02


―――ガチャッ

「みんな!怪我ない?!」


借りているアパートの扉を開ければ、すぐさまモコナが飛んできた。
この国に着いて、トーナメントに参加するようになって…この子はずっと、私達の心配をしてくれている。
怪我をしていないか、無理をしていないか。まるで自分のことのように心配してくれているんだ。…トーナメントには、参加出来ないから。
怪我はしていないけど、精神を磨り減らしてしまったのか…姫様は黒鋼さんに抱えられている。
それを見たモコナは泣きながら、姫様に抱きついた。


「サクラ!サクラ、どうしたの?!」
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから。本当に大丈夫。だから、ね…泣かないで」


そっとモコナの瞳に浮かぶ涙を拭って、微かに笑みを浮かべる姫様。でも疲労の色が濃く出ていて、少し辛そうにも見える。
そんな姫様を切なげな瞳で見つめるシャオは…見ていて、心が痛くなる。

…東京を出てから、2人はずっとこんな感じで。
姫様にとってシャオは、"同じ顔をした別人"なんだと思う。彼女が一番会いたい彼ではない。


「姫様、今日はもう休んだ方が良いですよ」
「でも…」
「この世界に羽根があることはわかってる」
「はい」
「うん、微かだけど感じる。羽根、あるよ」
「もし小狼くんがこの国に来れば、オレがわかる。そうしたらすぐにサクラちゃんを起こすよ」
「私もわかりますから、明日の『チェス』の為にも休んでください。…ね?」
「勝って賞金を手に入れるって決めたんでしょう?」
「……はい」


ソファからゆっくりと立ち上がったけど、怪我している右足が上手く動かないのか、そのまま前に倒れそうになる姫様。
それを支えるシャオ。2人の視線が絡み合うけど…すぐに逸らされた。
姫様の唇から零れた謝罪の言葉。触れることを躊躇うシャオ。此処に来る前に降り立った…あの国と、同じ光景だ。

親を、友達を小狼くんに奪われた子供達が、同じ顔のシャオに石を投げつけてきた…あの国。


「じゃ、部屋行こうか」
「…おやすみなさい。ゆっくり休んでくださいね」
「うん。……緋月ちゃんも、ちゃんと眠ってね?」
「心配しなくても大丈夫ですよ。ありがとう」


そっと閉じられた、彼女の自室へと繋がる扉。
リビングには、私とシャオと黒鋼さんだけが残されている。


「…確かにお前は小僧の元になったかもしれねぇが、お前と小僧は違う。
お前がやってねぇことをお前が責だと思う必要はねぇし、お前はお前が思うようにやればいい。姫のこともな」
「……」
「……それでも、さ…姫にとって小狼は、あの小狼だけだ。あの肩を支えるのはおれじゃない」

―――ガシガシ

「覚えておけ。姫は強い。強いからこそ、脆い。誰かがそれを教えてやらなきゃ、きっと折れる。遠からずな。あの魔術師には無理だ。あの二人は同じだからな」
「もう休んだ方がいいよ、シャオ。疲れたでしょう?」
「…あぁ。貴方達も早く休んでくれ」
「おう」
「ええ、わかったわ」


―――パタン

…黒鋼さんと、2人きりの空間。
呼び方を変えたあの日から、あまり話をしていない。と、言うより…私が彼を避け続けている。近づかないようにしている。
他の皆とは、必要最低限の会話はしているし…話しかけることもあるんだ。

けど―――黒鋼さんには、それすらもしていない。簡単な挨拶を交わすだけ。

彼も前のように近づいてきたり、話しかけてきたり、触れてきたり…しなくなった。その現実にホッとしている私と、淋しく思っている私がいる。


…ずっと、
そうやって生きていくのか。お前は。


東京で彼にそう言われたことを、唐突に思い出した。
呼び方を変えて、話し方を変えて…私は彼らと距離を置いた。それが私の決めた覚悟だから。
どんなに悲しい顔をされても、傷つける結果になってしまっていても、変えるわけにはいかないんだよ。
一線を引いておかないと、私は―――皆を傷つける。


「お酒、飲みますか?」
「…あぁ」


…すぐに自室に戻ってしまえば良かったのに、私はどうしてそうしなかったんだろう。もうこれ以上、彼に近寄ってはいけないと思っているのに。
その思いに矛盾するかのように、彼の傍にいたいと思ってしまう自分がいるの。バカみたいよね?本当に。

自分の思いにクスリ、と自嘲的な笑みが零れる。本当に…馬鹿馬鹿しい。
お酒とコップを持って、黒鋼さんのいるリビングへと戻る。


「(コレを渡したら、すぐに自室へ戻ろう。そうじゃないと私は―――)」
「…おい?」
「え?あ、はいっ…何、でしょうか」

―――スル…

「お前、ちゃんと寝てるのか」
「ね、寝てます…!あ、の……」


"触らないで"
そう言えば、きっと彼は頬から手を離してくれると思う。なのに…その一言が、出てこない。
心臓がバクバクいって、顔に一気に熱が集まってくる感覚。尋常じゃないくらいに熱い。私はそれほどまでに…この人のことが、黒鋼さんが好きだってことか。


「緋月、俺は―――…」

―――キィ…
―――パタン

「っ!」
「サクラちゃん眠ったよ。モコナと一緒に…って、お邪魔だったかな?」
「い、いいえっ大丈夫、です」


―――ドッドッドッドッ…

心臓が、うるさい。顔が熱い。
最後まで聞くことが出来なかった言葉が、気になる。


「またお酒飲んでるの?しょうがないね」
「…ふん」


黒鋼さんの胸に無理矢理押し付ける形で渡した、お酒とコップ。
でも彼はコップを使うことをせず、ビンのまま飲んでいる。いつものこと、だけど。
この2人の会話も、前のようなものではない。話し方が別段、変わったわけじゃないけれど…雰囲気が全く違う。
前はもっとファイさんが黒鋼さんをからかうような形で、会話が繰り広げられていた記憶がある。

だけど今は、そうじゃない。特にファイさんが。
まぁ…私も人のことを言えた義理ではないんだけど。一線を引いて、壁を作って、仮面を被っているのは私も同じ。


「君はまだ休まなくて大丈夫なの?緋月ちゃん」
「もう休みます。でも、その前に…」

―――ツゥ…

「!お前…」
「血(コレ)、飲みたくありませんか?」


私の手首から流れる、真っ赤な液体。―――血。
今のファイさんの命を、繋ぐもの。欠かせないものだ。
だから、きちんと飲んでもらわなければならないの。もちろん、彼に拒否権は存在するけれど。


「飲まないなら、それでも構いませんけど…」
「…君も、本当にしょうがないねぇ」


不意に手を取られ、手首の傷口へと唇が寄せられる。
ペロリと舐められて、僅かに痛みが走るけど…それも責、だから。
視線を黒鋼さんに向ければ、くっきりと眉間にシワが寄っていた。それも当然かもしれないね。だって…私が彼との約束を、破っているから。

私と彼がファイさんの餌になると決めた時に、1つだけ約束をしたの。
血を与えるのは、交互にする…と。
2人で負った責だから、そうしないと意味がないと。…その時は私も了承したんだけれどね。

でも実際にファイさんに血を与えてるのは、私だけ。彼が血を与えるより先に、私がファイさんに与えてしまっているから。
私の血には、魔力がある。片目になってしまったけれど、彼はまだ魔術師だ。少しでも失われてしまった魔力の足しになれば、って思ったの。
でもそれ以上に―――――彼に、傷を負わせたくないって…思ってしまった。


「……気付いた?」
「ああ」
「見張られてますね。…何かが反射して、光ってます」
「次の『チェス』の相手かな。それとも…」
「今までの旅で、俺達を見ていた奴らか」
「どちらにせよ……もう傷つけさせない」
「ファイさん…」
「傷口、『黒鋼』に治療してもらってね」


最後に手首に口付けをひとつ。ファイさんはそのまま自室へと戻っていった。
傷口が…じくじくと痛んで、熱を持っているかのように熱い。ナイフで切ったから、当然かな。
治療してもらって、とは言われたけど…こんなの、治療するほどの傷じゃない。
だから、そのまま部屋に戻ろうとしたけれど、当然の如く黒鋼さんに阻まれてしまった。真っ直ぐに見つめてくる紅い瞳が、突き刺さる。


「勝手なことばっかりしやがって…」
「もう何回も黙認してたじゃないですか。てっきり、許してくれているんだと思ってました」
「何か言う前にもう、お前が血をやってたんだろうが。それに話しかけようとすれば、何かと理由つけて避けてただろう」
「………」
「お前はもう…自分を傷つけるな」


―――チュッ…

さっき彼がやったように、黒鋼さんの唇が…傷口に触れた。軽く触れただけのソレはすぐに離れていったけど。
心臓が、痛いくらいに鼓動を打っている。痛みではない熱さが、傷口を伝って全身に広がっていく。

もう…やめて。黒鋼くん。これ以上は、ダメだ。耐えられなくなってしまう。
キミへの気持ちが溢れて、溢れて…止まらなくなっちゃうの。抑えきれなくなってしまっては、遅いから。
だから、必要以上には近寄らないようにしていたのに…それなのに、キミは。
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