さあ、手のなる方へ


暑い時は怖い話だ!と言い出したのは誰だったっけ、シャッちゃん?まぁ、ノースブルーは比較的過ごしやすい気候の日が多いから、暑くて死ぬーってことはないのだけれど。
だから別に、怖い話真っ最中の今も別段暑いわけではない。次の島まで絶賛、潜水中なので暇だってこと。甲板掃除は無理だし、洗濯物も干すことができない。それ以外の部屋の掃除や備品整理とチェック、あと薬の在庫確認などなど…やることはそこそこあれど、それも夕方には全部片付いてしまうので夕飯後は特に、クルーが暇を持て余す時間帯だったりするのです。私然り。
暇を持て余してないのは多分、キャプテンくらいかなー。自室で本を読んでいるか、もしくは医務室でカルテ整理をしているかもしれない。シャッちゃんのあからさますぎる語り口調に苦笑しながら、そんなことを思った。


「リズは平気なのか?こういうの」
「うん、平気みたい。というか、シャッちゃんの語り口調があからさますぎて怖いと思わない」
「それは確かにな」


怖いという感情がないわけではない、と思うけど、でも明らかに作り話だってものばかりだし、叫んでしまう程に怖いって思う話はなかった。中には体験談っぽいなぁと思える話もあったけどね。元々、怪談話とかそういうものを信じてないから余計なのかも。
生きている人間の方がよっぽど残酷で、怖いと私は思ってしまう。場がシラケるのがわかっているから決して口にはしないけど。


「リズ〜〜〜〜!」
「っわ、ベポくん?」
「ううう、今日一緒に寝よう…!」
「ベポ…怖いならやめとけって言っただろ」
「だってペンギン〜〜〜」


そう。暇な奴で集まって怪談話をしよう、ってなった時、ベポくんは最初から乗り気じゃなかったんだよね。だからペンくんも私も強制参加じゃないんだし、部屋に籠ってるかキャプテンの所に行くといいよって言ったんだけど…それもそれで怖いから嫌だし、仲間外れにされてるみたいで淋しいって言ってさ。そのしゅん、とした姿がどうにもこうにもかわいそうで…なら好きにするといいよ、とは言ったんだけれども。
うん、でも案の定だったなぁ。こんなことなら無理矢理にキャプテンの所へ連れて行くべきだった。本を読んでいたとしても、カルテの整理をしていたとしてもベポくんだったら邪険に扱ったりしないからね。見た目に反してもふもふした可愛いもの大好きだから、あの人。まぁ、それは今は置いておくとして…どうしたもんかな、これ。


「でもベポくん大部屋じゃん。私、1人だよ?」
「そうだけど…」
「シャッちゃんとかはからかってくるかもしれないけど、ペンくんもいるんだし大丈夫だよ」
「何なら船長のとこで寝るか?あの人もベポなら無下にしないだろう」
「キャプテン…?」


いまだ涙目のベポくんにペンくんと2人で助言してみると、ぐすぐす鼻を鳴らしながらちょっと行ってみる〜とキャプテンの自室がある方へととてとて歩いていきました。その後ろ姿が可愛くて、思わずペンくんと顔を見合わせて笑ってしまった。





「ん、…」


ふっと目が覚めた。今は海の中だからカーテンを開けていても、閉めていても部屋の中は真っ暗なまま。正確な時間を知る術はないけれど、でもきっとまだ真夜中なんだろう。その証拠に船内がとても静かだから。もう一度ベッドに潜り込んで寝てしまおう。次に目を覚ました時は、廊下から元気な声がいくつも聞こえてくるはず。
そう思って潜り込んだのに、喉の渇きに気がついてしまった…うう、確かサイドボードに置いてあったミネラルウォーターはもう飲み切ってたよね。今日は寝る前にお茶も持ってこなかったし、キッチンに行かないと何も飲み物はないってことで。このまま眠ることもできそうもないし、覚悟を決めて起き上がるしかなさそうだ。


「…ほんと静か…」


潜水中は海王類に襲われない限り、比較的静かだと思う。今日だって機器類の音は微かに響いてはいるものの、それ以外は特に目立った音が聞こえないもの。コツコツ、と自分の靴音が反響して―――…ゾクリと、肌が粟立った。え、なに?寒いわけでもないのに、何で急に…?!ザワザワと何かが騒いでいる。私が?それとも、私じゃない何か?
そっと足を止めてみるけれど、廊下に出た時と同じくしんとしたまま。変な音も何も聞こえないのに、それなのに胸の奥はザワついたままだし、鳥肌もたったまま。嫌な感じだ、と溜息を吐いた時、ふわりと何かが横を飛んでいった。まるで導かれるかのように視線を動かすと、そこには真っ赤な蝶がひらひらと羽をはばたかせている。蝶…?いつの間に紛れ込んだんだろう。


「ち、がう」


今度こそハッキリと、ゾクゾクッと背中に寒気が走る。違う、あれは普通の蝶じゃない。私が知っている蝶じゃない、絶対。だってこの船は数日前から潜水しているし、その前に紛れ込んだと仮定しても今の今まで見かけたこともなかった。それにここに蝶のエサとなり得る植物は―――なにひとつ、存在していない。生きていられるはずもないんだ、エサも食べないまま数日間も。
それに真っ赤な蝶なんて図鑑でも見たことがない。何より、私が持っているランプの火以外に灯りが一切ない廊下で…何故ハッキリと真っ赤だ、と認識できるのか。真っ暗な廊下でその眩い程の赤だけが、ゆらゆらと蠢いている。何が何だかわからない、寝惚けているのか。それともこれは私の夢の中なのか。
わからない、わからないけれど、関わってはいけないと本能がそう告げている。いまだ数メートル先にゆらゆらと浮かんでいるソレから距離をとるように後退し、一気に駆け出した。宛がわれている自室までそう遠くはない。走ってしまえば一瞬―――の、はずだったのに。


「な、なんで」


広がるのは暗闇。あるべきはずのドアも、窓も何もない空間だった。走っても走っても変わらないし、カツカツと靴音が響いているはずなのに誰も起きてこないなんてやっぱりおかしい!こんな夜中に廊下を走っていたら、誰かしら起きてくるはずよ。うるさい、夜更けに何をやってるんだって…ペンくんやシャッちゃんが寝惚けながらも出てきてくれたり、ベポくんがどうしたの?って心配してくれたり、キャプテンが早く寝ろって呆れながらも捜しに来てくれたり―――…なのに、誰ひとり出てこない。
ドアがないから?それとも私の夢だから?息が切れるまで走って、走って、どれだけ走っても変わらない光景に嫌気が差してようやく足を止めた。足を止めて、ギクリと心臓が跳ねる。だって視線の先にはさっきまで後ろにいたはずの、真っ赤な蝶がゆらゆらと飛んでいたから。
ヒッと引きつった悲鳴が漏れて、その場にへたり込んでしまった。それまでふわふわと浮かんでいるだけだった蝶が、ゆっくり、ゆっくりと私の方へ近寄って来る。触れたらダメ、近づいたらダメだと思うのに、腰が抜けてしまったのか立ち上がることができない。怖いと認識したくないのに奥歯がガチガチと音を立て、体も震えてる。呼吸も苦しくて、叫びたいのに喉がひくりと引きつるだけで声も出せない。本格的にどうしよう、と思った瞬間、ぶわりと蝶がその姿を消した。


「き、えた……?」


ホッとしたのも束の間、ズル…と何かが引きずられるような音が、暗闇の奥から聞こえてきた。今度は一体なんなのよ…!もういい加減、パニックになりそうだ。
とっとにかく!立ち上がって逃げないと!さっきの蝶はいくら不気味でも何かしてくるような雰囲気は最後の一瞬しかなかったけど、今度のはそんな感じじゃない。嫌な予感がバシバシする。このまま座り込んでいたらきっと、呑まれる。そうしたらもう戻ってこれないような、私が私でなくなってしまうような…よくわからないけど、そんな予感がする。漠然と、だけど。
思うように力の入らない足を叱咤して立ち上がった時、音の正体が姿を現した―――


「ひっ…!」


言うなれば、それは『死体』だった。動く死体、つまりはゾンビということになるのだろうか。足が動かせないのか、引きずるようにしてソレは腕だけでズルリ、ズルリとゆっくり進んでいる。ガタガタと足が震えて、逃げることができない。どうしよう、どうしよう…!!

『オレ たちノ命 ヲ奪ッた お前 ヲ 許さなイ』

ごぽりと、目から、口から、鼻から、真っ赤な液体が流れ出す。それは止まる気配もなく、辺り一面を真っ赤に染めていく。それなのに血を垂れ流している死体は、ビチャビチャと水音を立ててまたゆっくりと進み始めた。異様な光景だ。逃げたいのに体は動かせないし、視線も逸らせない。そして死体の手が私の足首を掴んで、


「リズ」
「―――ッ!」
「何してる。また眠れねぇのか」
「キャ、…キャプテン……?」


私の名前を呼んだのは、キャプテンだった。
そろりと後ろを向けば、映り込んだのは見慣れた船内と眉間にシワを寄せたキャプテンの姿。そう、『いつもの光景』がそこには広がっていたんだ。そこでようやく私は詰めていたらしい息を吐き出した。な、何だったんだあれは…。


「う〜…キャプテーン……!」
「今度は何だ…半べそかきやがって。ほら」


ズルズルと座り込みながらキャプテン、と呼べば、彼はコツコツと近寄ってきて目線を合わせるように屈んでくれる。両手を広げてくれる。遠慮なく腕の中に飛び込めば、いとも簡単に持ち上げられてしまうのだから人って見かけによらない。キャプテン細そうに見えるのになぁ…脱いだら意外と筋肉あるってやつなのかな。


「寝れねぇならこっちに来るか?ベポがいるぞ」
「あ、やっぱりベポくんと一緒に寝てたんだ」
「暇な奴らで怪談話していたと聞いたが」
「うん…シャッちゃんが、言い出しっぺで…」
「そうか。…眠いなら寝ろ。このまま運んでやる」


とんとん、とリズム良く背中を叩かれれば、意識はすぐに微睡み始めて。夢の世界へ旅立つまでそう時間はかからなかった。





「…鬼さんこちら、手の鳴る方へ」


―――オオォオオ…


「バァカ。コイツはやらねぇよ―――失せろ」

- 7 -
prevbacknext
TOP