行こう。一緒に」
お酒は飲んだけれど、きっと二日酔いにはならないだろう。お互いに。
そうと決まれば早く帰って、お風呂に入って、寝る支度を済まさねば。せっかくのデートの約束だもの、寝坊なんてしてしまったらもったいないもんね。