ひとまず、顔を見せに来ました。
両手で頬を叩いて気合を入れる。鏡を何度も何度も見て、目が腫れてないか、そして隈ができていないかを念入りにチェック。一応、いつもしている軽めのメイクを施しているものの、あまりにひどいとそれでも隠しきれなくなっちゃうからね。…うん、よし!目は腫れてないし、隈もできてない。ほぼいつもの私、と言っても問題はないだろう。これなら皆の所へ顔を出せる。お礼に、とお母さんと一緒に選んだ菓子折りを持って、私は家を出た。
特に連絡は入れていない。いないけれど、今日は日曜だし誰かしら寮にはいるだろうと高を括っている次第です。少なくとも学生組はいると思って大丈夫だろうし。心配なのはいづみさんと左京さんなんだよな…もしかしたら留守かもしれない。
そんなに心配なら先に連絡を入れておけよ、と思うんだけど、正直な所、今日起きるまで行こうかどうしようか悩んでいたくらいなので。連絡していたとしてもドタキャンしてしまう恐れがあったから、だからしないまま突撃訪問をしようと思ったんです。大迷惑になるのをわかっていながらも。
自転車のペダルを漕ぎながらふと、緊張し過ぎて吐きそうだな、と乾いた笑いが零れた。あ、マジでこれは緊張MAXだ。どうしよう、やっぱり帰ろうかなとまで思い始めた時、まるで帰るなよと言われているかのように視界に入ってしまったMANKAI寮。ここまで来てしまったのだから、もう逃げることは許されない。―――そう思っているのは、私だけだろうけれど。
自転車を適当に止め、深呼吸を1つだけしてインターホンを押すとすぐにパタパタと誰かの足音が聞こえた。
「はーい、……遥ちゃん?!」
「こ、こんにちは…いづみさん」
ドアを開けてくれたのはまさかのいづみさん。今日、できれば会えたらいいなぁと思っていたうちの1人に会えたので、最早私の目的は達成されたのも当然だと思う。菓子折りだけ渡して帰ろうか、と一瞬だけ考えたけど、お話しなければいけないことがあったんだ、と思い出し、上がっていって!と笑う彼女の背中を追った。
「あっ遥さん!」
「東雲さん…!」
「久しぶり、佐久間くん、皆木くん」
談話室にいたのは佐久間くんと皆木くん、それからキッチンでお菓子を作っているらしい臣くんの3人だけ。他の人達は出かけていたり、部屋にいるんだって。いづみさんに呼んでくる?と聞かれたけれど、全員大集合されても私が困るので止めてください…!と懇願しました。会いたくないわけではない、断じてないけれど、集合されるのはとても困るのです。
あ、でも左京さんにはお礼とお話があるので呼んでもらいたいな。
「左京さんは部屋ですか?」
「うん、今日は寮にいるって言ってたから。呼んでこようか?」
「…お願いします」
「じゃあ俺が呼んできますよ、監督」
「あ、ほんと?ありがとう、綴くん」
談話室を出ていく皆木くんを見送って、私は促されるままにソファへと腰掛けた。その向かい側にはいづみさんが座って、間にあるローテーブルの上に臣くんが紅茶とお菓子を置いてくれました。ちなみにお菓子は臣くんお手製のスコーンだったりする。持ってきた菓子折りは皆で食べてください、と先に渡しておこう。あとに回しちゃうと絶対忘れて帰っちゃうから。
左京さんが来るまでの間に紅茶でも飲んで、まだ僅かに残っているこの緊張を鎮めておかないとちゃんとお話ができる気がしない。いつもは入れないミルクと砂糖を入れてゆっくり飲んでいると、談話室のドアが静かに開いて久しぶりだな、と左京さんの穏やかな声が聞こえた。
「お久しぶりです、左京さん」
「ああ。…話があると聞いたが」
「そうなんです、大したことではないんですけど…」
「あっあの!」
「どうしたの?咲也くん」
「お、俺と綴くんは席外した方がいいですよね?!」
「…それだったら俺もいない方が良さそうだな」
慌てた様子で捲し立てる佐久間くんと苦笑を浮かべながら言う臣くんに、私は思わずポカンとしてしまう。いづみさんと左京さんはどうなんだ?という顔をして、私を見た。あ、そうか、話がしたいと言ったのは私だから2人共、こっちを見てるのか。
別に2人以外に聞かれたらマズいって話じゃないし、むしろ聞いてもらった方が頼みやすくていいかも…?臣くんには元々、お願いしようかなぁとか思っていた所だし。大丈夫だよ、そのまま此処にいてって笑顔を浮かべて返事をすれば、3人は少し離れたダイニングテーブルにそれぞれ腰を落ち着けた。さて、では改めて話をするとしましょうか。
「実は母が古書店を閉めることにしまして…」
「えっ?!いつ?!」
「今月末に完全に閉める予定です。それで私が話したいのはここからでして」
「?どういうことだ」
そこまでお店の規模は大きくないものの、取り扱っている本の数は膨大だ。知り合いの古書店や街の図書館などに声をかけて、本を引き取ってもらえるようお願いをしている最中なのです。まぁ、それはお母さんがやっているから私がするべきなのは本の箱詰めなんだけどね。
…っと、話が逸れた。私がお礼も兼ねてこの寮を訪ねてきた理由は、戯曲の本を引き取ってもらえないかお伺いを立てに来たってわけ。佐久間くんはよく図書館で借りているって話を聞いているし、皆木くんも脚本を書く時の資料やネタ集めとしてよく読んでいると言っていた。ウチにはそこそこの戯曲の本が並んでいたし、その貴重さは短期バイトをしてくれていた彼らが一番知ってくれているはず。
図書館に寄贈しても良かったんだけど、だったら最初からMANKAIカンパニーに引き取ってもらった方がいいんじゃないか?って思ったのよね。それでお母さんに相談してみたら、二つ返事でOKをもらったので話をしに来たのですよ。
「成程、戯曲の本か」
「なかなかに貴重なものもありますし、損はないと思いますよ」
「あ、それは俺と咲也が保証するっす。本当にすげぇ古いやつまであったし」
「…なら、お言葉に甘えるとするか。駄賃は箱詰めの手伝いで構わねぇのか?」
「わ、話が早いですね。でも戯曲の本の箱詰めと運び出しだけしてくれれば、他は大丈夫です」
臣くんにはお願いしちゃうかもしれないけど、と付け足すと、彼は柔らかな笑みを浮かべていつでも声をかけろ、と言ってくれました。
「そういうわけにもいかないよ!きっちり最後までお手伝いするから!」
「俺もお手伝いします!お世話にもなりましたし」
「あんまり大人数じゃ迷惑だし、咲也と伏見さんと俺でいきますよ」
「俺と監督さんも行く。どれを引き取らせてもらうか、見る人間がいた方が効率もいいだろう」
それは確かに。いづみさんは総監督として全組の稽古についているんだろうし、左京さんもたまに指導しているみたいだし…その2人が来てくれればどんな戯曲の本がカンパニーに必要か、見極めることもできるでしょ。まぁ、全部持っていって構わないんだけど、数が数だしなぁ。さすがに量が多いだろうし、全部が全部稽古やネタ集めに使えるとも限らないし。
「一応、まだお店は営業しているので…そうですね、都合が合うのならば来月の最初の日曜日にでも来てください」
「お前ら、予定はどうだ?」
「何も予定ないんで大丈夫ですよ」
「っす」
「俺も問題ないです」
「じゃあ、その日に伺うね。左京さん、車って出してもらえるんですか?」
「荷物が多くなるだろうからな。出してやる」
軽く見積もっても段ボール4〜5箱分にはなると思うから、車で来るのは賢明な判断だと思う。選別すればもう少し減らせるかもしれないけど、どうなるかわからないし、そこそこ重量があるからやっぱり歩いて持って帰るのは大変だ。ウチから寮まで近いわけでもないしね。
「それじゃ私は帰りますね。来る時に連絡ください」
「もう帰っちゃう?夕飯、食べていけばいいのに…」
「今日は私が夕飯の当番なので、帰ります」
「そっか、…また遊びに来てね。夏組の子達が公演の録画を一緒に見たい、って言ってたから」
「…はい」
お邪魔しました、とお辞儀をして談話室を出た。
玄関で靴をはいていると、穏やかな声音が私の名を呼ぶ。安心できて、落ち着く大好きな声。
「これ、持っていけ」
―――臣くんの、声だ。
「ありがと。お母さんと食べる」
「そうして。…明日、弁当作ってくから一緒に食べようか」
「え、でも…」
「綴にも言っておくから、良ければ3人で。そうすれば少しは食えるだろ?」
「…敵わないなぁ、臣くんには」
まるで何でもお見通しのエスパーだね、私の自慢で大好きな幼なじみは。