観念する時がきたのだろう
ようやく手こずっていた衣装作りの目処がつき、私は寮に戻ることにした。臣くんやいづみさんの料理が恋しいとは思うけど、正直な所、まだ逃げたままでいたいと思っている私がいる。
ギクシャクとした関係を修復したいけど、でもそのことについて臣くんと話そうとすると、きっとあの日の行為の理由とかその他諸々を話さなくちゃいけなくなるじゃない?それが、したくないんだ。だって私が臣くんを好きだって、改めて告げなくちゃいけなくなるから。それで彼から断りの言葉を、謝罪の言葉を聞かなくちゃいけなくなるから。そんなの聞きたくないじゃない。
溜息を吐いてICカードをかざして改札口を出る。寮までもう少しだな、とか考えながら顔を上げると、その先にはキョロキョロと辺りを見回している臣くんと綴くんと太一くんがいた。臣くんが私の姿を見つけ、片手を挙げた時―――私は駆け出した。脱兎の如く、とはよく言うけれど、正に今の私はそれだと思う。
後ろからは太一くんの驚いたような声が微かに聞こえてくるけど、足を止めてる場合じゃない。逃げなくちゃ、今はまだっ…臣くんと真正面から向き合う勇気なんて持ち合わせていない!
「足の速さで…俺に勝てると思うな、よ!!」
少し低めの臣くんの声。声が聞こえるのと同時にグッと腕を掴まれ、引っ張られた。バランスを崩してコケると思ったけど、そこはさすが臣くんだ。ちゃんと支えてくれてる。…まぁ、バランス崩したのはアンタが腕を引っ張ったからなんだけどね?!
そんな文句も浮かんでるけど、久々に全力疾走したせいで何も紡げない。開いた口から漏れるのは、乱れた吐息だけ。つーか、臣くんに勝てるはずもなかった…速さも持久力も何もかも負けてるじゃん。最初から捕まるのわかってるじゃん、これ。
「な、なんで……!」
「綴に送っただろ。もうすぐ着く、って」
「あの野郎…!!」
「アイツを怒るのは筋違いだからな。教えてくれたのは綴の好意だ」
うん、確かにそれはそうだけど!でもこの何というか、どうしたらいいのかわからない感情を誰かにぶつけたくなるじゃないか。
いまだに体を折り曲げぜいぜいと呼吸を繰り返す私の背を、臣くんが優しく撫ぜる。でも掴まれた腕はそのままなもんだから、傍から見るととんでもない光景になっているんじゃないだろうか。これ。もう遅い時間帯だから、少し駅から離れてしまえば人通りはまばらなものの…下手すりゃ通報案件になるんじゃないの?
「…頼むから、逃げないでくれ。はる」
「逃げて、ない」
「はいはい。とりあえず寮に帰ろう、それでメシ食って」
「……うん」
帰ろう、というその言葉に、私はそっと顔を上げた。見上げた臣くんの顔は月明かりの逆光でちゃんと見えなかったけど、でもきっと苦しそうに笑っているんだろうって、容易に想像ができてしまう。そんな顔をさせているのは、他の誰でもない私なのだけれど。僅かな優越感と、それを遥かに超える罪悪感で胸がズキズキと痛む。
ほら、と差し出された手におずおずと自分の手を重ねると、そのままギュッと握られた。相変わらず大きな手…私の手なんてすっぽりと包まれてしまう。昔からこの手が好きで、好きで仕方なかった。少しだけその手に力を込めれば、臣くんはすぐに顔だけをこっちに向けて、ん?って微笑むの。どうしたんだ?って笑うの。寮に着くまでの間は―――この人を、独り占めしたい。
「お、みくん」
「ん?」
「…なんでも、ない」
「ははっ何だそれ。じゃあ俺からいいか?」
「なに?」
「メシとか風呂とか、全部済んだら…お前の部屋に行ってもいいか?話、したい」
どくりと心臓が鳴る。話なんて、私はない。一切ない。というか、したくないっていうのが本音なんだけど。素直にそう零してみても、俺は聞きたいことも話したいこともあるから嫌だ、だって。
許可取ろうとしてる口調なのに、そんなの拒否権ないんじゃない。遠慮もせずにムッとした表情を浮かべても、臣くんはどこ吹く風。今回ばかりは譲れないと言わんばかりの頑なさだ。臣くんって優しいけど、時たまめちゃくちゃ頑固だよね。私もだけど。譲れない部分は本当に、頑として譲らないけど。
これはあれかな、いい加減に腹を括ってフラれてこいって天のお告げかな。うわ、泣きそう。はは、何の話をするのかもわかってない状態でこれって…実際に話をしたら私、人目も憚らず号泣するんじゃないの?結局、私は断り切れずに頷くしかなかったんだけど。
「はる、入ってもいいか?」
「はーい、どうぞ〜」
寮に戻ってから遅めの夕ご飯を食べ、お風呂に入って部屋に戻る頃には日付はとっくに変わっていた。
髪をタオルで拭いていると、臣くんがドライヤー片手に入ってきた。何でドライヤー持参?と首を傾げながら問いかけると、乾かしていない予感がしたからとしれっと返されましたとさ。うん、本当によくできた幼なじみだこと!ほら座って、と言われて、大人しくクッションを抱えて床に座り込む。後ろに回った臣くんは慣れた手つきで私の髪を乾かしていく。小さい頃からこうだったから、そりゃあ慣れるよね。
「臣くんさ、この寮に来て確実に世話焼き度上がってるよね」
「そうか?」
「自覚なしかい」
「まぁ、好きでやってるし」
お兄ちゃんっていうか、お母さんだ。うん、お母さん。
「俺、はるの母親にはなりたくないかな」
「えっ」
「母親より恋人になりたいけど」
カチッとドライヤーの電源ボタンが押される音。臣くんの終わったよ、と紡ぐ優しい声。そして肝心の私は、数分バッチリ固まった後にズザーッと勢い良く彼の傍から離れました。
え、え、今、この男は何て言いやがった…?!
母親になりたくないっていうのはまぁ、理解できる。性別変わっちゃうし。でもきっと臣くんの『母親になりたくない』っていうのは、そういう理由で嫌なのではなく…恋人になりたいから嫌だ、っていう理由なわけ、なのだよね?えっこの男、恋人になりたいって言った?!もう色々衝撃すぎて、日本語が不自由です!!!
「えっちょっ…えっ?!」
「聞こえなかったか?俺ははるの恋人に―――」
「わーっ!聞こえた!聞こえたから二度も言わなくていい!死ぬ!!」
恥ずか死ぬって本当にあるかもしれない…!けれど、沸騰しそうになっていた思考は徐々に徐々に冷静さを取り戻していく。だって、大事なことを思い出したから。私の恋人になりたい、と言った臣くんは、いづみさんが好きなんでってことを。
顔はまだ熱い、それこそ火が出そうなくらいに。…でも思考回路だけは、水をかぶったみたいに冷ややかだ。
「なぁ、はる。俺は―――…自惚れていいのか?」
「ッぁ…」
「あの日のキスも、言葉も、俺のことが好きなんだって思っていいのか?」
「臣、くんは……いづみさんが好きなんじゃないの」
ドクドクとうるさい心臓を無視して、震えそうになるのを必死で耐えて、それでも紡がれた言葉は笑っちゃうくらいに震えていた。しん、と静まり返る室内に、私の心臓の音だけが響いている気がする。
静寂を破るように、彼の低い声が「何でカントク?」と呟いた。そっと見た顔には困惑の色が浮かんでいて、私の方があれってなっちゃうんだけど。だけど自分の勘に自信はあったから、素直に那智くんのお墓参りにいづみさんと2人で行っていたから、と答えました。答えたんだけど、…臣くんは一向にいづみさんを好きだってことを認めようとしない。えええ?だんだん混乱してきたよ、私。
「ち、違うの…?」
「違うよ。俺が好きなのは、はるだ」
「えっ…ええええぇ……?!」
「お前こそ、…那智が好きなんじゃないのか」
「なんで那智くん…?」
今度は私がきょとんとする番だった。というかコイツ、自惚れていいのかって聞いてきた後に、どうして私の好きな人は那智くんなんじゃないのかって聞いてくるの?酔っ払いの戯言とはいえ、あれは確実に告白紛いの言葉だったから私からすれば疑う余地もないと思っていたのだけれど。
わけがわからなくて首を傾げれば、那智くんの月命日には必ずお墓参りに行っていたからって言われたんだけど…いや、大事な友達のお墓参りは行くものでしょ?!何でそれが那智くんを好きだって思い込む理由になるんですか!って思ったけど、私のも似たようなものだった。
でもまだ私の方が信憑性というか、そういうものがあると思う。だって頑なに行こうとしていなかった那智くんのお墓参りだし、それにずっと隠し続けていた過去とかそういうものをいづみさんには自分から話したし…その事実を知った時から、いづみさんは臣くんにとって特別な人なんだなって漠然と思っていたんだ。
「確かにカントクは俺にとって大切な存在だけど、はるが言うような想いはひとつもない」
「…うん」
「気がつくのが遅かったけど、でも…はるが好きなのは本当だ。嘘でも冗談でもない」
引いたはずの熱がじわじわと戻ってきているのが、わかる。顔が熱い。本当に…本当に臣くんは、いづみさんじゃなくて私のことが好きなんだ。
それは嬉しい、素直に嬉しい。私の気持ちもちゃんと伝えなくちゃ、って思ってるのに、頭ではそう理解しているのに―――キャパを超えたのか何なのかわからないけど、何故か逃げるようにしてベッドに潜り込んだ。
「…え、はる?」
「ごっ…ごごごごごめん!いや、あの、言わなきゃって思ってるんだけどわかってるんだけど体が言うこときかないっていうか何というか!」
「うん、ちゃんと聞くからとりあえず落ち着け」
「あの、…色々、キャパオーバーでっ…ちょっと本気で死にそうなのでまた後日でもイイデスカ……!!」
この時ほど、自分自身をバカだと思った日はないと思う。後日にするって、本当なに言ってるんだよ私。