望むもの、望まぬもの
『チェックメイト!黒、WIN!!』
劣勢のように見えていたけど、シャオのお陰で何とか勝つことが出来た。
決して傷は浅いものではないけど、正直今はどうでもいい。チェスに、勝てたから。
勝つ為なら、あの娘を護る為なら、皆が…生きていられるのなら。私は何でもしよう。どんな傷も、責も、罰も背負うよ。
―――カツンッ…
「…大丈夫ですか?ファイさん、黒鋼さん」
「大分、痺れは取れてきたから」
「どうってことねぇ。…それより、あれは俺が小僧に教えた…」
「小狼くんが教わったことは、彼にとってもそうなんだね。彼は小狼くんと、同じ日々を生きて来たんだ」
「あの目を通じて、ね。彼の右目は―――…シャオのもの、だったから」
膝を着いてしまっているファイさんに手を差し出しながら、視線だけシャオと姫様の方に向けた。
シャオは姫様を見上げているけれど、姫様はあの子から視線を逸らしている。
2人共、とても辛そうに。切なそうに。
姫様はきっと、改めて痛感してしまったんだと思う。…喪失感を。
だからこそ、あの子を直視することが出来ない。どうしても、彼と重ねてしまうから。
あの娘にとっての小狼は、シャオじゃないから…余計に。
「―――…緋月、ちゃん」
「……わかってますよ。黒鋼さん。申し訳ないですが、シャオと姫様と一緒に…先に戻っていて下さい。あの子の怪我の治療もお願いしたいですし」
にっこりと笑って言えば、一層深く眉間にシワを刻み、無言で2人の傍へと歩いていった。それはきっと、肯定だ。不本意ながらの。
3人の姿と、審判と、チェスの対戦相手…全ての人が盤上からいなくなるのを確認して、私達は物陰へと歩みを進めた。
ファイさんに、吸血行為をさせるために。
「…さ、お好きなだけどうぞ?」
こめかみに、腕に、首筋に……いまだに血が流れ続けている箇所全てを、彼の唇が滑る。
一滴も無駄にしないように、丹念に舐め上げられて。触れていた彼の唇が、温もりがゆっくりと離れていった。
終わったのか、と…部屋に戻ろうと足を動かした時、突然腕を引っ張られた。
反応することが出来ず、私はそのまま腕を引っ張った人…ファイさんに抱き締められる。
そして、首筋に鋭い一瞬の痛み。血を吸われる感覚。
いつか―――東京で感じたことのある痛み、あの時と全く同じで。
「…っファイ、さん……?!」
―――ギュウッ…
「緋月ちゃん、緋月ちゃん……っ」
首筋に牙を立てながら、きつく抱き締めたまま…ただ私の名前を呼ぶ彼は。
何かを探している、迷子のように感じた。
―――カチャッ
「あっ緋月とファイ帰ってきた!」
「ただいま、モコナ」
「ただいま。ごめんね、遅くなってしまって。…姫様は?」
「帰ってきてからずっと、お部屋に籠っちゃってるの…」
「そう。…少し、様子を見てくる」
「その前に緋月、怪我の手当てしなくちゃ!いっぱい血が出てるよっ」
「大丈夫よ。見た目ほど、ひどくはないから」
悲しそうに、辛そうにこっちを見上げてくるモコナ。
同じような瞳で見つめてくる、シャオ。…怒気を含んだ瞳で見つめてくる、黒鋼さん。
3人に微かに笑みを向けて、私はファイさんと一緒に姫様の部屋へと入った。
間接照明だけ灯されている室内は、少し薄暗かった。大きなベッドにうつ伏せで寝転がっている彼女。眠ってはいないようだけど…。
そっとドアを閉めて、傍に近寄れば。見上げてきた瞳は、悲しみに濡れていた。
「…ただいま戻りました、姫様」
「緋月ちゃん、その怪我…」
「大したことありません。…貴方の、心の痛みに比べれば」
「…わかってるんです。あの人は……小狼くんじゃないって。例え、あの人を素に創られたとしても、今まで色んな世界で会ったように…姿は同じでも、違う人だって。でも…駄目なの。顔だけじゃない…声も、仕草も、あの真っ直ぐな瞳も。同じ所を、似てる所を見つける度に駄目なの…」
どうして…今目の前にいるのが小狼くんじゃないんだろうって……
ポツリ、と零れた姫様の本音。
重ねてしまってはいけないと思うのに、どうしても重ねてしまう。最愛の、とても大切な"彼"とあの子を…重ねずにはいられないんだろうね。
その事実がまた、姫様の心に傷を作る。…傷を癒してあげたいけれど、私には何も出来ない。
でも、護るよ。必ず。
「サクラちゃん…」
―――ピクンッ
姫様の手をギュッと握っていたファイさんの肩が、何かに気がついたかのように軽く跳ねた。
何か、あったのは確かだろうけど…この人は決して言わないでしょうね。きっと姫様にだって。
ファイさんの様子の変化に気がついた姫様は、身を起こして彼に近寄る。
「…ファイさん」
「なぁに?」
「何かあったんですね」
「何も…」
微笑んで「何もないよ」と紡ごうとしたファイさんの口元に、そっと手をやる彼女。
「言いたくないなら、言わないでもいいんです。でも笑いたくない時に…笑わないで」
「だったら、サクラちゃんもオレと…彼女の、緋月ちゃんの前ではそうして欲しいな」
―――姫様もやっぱり…何かを、隠しているのか。
この国に来て、姫様がチェスに参加すると宣言した後。少しだけ…気になっていたことがある。
それは姫様の様子だ。彼女はもう迷わないって決めている。
その後の小狼くんを捜す旅で、どんな辛いことがあっても…姫様は私達にそれを見せなかった。泣くことも、しなかった。
「でもこの国に来てからサクラちゃん、部屋に閉じこもることがほとんどで…特に『小狼』くんを避けて。そして今日の対戦。オレには君が、わざと迷ってるように見えたんだ。オレ達にそう思わせる為に。自分の決心を、オレ達といることを、迷っているんだと伝える為に」
…あの時、か。体が思うように動かせなくなった時。
確かに私も姫様が迷っているんだ、と思っていた。だからこそ、必ず勝つと告げたんだ。迷いを払拭出来るように。
それがわざとだったなんて…さすがに私も気がつかなかったな。
微かな違和感は、ずっと感じてはいたけれど。
「いつからわかっていましたか?…緋月ちゃんも」
「私は…勘でしかなかったし、ちゃんとわかっていたわけではありませんよ」
「オレは君が皆の前で、次元の魔女さんにチェスの賞金のことを話した時くらいかな」
小狼くんが通っていった国に、復興の為の何かを送りたいって、姫様が言った時。彼は違和感を感じていたらしい。
あの国の為に何かしたいと、以前の彼女であれば…「彼女らしい」と思うだけ。だけど…今の姫様は、違うから。
更なる悲劇を起こさない為にも、賞金稼ぎをしている時間があるのなら…彼を追いかけたいはずだ。
だから賞金の他に、何かこの国に留まりたい理由があるんじゃないのかと、ファイさんは推測したようね。
「…欲しいものがあるんです」
「それは…知ったら、リビングにいる人達が怒っちゃうようなものかな」
「きっと。……緋月、ちゃんも」
「―――…それでも、姫様はソレを望む?」
「…うん」
「もう決めているのであれば…私は何も言えません。貴方の望みを叶える為、私は剣を振るいましょう。…マスターの駒として」
「全て君の望み通りに。それがオレの望みだから」
ファイさんの唇が、彼女の手の甲に
私の唇が、彼女の額に
それぞれ触れて、口付けを1つ落とした。誓いの証として。
―――パタン…
彼女をファイさんに任せて、リビングへと戻ってくれば。
ソファで眠りについているシャオとモコナ、その隣で酒ビンを傾けている黒鋼さんの姿があった。
まだ―――此処にいたんだ。とっくに自室で休んでいるのかと、思っていたのにな。
「……」
「シャオとモコナ、こんな所で眠ってしまったんですね」
シャオの手元には1つのグラス。
…きっとお酒を飲んで、そのまま眠ってしまったんだろうね。この子が飲んでいる所を見たことはないけれど、この様子だとそんなに強くはないはずだ。
さて、風邪をひいてしまう前に何か掛けるものを取ってくるとしましょうか。
自室へと足を向けようとした時、腕を掴まれた。
誰、なんて…わかりきった質問。起きているのは私と…彼しかいないのだから。
「何ですか?私、シャオに毛布か何かを持ってきたいんですけれど…」
「その前に傷の手当てだ。…そのままにしておく気だろう」
「そんなに深いものではありませんから、放っておけば治ります」
「……白まんじゅうが泣いていた」
「!」
「コイツも…ずっとお前の身を案じていたぞ。それでもまだ、拒むのか」
何を―――拒んでる、と?傷の手当を?それとも……貴方達を?
「上着、脱げ」
「……わかりました」
羽織ったままだったコートを、バサリと脱げば。黒鋼さんが、微かに息を飲んだ気配がした。
何も反応を返さず、大人しく彼の隣へと腰を下ろす。
今日の衣装は、背中がざっくりと開いているミニワンピース。
だから、上着さえ脱げば傷の手当ては出来るだろう。包帯はあとで自分で巻けばいいしね。
そのまま待っていれば、彼の大きくて無骨な手が…傷口に触れる。ピリ、と軽い痛みが走るけど、我慢出来ないほどではない。
それよりも…黒鋼さんに触れられているという事実の方が、私にとって我慢出来ないことかもしれない。
手首の傷口に、唇を寄せられた時と同じ…傷口が、熱い。
「包帯は…あとで自分で巻きますから。さすがにワンピースを脱ぐわけにはいきませんし」
「ああ。…こっち向いて、腕出せ。あと額も切ってるだろ」
「相変わらず、目ざといですね。黒鋼さん」
「―――お前は…」
消毒をして、包帯を巻きながら…何かを言いかけた黒鋼さん。
不自然に止まった言葉と、手当てをする手。
どうしたのか、と首を傾げてみれば、突然抱き締められた。
「―――――…っ!!!」
「魔術師も、姫も…お前も。一体、何を隠してやがる?何を企んでやがるんだ?」
「べ、つに…何も隠してなんか」
「……じゃあ」
―――グイッ
「ッ!」
「その痛そうな表情(カオ)は何だ」
無理矢理に持ち上げられた顔。無理矢理にかち合った私と、彼の瞳。
何もかもを見透かすように澄んでいる…綺麗な紅の、瞳。
彼の瞳に映る私の顔は…ひどいものだった。今にも泣いてしまいそうな、そんな顔。
上手く隠しているつもりだったのに、隠しきれていなかった…?外しかけていた仮面を被り直して、覚悟を決めていたはずだったのに。
それすらも…この人の前では、無意味になるのだろうか。
「何か、隠していたとしてもっ…貴方には……関係のないことでしょう……っ?!」
"貴方には関係のないこと"
…そうよ。黒鋼さんには、一切関係のないことだ。言う義理も、ないはずでしょう?
「お前……本気で言ってやがるのか」
「本気です。これは…私自身のこと。ただの同行者でしかない黒鋼さんには…関係ない」
彼の顔が痛そうに、歪む。
その表情に罪悪感が生まれてくる。泣きたくなる。ごめんなさいって、違うんだよって…訂正したくなるけれど。
誰よりも大切で、誰よりも好きな貴方を傷つけてまでも…私は、この覚悟を曲げたくないの。
間違ってるなんて、重々承知。最初っから気がついてるの。わかってるの。
だから…心の中で、謝るわ。貴方に、そして皆に。
「…そろそろ離して下さい。いい加減に休まない―――っん……!」
突然、重ねられた唇。深く、深く合わさった私と彼のソレは、僅かな隙間すら生まなくて。
更にきつく抱き込まれて、だんだんと呼吸が苦しくなっていく。
「っんぅ……ふ…くろ、がねさ―――」
「―――緋月……」
…どう、して?
どうして貴方は、私にこんなことをするの?
どうしてそんな切ない声で、私の名を呼ぶの?
どうしてこんなにも…期待させるようなことを、私に。
…あぁ、でも…そんなこと、どうでもいいくらいに私は今―――嬉しい、と思ってしまっている。
愛しくて、愛しくて、愛しくて…仕方がないの。もっと貴方に触れて欲しい。貴方に触れていたい。
溢れそうになる気持ちに呼応するかのように、私は彼の首へと腕を回してしまった。それによってまた、深くなる口付け。
ダメだって、求めてはいけないって…頭ではわかっているつもりなのに、求めてしまう。
突き放したいのに、突き放せない。