逃れられないのだと知れ


忘れたいと願っても、どんなに強く願っても忘れられないことは存在する。束の間の時間、忘れることができたとしても…ふとした瞬間に思い出して、強い絶望を連れてくる。絶望と、虚無と、闇が―――私を掴んで離さない。
少しでも気を抜けばきっと、奈落の底へと引きずり込まれるに違いない。





「え?リズ行かないのか?」
「うん。特に買い足さないとマズイものもないし、船にいる」
「珍しいな?船長もいるのに」
「読みたい本もあるから。いってらっしゃい、気をつけてね」


グランドラインまであと少し。キャプテンとベポくん曰く、今回立ち寄った島が補給できる最後の島らしい。つまり、この島を出ればグランドラインは目と鼻の先―――ということになる。なので、その前に英気を養おうという誰かの提案で3日程、この島に滞在することとなった。それも宿を取って。夜は酒場で宴会もするんだってさ。
幸いにもこの島はグランドラインを目指す海賊が多く立ち寄るらしく、堂々と街を歩いたりしても問題ないんだって。それはラッキーだなぁ、と思う。とはいえ、船を無人にはできないから数人が船番として残るんだけどね。私は船番ではないんだけど…今回は残ることにした。


「まぁ、リズがいいならいいけど…夜の宴会には来いよ。これ店までの地図な」
「わかった。ありがと、ペンくん」
「……何か隠してるわけじゃないよな?」


ペンくんの言葉、そして僅かに見えた鋭い視線にドクリと心臓が跳ねた。でもこの動揺を、不安を知られるわけにはいかないから。何も隠してないよ、と笑顔を浮かべる。声音も明るくして、大丈夫だよと告げた。
ペンくんが納得したかはわからない、でも彼はそれ以上のことは追及することなく船を下りていった。ただ一言、そうかと呟いて。


「ペンくんは、鋭いなぁ…」


きっとキャプテンも不思議に思っているんだろう。あの人もまた鋭い人だから。何も知られないまま、起きないまま、3日間が過ぎればいい。私はただ、そう祈ることしかできない。
ふるり、と頭を振って、ずいぶんと静かになった船内へと足を進める。自室から本を持ってきて、それから食堂で飲み物を用意して…甲板で読もうかな。船番ではないけれど、見張りにもなるし。きっと何も起きないだろうけれど、他にも海賊団が停泊中だという話だし用心しておくに越したことはないだろう。
不安な心が前に出てこないように、必死でキャプテンや他のクルー達のことを考える。ハートの海賊団のことを考える。どうすれば守れるかとか、酒場にはどんな種類のお酒があるんだろうとか…色々なこと。そうしてハートで頭をいっぱいにすればきっと、良からぬことは考えずに済むもの。


「あ、リズ。本読むの?」
「うん。ベポくんは日向ぼっこ?」
「今日は天気がいいから」
「だねぇ。温かくて気持ちいいよね」


ざわざわと落ち着かない胸。多少リラックス効果はあるかもしれない、と本のお供に選んだ飲み物は、蜂蜜たっぷりのホットミルクだ。まだ熱いマグカップとお気に入りの本を持って甲板に出ると、そこには気持ち良さそうに寝そべるベポくんがいらっしゃった。
そういえば買い出し班の中にも、街へ遊びに行くクルーの中にもいなかったっけ…でもこの子は船番でもなかったはず。ということは、自発的に船に残ったということになる。私みたいに。


「もふもふ……ベポくーん寄っかかってもいい?」
「いいよ」


おお、もふっと気持ち良い感触だ。陽に当たって温まった毛もなかなかにいいな。そりゃあキャプテンもベポくんに寄り掛かって昼寝したり、本読んだりするはずだよなぁ。これは気持ちいい、ハマる。そして落ち着く。気を抜くと寝ちゃいそうだな〜…でも寝て過ごすのはちょっともったいない。だけど誘惑に負けそう。
ぐぐぐ、と葛藤しながらも淹れたてのホットミルクを口に含む。うん、甘さもちょうどいいや。美味しい。そして眠気に拍車がかかりそうな気がしてきたな。ゆっくり、ゆっくりと半分ほど飲んだ所で、お腹の上に載せたままだった本をようやく開いた。
何度も読み返しているから内容なんてもう覚えてしまっているけれど、それでもページを捲っていくこのワクワク感は消える様子がないなぁ。何度読んだって、内容を覚えていたって、好きなものは好きだから。だからこそワクワクするし、ドキドキするんだろう。

本を読み始めてどのくらい経ったのだろう。並々と注いだホットミルクはとっくになくなっていて、太陽の位置も変わっている。唯一変わらないのは、ベポくんの寝息だけ。相も変わらず気持ち良さそうに眠ってるなぁ。
うーん、と背伸びをして目頭を擦る。ちょっと集中しすぎたかも…目が疲れた。欠伸も漏れて少しだけ眠ろうか、と考えていた時、ざわりと空気が変わったような気がしたんだ。


「嫌な予感って、よく当たるんだなぁ…」


ボソリと呟いた言葉は、風に乗って消えていく。ベポくんを起こさないように立ち上がった私は、足早に自室へと戻った。





嬉しい記憶や楽しい記憶は、すぐに薄れていく。それなのに嫌な記憶や忘れたい記憶は、これでもかってくらいにこびりついて離れてくれない。
私を包んだのは光ではない、絶望と虚無と闇―――足元を掬われたらもう真っ逆さまに落ちていく他に術はない。


「おかえり。―――待っていたよ」

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