心、喪失。
―――ゴゴゴゴゴ…
「なになにー?!」
「床が―――開く…!」
―――ゴゴ…
―――ゴウゥ…ン
鈍い音を立てて、完全に開ききった床。
そこに開いたぽっかりと、大きな穴は…覗き込んでも何も見えないほどに暗い。広がっているのは、ただの深い闇。
「真っ暗だねぇ。この下、何があるかサクラちゃん覚えてる?」
「いいえ」
―――オオォオオオォオ……
「でも姫さんの羽根の波動…」
「ここから感じる」
何があるかわからない、真っ暗な闇の中。
確かに感じる、しっかりとした姫さんの羽根の波動。間違いなく、本はこの闇の先にある。
穴の淵に、小狼くんは足を掛けた。どんな危険が待っていようと、彼は必ず羽根を取り返しに行くだろう。
…何かに操られているかのように、ただ真っ直ぐに羽根を追い求めるんだ。その一途さが、真っ直ぐさが…時々、無性に怖くなる。
「行きます」
「何があるかわからないのに!わたしが行く!」
「姫は待っていて下さい」
「でも!」
「おれが行きます」
「…どうして?どうしてそんなにまでして、わたしの羽根を探してくれるの?」
行かないで、と自分の腕を掴んでいた姫さんの手をそっと外す。
そして僕達の方を向いて、「姫をお願いします」と頭を下げた。1人で行くつもりのようだけど…そうはさせないよ?
黒鋼くんと僕は、小狼くんの両脇に立った。それを驚いた表情で、僕達を交互に見る。
驚いたのは一瞬で、すぐに少しだけ笑みを浮かべた小狼くん。ありがとうと言いたそうな表情でね。
「この世界にはあの蝙蝠の刀のヤツはいねぇようだからな。だったら、用はねぇ。羽根が手に入りゃ、白まんじゅうは次の世界へ行くだろ」
「黒鋼さん」
「…僕、羽根の波動感じ取れるから便利だと思うよー?」
「緋月さん」
3人の視線が絡み、軽く頷き合う。
「行くぞ」
「おうよ」
「はい!」
淵を蹴り、僕達は宙を舞う。
暗い、暗い闇の底へ…その身を投げ出した。
「小狼くん!緋月ちゃん!黒鋼さん!」
「ったく、困ったお父さん達だねぇ」
「わたし…わたし、何も出来ない」
「出来るよ。小狼と緋月と黒鋼が帰ってくるのを、待ってあげられるよ」
「……うん」
さぁ、この先で僕達を待ち受けるのは―――果たして、なぁに?
飛び降りて、どれだけの時間が経ったのだろう。
真っ暗で何も見えないから、今自分が落ちているのか…それすらもわからなくなってくる。風の抵抗とかもないしね。
―――トンッ
あ、地面に足がついた感覚。…2人ももういるのかな?
キョロリと視線を動かすと、名前を呼ばれた。小狼くんの、声だ。黒鋼くんは一緒じゃないのかしら。
「良かった、無事だったんですね」
「うん。かなり長く落ちたはずなんだけど、地面に叩きつけられた感じはなかったね」
「はい。あの、黒鋼さんは…」
「僕も一緒じゃないんだ。かなり個人差があるみたいで―――あ。」
―――ポゥ…
真っ暗な闇の中、淡く優しい光が目に入った。
「さくらの羽根!!」
「…でもやっぱり、すんなりと取り返すことは出来ないみたいだよ?」
「え?」
「ほら…怖い番犬さんのお出ましだ」
守衛機能が働いて、此処まで来たんでしょうね。本の元まで辿り着いてしまった以上、そう易々と逃がしてはくれない。
炎を纏い、背中に羽が生えた番犬は雄雄しく咆えた。
咆哮はビリビリと空気を割る程で。そのオーラに思わず顔を歪めてしまう。
ゆらり、と揺れた背中の羽。何だろうと思う間もなく、僕と小狼くんを狙って攻撃を仕掛けてきた。
飛んできたのは羽だった。地面に突き刺さるソレは、当たってしまったらひとたまりもない!
―――ガガガガガッ
何とかして飛んでくる羽を避けるけれど、それだけで精一杯になってしまって…番犬の足が近づいてきていることに、僕も小狼くんも気が付かなかったんだ。
気がついた時にはもう、派手に吹っ飛ばされていた。
―――ズザァッ!!!
「ったぁ……!」
「この番犬は、本を守っているだけで悪いのは、盗もうとしてるおれの方だ。傷つけずに羽根を取り戻せれば…!」
「小狼くん…」
彼を踏み潰そうと下ろされた前足は、小狼くんの足によって動きが止まった。
…だけど、それもきっと長くは持たない。だって明らかに力の差も、体の大きさの差も大きいから。
―――トンッ
痛む体を起こした時、目の前に人影が現れた。
その後姿は黒鋼くんで、僕を番犬から庇うようにその場に立って、小狼くんに怒鳴った。
「莫迦が!んな寸止めで倒せる相手か!」
「!!」
一瞬、だった。本当に一瞬。
小狼くんが足で動きを止めたはずの前足が、彼の体を思いきり吹き飛ばしたの。
避ける間もなく飛ばされた小狼くんは、倒れたままピクリとも動かない。
ひどい怪我…早く治療しないと、命に関わるかもしれない!
「小僧!!」
「小狼くん!!!」
彼の元に近寄ろうと足を踏み出した時、手が…微かに動いたように見えた。
のそりと起き上がった小狼くんの瞳からは―――光が消えている。
動くことも辛いほどの怪我であるはずなのに、今目の前にいる小狼くんは…痛みすらも感じていないように見えた。
冷たい瞳が、番犬を睨む。
「……小僧?」
「彼じゃ……ない」
「緋月?」
「違う、小狼くんじゃない…」
鎖が、切れつつあるんだ。
あの子が恐れていた事態が、起きてしまうの?
冷たい瞳。感情のない顔。
今、目の前にいるのは僕達の知らない小狼くん。心が消えてしまっている、彼だ。
そうじゃなきゃ、こんなにも攻撃の仕方が変わるはずがないの。
さっきまでは必死に、傷つけずに羽根を取り戻そうと動いていたのに、今は…無慈悲に、無情に番犬へと攻撃を繰り返す。容赦なく。それこそ、命の灯火が消えるその時まで。
最後の重い蹴りが番犬の眉間へと命中し、大きな音を立てて崩れ落ちた。
本を手に取った彼は、躊躇することなく表紙のガラスを割り、羽根を取り出すと、もう用済みだというようにその場に本を投げ捨てた。
あんなに本が大好きで、図書館ではあんなに嬉しそうにしていたのに…見向きもしない。
「……っ」
「…お前…誰だ?」
ダメ……そのまま心を失っては、ダメ。
貴方は闇に染まってはいけないの。あの方の思い通りに動いてはいけないの。
その心が貴方自身のモノでなくても、今はまだ―――