姫の決意


ファイくんの体内へと入った、吸血鬼である神威さんの血。それは瞬く間に、彼の体の造りを変えていく。
心臓が脈打ち、体全体が痙攣して…体全体に痛みが走っているらしい。


「ファイくんっ…!」
「―――――…ッ!」

―――ギリ…ッ

「そのまま押さえてろ。…体の造りが変わるんだ、痛むのは当たり前だ」
「少しの間、出ていてあげてもらえますか」
「出ましょう。この人達は逃げたりしません」
「…何も出来なくてごめんなさい」


彼らが出て行く間も、ファイくんの声なき叫びは止むことなく。
その痛みから、苦しみから逃げるように…僕の腕や背中に爪を立てる。肉を抉られるその痛みに、声を上げてしまいそうになるけど、唇を噛んで必死に耐える。
ファイくんの痛みは、苦しみは…僕の比ではないから。だから、どんなに痛くても絶対に声は上げない。
きっと彼の苦しみを、知ることは出来ない。こうやって…僕の体を差し出すことしか出来ないから。
痛みを紛らわすことなど出来やしないけど、それでも…少しでも役に立てるなら、いくらでも。


「姫を抱えてろ」
「ああ」
「ファイ…緋月…」
「僕は…だいじょーぶだよ、モコ…」

―――ギリッ!

「……!」
「っぁ……!」


一際強く、背中と腕に爪が立てられた時。ついに小さく声が漏れた。
同時に黒鋼くん、シャオ、モコの眉間にシワが寄り、一層心配そうな表情になる。
大丈夫、と微笑んでみるけれど…痛みはどんどん強くなる。鈍痛が背中を走り、こめかみを一筋の汗が伝った。


「こいつの左目はどうなる」
「吸血鬼になる前の傷は治癒しない。抉られたなら、空ろなままだ」
「戻らない、の…?」
『吸血鬼は不老不死ではないわ。それは伝説上だけの話よ。太陽も聖水も弱点ではない。この2人は原種だから、驚異的な治癒能力を持っているけれど』


彼のように後天的な吸血鬼は、少し人間より丈夫で、老化スピードが遅いだけなんだそうだ。
ファイくんは元々、強大な魔力の持ち主で長命なんだって。…だから、その点はあまり変わらないみたいね。
すでに僕達より、何倍も生きてるらしいから。

じゃあ、何が変わったのか。それは―――――


『生きていく為に血を、餌の血を必要とするということ』
「そんなことも知らずに、餌になることを承知したのか。魔女の取引がお前達に有利かもわからないのに」
「有利とか、有利じゃないとか…そんなの、関係ないんだよ…っ」


そんなことを考えている余裕なんて、あの時はなかったもの。


「あと数瞬遅れてたら、こいつは死んでただろう。それに…魔女が何を考えていようが、緋月とあれが信用してあの女に助けを求めたんだ。俺はあいつらを信じる」
「……黒鋼」
「(黒鋼、くん…)」


僕とモコに視線を向けて、そう神威さんに告げた黒鋼くん。
その声音が優しくて、胸の奥がぎゅっとなって苦しくなったけど…でもそれ以上に、嬉しかったんだ。少しだけ、泣きそうに…なるくらいに。


『もうひとつ。奪われた左目を取り戻せば、ファイの魔力も戻る。そうすれば吸血鬼の血も打ち消せる。ファイの左目が戻れば、貴方達の餌としての役目も終わるわ』
「え……?」
「ファイ、目が戻ったら血はいらなくなるんだね!!」
「……俺達を試したな」


ギロリ、と侑子さんを睨む黒鋼くん。…正直言うと、別に試されていても構わないんだ。
彼の魔力が戻る希望が少しでもあるのなら、それでいいから。
厳しいように見えて、この人は優しい。
今だってこうやって吸血鬼から戻る方法を、僕達に残してくれたものね。

―――ズル…ッ

背中等での鋭い痛みと、体に掛かっていた重みが唐突に消えた。
肩で息をしながら、僕を見上げる瞳は…一瞬だけ、金色に見えたんだ。
あの瞳は、水の中で見た記憶がある。感情が昂ぶった時に見せた、神威さんの瞳と同じ。それはつまり、彼はもう…人間ではなくなったという証拠。
見上げてきた瞳が閉じられ、ドサリとベッドに倒れこむ。


「ファイ!」
「もう大丈夫だよ。少し眠らせてあげようね」


汗はすごいけれど、呼吸は安定しつつあるみたい。…良かった。
詰めていた息をゆっくりと吐き出せば、背中に鋭い痛みが走る。腕も鈍痛が支配していて…自然と眉間にシワが寄るのがわかった。
それに気がついたのか、黒鋼くんがこっちに歩いてきたのが見えたんだ。


「…大丈夫か」
「どうってことない。…平気だよ?」

―――クシャリ…

「後で治療するぞ」
「―――…はい」
「ありがと…ファイに血をくれて」
「…別に」
「ごめんね、ファイ。ファイ優しいから、きっとこれからもっと辛い。でもね、やっぱり死んじゃったらやだよ」


涙を流しながら、ベッドを見下ろすモコ。
…そうね。ファイくんはとても優しいから、これから辛いと思う。今まで以上に、皆に距離を置くようになるだろうし。

それもきっと―――僕と黒鋼くんの責だ。
だけど、いくらでも背負うよ。どんなに重くても。キミが生きているのならば、存在してくれているのなら…それでいい。
ギュウッと握った拳を、そっと黒鋼くんの大きな手が包み込む。まるで握り込むな、と言っているかのように。


「(…彼から、離れようとすればする程に―――想いが募る。逃れられなく、なる。それは…彼らからも、同じだね。離れようと思っているのに、離れられない)」


握った拳をそっと開いて、いまだ重ねられたままの黒鋼くんの手を握り返した。


「―――…ありがと、黒鋼くん」
「…お前だけが負う責じゃねぇからな」


久しぶりに握られた手は、ひどく温かくて、優しくて…何よりも愛おしかった。


「緋月」


名前を呼ばれ、シャオから差し出された黒い布。それはさっきまで彼自身の片目を覆っていたものだ。

"これを、魔術師の左目に"

言葉はなかったけれど、シャオの瞳はそう語っていて。
僕は1つ頷いてそれを受け取り、空ろになってしまった左目に巻きつけていく。…左目が戻るまで、この部分を見る度に今日のことを思い出すだろう。
蓋をしてしまえば見えることはない。…この出来事を忘れることなど、思い出さないことなど…出来はしないけれど。


『けれど、左目が戻らなくてもファイには貴方達の血を飲まないという選択だって出来るのよ。どんな方法を使ってもね。これからも笑っているからといって、その子が納得したとは限らないわ』
「承知の上ですよ、侑子さん」
「…わかってる」


生きることを望まなかった、彼だから。誰よりも優しい、彼だから。
僕や黒鋼くんの血を啜って生きるなんてこと、出来るなんて思っていない。この状態を受け入れてくれるとも思っていないよ。
そんなこと、わかってる。理解、してるし…覚悟もしている。だけど今は…ファイくんが生きているって言う事実だけで、十分だ。


「聞きたいことはまだあるが、まずは地下の水だな」
「うん。…行こう」
「…歩けるか」
「何とか大丈夫」
『モコナ、黒鋼と緋月と一緒に』
「うん」
「お前も来い」
「姫さんも一緒に…ね?」


閉じられた瞳から流れている涙を拭い、シャオは姫さんを抱き上げた。
そのまま部屋の外へと出れば、草薙さん達と都庁に住んでいるたくさんの人が集まっていた。
地下で起きていた騒ぎは、地上にも伝わっていたらしく皆心配そうな顔をして、水は大丈夫なのかと問い掛けている。
今の状態では大丈夫、とは言えない。でも黒鋼くんの瞳から何かを感じ取った草薙さんは、笑って「大丈夫だ」と子供に告げた。


―――ピク…ッ

「…神威さん」
「……こんな時に」
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