逃げるが勝ちが通用すると思ったか?
俺の幼なじみは、こうも逃亡癖があっただろうか。
零れそうになる溜息を慌てて飲み込んで、クッキーの型抜きを再開した。型抜きをしながらも思考はしばらく寮に帰ってきていない幼なじみ、はるへと向いている。切り替えよう、切り替えようと思ってはいるんだが…どうも上手くいかないな、こういうものは。気を抜くとすぐに手は止まるし、溜息を吐きそうだ。
あまりそういう所を見せると太一や咲也、それに十座と椋も心配しちまうからな。なるべく隠し通したい。個人的なことで心配かけてしまうのは、どうしたってしたくないから。
side:臣
「あっ臣クンなに作ってるんスか?」
「太一、十座もおかえり」
「ただいまっす」
「ただいま!」
「クッキーは焼けた分、テーブルの上にあるぞ。手洗いとうがいして、着替えてこい」
今、型抜きしているのは第二弾分だ。焼き上がって粗熱を取った第一弾分はもうテーブルの上に、瓶詰して置いてある。それを指差して教えれば、2人共嬉しそうな顔をしてキッチンを出ていった。仲間達は皆、何か作ると嬉しそうに笑ってくれるし、美味しいって言ってくれるからもっと作りたくなっちまうんだよなぁ。菓子に関しては十座がトップクラスだが。…はるも、いつも俺が作るものは何でも美味しいって笑ってくれていたな。最近は顔を合わせてないこともあるが、アイツが笑った顔を見ていない気がする。けど、そのきっかけを作っちまったのは他の誰でもない、俺だ。
それは否定しないし、否定のしようもないんだが…あの日のあれは一体、何だったんだろうか。酔っ払った勢い?いや、確かに酔っ払ってはいたがあれは冗談だとか、そんなものではない───と、思う。
最初はやらかした俺のことを責めたいんだろうと思った。けど、責めることが目的ならあの行為は…キスは、する必要なんてない。もしかしてあの日の仕返しか?とも考えたけどな。でもアイツは悪戯好きだが、そういうことはしない奴だ。だからきっと、あれは仕返しでも何でもないんだろう。
酔っ払って、理性が外れかけて、隠していた本音が漏れたと考えるのが妥当かな。でもそうだとすれば、尚更質が悪いけど。だってどう考えたって、あれは告白されてるようなもんだ。おまけにキスまでされたら、こう…僅かな期待だってするさ。
「那智が…好きだったんじゃないのか、お前は」
根拠があるわけでもないし、はるの口から聞いたわけでもない。ただ、第二回公演を終えた後にカントクと一緒に行った那智の墓参りで俺がそう思っただけ。それだけか、と言われれば確かにそうなんだが、そう考えればはるが那智の名前を呟いていた理由も、月命日に欠かさず墓参りに行っていた理由も納得がいくから。…だからなんだろう。はるの言葉に、行為に素直に喜べない自分がいるのは。
俺ははるのことが好きだ。綴と話をしてようやく自分がどんな思いを抱えていたのかってことに気がついた。アイツが他の奴らと仲良さそうにしているのを見た時、あっさりと懐かれている姿を見た時、ズキンと胸が軋むように痛んだのは…嫉妬していたからなんだろうな。
手に入れたい、自分だけのものにしたいと思う反面、大切にしたいからこそ…これ以上は近づいたらダメだ、と律する自分もいるんだ。大切に思えば思うほど、傍にいたらまた傷つけるかもしれない。また失うかもしれない。そう考えると、怖くて仕方がないんだ。二度目はきっと、俺は立ち直ることができない。はるまで失ってしまったら、どうしたらいいかわからなくなる。
そんな思いをするくらいなら、ただの幼なじみのままでいいって思っていたのに…あの日、どうしようもなく触れたいと思ってしまった。それ自体がきっと間違いだと思ってはいるのに、したことを後悔していないっていうのはさすがにマズいんじゃないか?けどその気持ちに嘘はないしな…。
「臣さん、これ美味いっす」
「あ、ああ、そうか。良かった」
「そういえばはるチャンってまだ帰ってこないんスか?」
「衣装作りが手こずってるらしい。でもそろそろ片がつくって綴が本人から聞いたみたいだけどな」
いつの間にか着替えて戻ってきたらしい十座と太一の声に、ようやく意識が戻った。危ない…あのままだったら確実に無限ループ状態だった。
「衣装作り?はるチャン他劇団の手伝いでもしてるの?」
「いや、アイツは演劇のサークルに入ってるんだ」
「えっそうなの?!」
「…そんなに驚くことか?」
「多分、臣さんと綴さんしか知らないと思う。あの人、自分のことあんまり喋らねぇから」
まぁ、確かに十座の言う通りかもしれない。聞かれればきちんと答えるけど、自分のことを進んで話す奴じゃないかもな。現に今、そうだったし。さすがにしばらく寮を留守にするってことだけは、自分から皆に話してはいたけど。
でもそうか、思い返してみればその時も忙しいからってことしか言ってなくて、何で忙しいとか詳細は言っていなかったか。俺や綴は大学が同じだし、共通の知り合いがいたりするから知らずの間に情報が入ってくるけど。それが普通ってわけではないんだよな。
「…忙しいんすか、そのサークルって」
「うーん、今は定期公演前だから忙しいみたいだが、そうじゃない時はそこまでじゃないと思うぞ」
「臣クン、最近ははるチャンと話してる?」
「え?」
「ちょっと前、何かおかしかったから」
太一の向かいに座っている十座もクッキーを食べながら頷いている。…しまった、こいつらにもわかってしまう程に態度がおかしかったのか。俺達。いや、自覚がなかったわけじゃないんだが隠せていると思っていたから。鋭い太一の言葉に曖昧な笑みを返すことしかできない。
話さなくちゃいけないことはわかっているし、そうしないと何も変わらないこともわかっている。けれど、何をどう話したらいいのかサッパリだ…それに今度はうっかり自分の気持ちをぶちまけてしまいそうで。それをしてしまったら最後、俺達の関係は確実に変わってしまう。変わることは悪いことばかりではないと思う、それでもアイツとの関係は…変えたくないし、変わってしまうのが怖い。
でもせめて、少し前の関係性には戻れるよう努力しないとな。どう考えたって一番難しいことを、俺は考えていた。
「ねぇ臣クン」
「どうした?」
「俺っちが口挟んでいい問題じゃないとは思うんスけど、ずっと同じじゃいられないよ?」
「ッ」
「きっと行動に移さなきゃ、いなくなっちゃう。とられちゃうッス」
太一の言葉は―――…誰よりも、何よりも的確で。
「あ、伏見さん。東雲さん、今日帰ってくるみたいですよ」
「そうなのか?」
「あと15分くらいで駅に着くらしいっす」
結局、あのまま何も返せずにいた俺は顔には出さないよう気をつけたまま、悶々と考え込んでいた。そんな時、談話室のソファに座ってスマホをいじっていた綴がはるの帰宅を教えてくれて。
見上げた時計は、もうすぐ23時になろうとしている。駅から寮まで何時間もかかる距離じゃないけど、この時間じゃあさすがに一人歩きは危険だな。嫌がるかもしれないけど、迎えに行くか。
「…ちょっと出かけてくる」
「あっ俺っちも行っていいっスか?コンビニ行きたいッス」
「いいぞ」
「やった!綴クンも一緒に行こうよ」
「んー…そうだな、甘いモン欲しいし」
一緒に行くことになった綴と太一は、談話室にいたメンバーに何かいるものがないか聞き回っている。それぞれ頼まれたものをメモし、俺達は寮を出た。駅前のコンビニで頼まれたもの、綴達が元々買う予定だったものを買って駅に向かうと、ちょうど電車が着いた頃だったらしく駅前は遅い時間だというのにかなりの人がいた。
はるも多分、この電車に乗っていたはずなんだが…もしかしてもう1本遅いやつか?綴達と一緒にキョロキョロと辺りを見回していると、見慣れた顔が目に入った。改札口を出た彼女と目が、合う。片手を挙げてはる、と名前を呼ぼうとした瞬間、アイツは何を思ったのか脱兎の如く駆け出した。まぁ、ポカンとするよな。
「えっ?!今のはるチャンっスよね?!逃げたっスよ!!」
「逃げたな、思いっきり」
「…綴、太一。悪いけどこれ頼む」
「リョーカイっす。気をつけてくださいね」
持っていた荷物を2人に預け、逃げたはるを捕まえる為に走り出す。捕まえて何を言おうとか、何で逃げるんだとか、頭ン中をグルグルと色んなことが回ってる。でも1つだけハッキリしてるのは、俺から逃げられると思ってるのかってことだ。
「足の速さで…俺に勝てると思うな、よ!!」
伸ばした手が、やっとはるに届いた。