02
声が聞こえて、ハッと目が覚めた。
すぐ目に映ったのは、心配そうな表情を浮かべた姫さんの顔。
…そうか。最後に聞こえた声は、姫さんの声だったんだ…僕の名前を、呼んでくれた。
「大丈夫?すごい汗…」
「うん、へーきだよ。夢見が悪かっただけ」
にっこりと笑って告げれば、少しだけ笑ってくれた。それでもまだ、心配そうな表情だけど。
姫さんの頭をポンポンと撫でてもう一度微笑むと、今度は安心したのか隣に腰を下ろした。
…平気、だなんて。嘘もいいところだな、僕も。
本当は平気なんかじゃない。
夢見が悪すぎて、悪すぎて…吐き気がする。頭も痛いし。
"あの日"のことを忘れる気なんか、微塵もないけれど…それでもあの少年の顔が思い出せなくて、気持ちが悪い。
捜しているのに…何としてでも捜し出したいのに。思い出せないんじゃ、その人を目の前にしても反応できない。
思考がグルグルと回っていて、余計に気分が悪くなってきた…一旦、やめよ。
「……小狼くん」
「…あ、本当だ」
「2人共、目が覚めましたか」
「うん。…ずっと湖に潜ってたの?」
「休みながらですが」
「わたしの記憶だから、わたしが行きます」
「夜になって水温が下がっています」
「だったら、やっぱりわたしが…」
「姫さん。きっとね、小狼くんがそうしたいんだと思うよ?」
今はまだ、記憶の羽根(カケラ)が足りなくて体調が万全じゃないみたいだから。
湖に潜ってる間にもし、眠くなってしまったら…大変なことになる。
陸にいれば誰かしらが傍にいられるけど、湖の中となれば、姫さんに何かあった時にすぐ気づくことができない可能性が高いもの。
だから、小狼くんが心配している。
…でも姫さんはそんな小狼くんが心配なんだろうね。今も。
体が冷たくなるまで、何度も何度も湖に潜って、羽根を探していたのだろうから。
微笑ましく2人を眺めていると、不意に姫さんが春香ちゃんがいた国で戻った記憶のことを話し始めた。
僕…聞いていてもいいのだろうか。
そう思いつつ、今更立ち上がることも出来ないんだけどさ。
「わたしの国の王である兄様と、神官である雪兎さん。桃矢兄様はまだ王子で、まだお父様がいらした頃…わたしのお誕生日でね、皆お祝いしてくれて。でも1つだけ誰も座ってない椅子があって。わたし、その椅子に向かって話しかけてるの。不思議ね。誰もいないのに、わたしとても幸せそうなの」
そう話す姫さんはどこか辛そうで、寂しそうで。見ているのも痛かった。
きっと―――その空いた空間には、小狼くんがいたんだと思う。
大好きな、大好きな小狼くんが。
でも今の彼女の記憶には、もういない。最後の1枚まで取り戻したとしても、その空間は埋まることは決してないんだろう。
同じ関係にはもう、戻れない。それが対価だから。
「(思い出してもらえない小狼くんも、思い出すことが出来ない姫さんも…どっちも辛い)」
―――ザザザ…
ん?湖で、波…?自然に波が起きる海でもないのに?
急に揺れだした水面に疑問を持った瞬間、眩い光が僕達を包み込んだ。
何かと思えば、湖全体が光ってる。さっきまでは何の変哲もない、ただの湖だったのに…!
やっぱりこの水の中に何か…あるということ?
「緋月さん!姫をお願いしますっ」
「はいはい。気をつけてねー」
「小狼くん!」
「…大丈夫だよ、小狼くんなら」
だから、此処で待っていてあげよう?戻ってきたら「おかえり」って言ってあげようね。
小狼くんが光ってる湖に飛び込んだ後、また眠くなっちゃったみたいで。姫さんは今、僕のひざの上でぐっすり眠っています。
彼を心配したまま、夢の世界へと旅立ってしまったから少し表情は浮かないように見えるけど。それでも嫌な夢とかは見てないみたい。呼吸は穏やかだもの。
さらりと、淡いピンク色の髪を撫でてみる。
微かに身じろいだけど、またすやすやと寝息をたてて。その穏やかな表情に、自然と笑みが零れるんだ。
「キミも…やっぱり、周りの心を暖めてくれるんだね…」
僕の大好きだったあの子もそうだった。
あの暖かい、陽だまりのような笑顔が大好きだったんだ。
「サクラちゃん、緋月ちゃんー」
「ファイくん、黒鋼くん、モコ。どうだったー?」
「結構、遠くまで行ってみたけど誰にも会わなかったんだー。民家もなかったし」
「姫の奴、寝てんのか?」
「うん、ぐっすりー。あ、悪いんだけどさ…そこに畳んであるファイくんの上着取ってもらえる?」
「…おら」
「ありがとー」
さっきも布団代わりにしていたファイくんの上着で、姫さんの体を包み込む。
「そういや、あの小僧はどうした?」
「湖が光って、様子を見に行ったよ。潜って大分経つから、もうすぐ上がってくると思うけど…」
―――ザバッ
「あ、ほら。戻って来た」
「小狼!!」
「モコナ」
「サクラが!サクラがぁーーー!!」
…モコ、一体何を企んでるんだろう?
姫さんは眠ってはいるけど、怪我をしたわけでもないし…無事なんだけどね。本当は。
でもモコのあの言い方だとさ、姫さんに何かが起きたように感じると思うんだけどなぁ。小狼くんは特に。
ほーら、心配そうな表情で走ってきたじゃんか。
「良く寝てるのっ!」
ズザーーーーーーッ!!!
「おお、盛大なコケッぷり」
「言ってる場合か」
「驚いた?!驚いた?!これもモコナ108の秘密技のひとつ、超演技力!!」
うん、確かにすごかった。
小狼くんの驚きっぷりと、あの本気で心配してる表情を見れば効果は歴然だね。
それだけ驚くくらい…姫さんのことが大切なんだってことも、改めてよくわかったよ。
目を白黒させて放心状態の彼を見て、ファイくんがいつもの口調で話し始めた。
「ほんとにびっくりしたみたいだねぇ。けどねぇ、きっとこれからもこんなこといっぱいあると思うよ。サクラちゃんが突然、寝ちゃうなんてしょっちゅうだろうし、もっと凄いピンチがあるかもしれない。でも探すんでしょう。サクラちゃんの記憶を」
「……」
「だったらね、もっと気楽に行こうよー。辛いことはね、いつも考えてなくていいんだよ。忘れようとしたって忘れられないんだから」
…これは自分に対しても言ってるのかな?ファイくんは。
でも―――正論だ。
辛いことは、どんなに忘れようとしたって忘れられない。どこまでも付き纏う。
それこそ、この一生を終える時まで…ずっと。
「キミが笑ったり、楽しんだりしたからって誰も小狼くんを責めないと思うよ?喜ぶ人はいても。昔の姫さんも…そうだったんじゃない?」
大切な人が笑ってくれている。それはとても嬉しいことだと思うから。
昔の姫さんも彼が笑ってくれると嬉しかったと思う。
それは今の姫さんも変わらないんじゃないかなぁって、僕は思うんだよね。
だって…今の姫さんも、小狼くんのことが大切みたいだからさ?
「モコナ、小狼が笑ってると嬉しい!」
「もちろんオレも」
「僕も嬉しいな。…黒鋼くんは?」
「俺にふるな」
黒鋼くんの反応にクスクスと笑っていると、姫さんがもぞもぞと動いた。
どうやらお目覚めのようですね。
「姫さん、おはよ」
「目覚めたー?」
「小狼くん!小狼くんが湖に!!」
「えっと、小狼くんなら此処に…」
ダーーーーッ
「……あー」
「此処にいます!!」
間一髪。危うく、姫さんが湖に飛び込む所でした。寸前の所で小狼くんとモコが止めてくれたから良かったけど。
水温も、気温も下がり始めてるこんな状況で水の中に入ったら、体を壊してしまう。それでなくても姫さんの体調は万全じゃないのに。
ようやく小狼くんの存在に気づいた姫さんは、本当に本当に安堵した表情を浮かべていた。
「あのね、サクラちゃん。これからどんな旅になるかわかんないけどさぁ、記憶が揃ってなくて不安だと思うけど、楽しい旅になるといいよね。せっかくこうやって出会えたんだしさ」
どんな出会いであれ、どんな理由で一緒にいるのであれ…この5人と1匹が出会ったのも必然なのであれば。
せっかくの出会いなのだから、大切にしていきたい。
そんなファイくんの言葉に、彼女も笑顔で頷く。
「はい。まだよくわからないことばかりで、足手まといになってしまうけど。でも出来ることは一生懸命やります。よろしくお願いします」
「うん、改めてよろしくねー姫さん」
「うん!よろしく、緋月ちゃん」
…変わらない。どんな境遇にあっても、この子の本質は決して変わらないんだ。
いつでも暖かさを持っている。
「そういえば、湖の中大丈夫だったー?すっごい光ってたけどー」
「あ!町があったんです!」
「はあ?」
「え?え?」
湖を指差しながら、しれっと言い出した小狼くん。
町があったって…コレ湖なんだけど。
詳しく話を聞いてみると、湖の底に町があってそこにこの国の人達は住んでいるらしい。
そして小狼くんが持っていたでっかい光るモノ。
湖の中にある町の太陽代わりであろう魚のウロコなんだそうな。
「強い力、このウロコから出てるのと同じ」
「そうだね、一緒だ。ってことは、姫さんの羽根は…」
「これ以外に強い力感じない」
「ないってことかー」
「うん」
「無駄足かよ」
「クスッそんなことはないんじゃない?」
「うん。小狼くん楽しそう」
姫さんがそう問いかけると、本当に楽しそうな表情で。
まだ知らなかった不思議なものを、この目で見れましたから
そう言った。
よっぽど嬉しかったんだろうね。湖の中にある町を見れたこと、光る魚に出会えたこと。
「羽根がないなら、次の世界に移動かな?」
「そうだねぇ。はい、サクラちゃんこれ着てていいよー」
「ありがとうございます」
「次はどんな所かなぁ」
「知るか!白まんじゅうに聞け!」
とてもとても暖かいモノだから、失ってほしくない。
出来ることならずっと―――ずっと、笑っていてほしいと思うんだ。