02
―――ぼふんっ
「姫さん、ぐっすりだね。モコも」
「酔っ払いのくせに何ですばしっこいんだ。おまけに前より早いんじゃねぇのか、酔うの」
「予選通過したのすごく嬉しそうだったから、早めに酔っちゃったんじゃないかなぁ」
「…本当に一生懸命だったからねぇ」
自分の手で、自分の力で手に入れた予選通過。誰の手を借りることなく…姫さん1人で手に入れたんだもの。嬉しくないわけがない。はしゃがないわけがないよ。
自分に出来ることは精一杯頑張りたいと、やりたいと…ずっと言ってたし。それが今日、ようやく実を結んだんだから。
「寝るぞ、俺ぁ」
「さすがに疲れたし…体を休めることも大事だからね」
「本選に備えて、『ドラゴンフライ』の整備しないと」
「ん。それもしっかりしないとだなぁ。あ、小狼くんも寝なきゃダメだかんね?」
「はい」
…あ、そうだ。リビングの片付け、まだ途中だったっけ。
キッチンに運んだ所で、そのー…ね?色々とあったもんだから…。それでそのまま、姫さんの部屋に行っちゃったし。
さっきのファイくんの表情。いつになく真剣で、だけどどこか淋しそうに見えて。
何か言いかけてたのも気になるし。かと言って、自分からその話題を掘り下げるのもイヤだ。
―――カチャカチャ…
「…寝ないのか?」
「うん?あぁ、これ片付けたら戻るよ。ファイくんはもう寝たのー?」
「あぁ、部屋に戻った」
「そう」
「おう」
「……」
「……」
き…気まずい…っ!
昼間の平手打ちは解決したし、その後も別にぎくしゃくしてたわけじゃないんだけど…何故に今!こんなに気まずいんですか?!!
会話が続かないのはいつものことだからね、気にしたことないんだけどさ。今日に限っては、この沈黙が痛いです。はい。
…っていうか、黒鋼くんちょっと機嫌悪いのかな?纏ってる雰囲気が少しピリピリしてる気がする。
「あのー……黒鋼くん?」
「何、された」
「へっ?」
「アイツに何かされたのか」
「えっと…ファイくんの、こと?」
問い掛けを返してみれば、肯定の言葉も否定の言葉もない。
だけど、こっちを見つめている赤の瞳がそうだと言っている気がして。…全てを見透かされている感覚に陥って、思わず目を逸らしてしまった。
彼の瞳は、綺麗だ。初めて会った時も綺麗だと、好きだなと思ったけど。
いまだに―――この真っ直ぐさに慣れないんだ。
「で?されたのか、されてねぇのか」
「…何もされてないよ。少し話をしてただけだから」
「……本当だな?」
「本当、だよ。大丈夫」
心配を、してくれているのだろうか?
扉が勢い良く開いた時、僕もファイくんも異様に驚いていたから。…頬に手が触れていたから、距離も近かったし。
何かされたか、と聞かれれば…さっき答えた通り、否。頬を触られるなんて、黒鋼くんにもされたことあるから変なことじゃないだろうし。
「(…心配じゃなくて、嫉妬…してくれたわけじゃあ、ないよね)」
なーんて。自意識過剰にも程があるよねぇ。黒鋼くんにとって、僕はただの旅の同行者でしかないんだから。
そりゃあ…名前を呼んでくれるようになったし、最初の頃より距離は縮まったと思うけれど。
だけど、それとこれとは別の話だ。僕が…勝手に彼のことを想っているだけなんだからさ。
期待とか、望みとか…そういうのは抱いちゃダメ。俯いた顔には、自嘲的な笑みが浮かぶ。
「お前が何もされてねぇって言うなら、それを信じる。…だが」
「……?」
「それなら何で、そんな辛そうな表情(カオ)をする」
「え…っ」
「俺と小僧が姫を捕まえた後、ずっと辛いんだか痛ぇんだかよくわからねぇ顔をしてるぞ。あのへらいのもな」
「ファイくんも…?」
何も、なかった。本当に何も。
ただ―――ファイくんが何かを、言いかけていただけだ。
「何も隠すな、とは言わねぇが…ちったぁ周りを頼れ」
―――ポンッ
「…うん、ありがと」
「片づけが終わったんなら、部屋に戻るぞ」
「―――ねぇ、黒鋼くん。お願いがね…あるの」
「あ?」
「眠りにつけるまで…傍にいてくれないかな?」
よっぽどイヤでない限り、拒否をしないから。
だから今日は…今日だけは、キミのその優しさにつけこんでもいいかなぁ?
明日からは、また仮面を被るから。
"普段の僕"に戻るから…今だけは、甘くて幸せな夢を見せて。
―――チュン、チュン…
「んー…朝…?」
鳥のさえずりが聞こえて、目を開けてみれば窓から柔らかい光が差し込んでいた。
外の明るさから考えると早朝ではなさそう…もう皆起きてるのかな?
くあ、と欠伸を1つ。体を起こして、大きく伸びをすれば頭も段々覚醒し始める。
…部屋の中に黒鋼くんの姿はない。僕が眠った後、自分の部屋に戻ったのかな?
「キミが部屋を出て行った記憶がないってことは、眠るまで此処にいてくれたんだね…本当に」
ベッドの横にイスを置いて、何も言わずにただ手を握ってくれてた。その温かさはまだ、左手にしっかりと残っていて、自然と笑みが零れる。
キミは…本当に優しいと言うか、甘いよね。こういう時は。
突拍子もないワガママだったのに。断ってくれても構わないことだったのに…叶えてくれちゃうんだもん。
もちろん、本当に心から望んでいたことではあるんだけど。
そんな簡単に叶えてくれちゃったらさ、ダメだとわかっていても少しだけ…期待してしまうんだよ。
「(ぶっきらぼうなのに、心根は優しい人だから…そういうのじゃないんだよね、きっと)」
―――カチャッ
「あ、おはよー緋月ちゃん」
「おはよ。…皆はまだ寝てるの?」
「うん、ぐっすり寝てるみたいだよー。飲み物、紅茶でいい?」
「大丈夫ーありがとう」
着替えてリビングに来てみれば、そこにいたのはファイくんだけだった。
いつもは割と早起きの黒鋼くんと小狼くんも起きていないなんて、珍しいこともあるもんだね。
僕も朝は弱いから、起きてくると大体皆起きてるもの。
紅茶を受け取ってイスに座れば、ファイくんも隣に腰を下ろした。
…昨日の今日だから、ちょっと気まずいやも…。
「そうだ、昨日はごめんねー?驚かしちゃって」
「えっあっううん!それは全然、大丈夫」
「本当ー?ならいいんだけど」
「うん。驚きはしたけど…でも1つだけ聞いてもいい?」
「なぁにー?」
「昨日、言いかけてたこと…何だったの?」
目線を合わせて問い掛ければ、ほんの一瞬だけ彼の瞳が揺らいだ。
すぐにへにゃんと笑みを浮かべたけど、でもそれは口元だけの笑みで。何か聞いちゃいけないことを聞いてしまったような…そんな気分になった。
言いたくないのなら、そのままでいい。
だけど、あの時の淋しそうな表情が気になってしまったから…大切なことだったのかな、って。
彼の中でもう解決をしているのなら、それはそれでいいんだけど。
「…あれは気にしなくていいよー。大したことじゃないんだ」
「……淋しそう、だったから。あの時」
「え?」
「何か言いかけた時のファイくん、淋しそうだった。痛そうだった」
「本当に…黒様といい、緋月ちゃんといい…よく見てるよねぇ」
「言いたくないならそれでもいいの。…だけど、溜め込むのが辛いなら話して」
「うん、ありがとう…今は、大丈夫だよ」
そう言って、にっこりと笑みを浮かべた。
今度は口元だけの笑みではない。目も…ちゃんと笑ってる。いつものファイくんの笑顔。それが彼の本当の笑顔だとは―――思っていないけどさ。
「…ん、わかった」
「ごめんねぇ、心配かけちゃったみたいで」
「そんなことないよー。僕が勝手に気にしてただけだしね」
「……いつになるかはわからないけど…ちゃんと話すよ。昨日、言いかけたこと」
「わかった。…じゃあ、この話は終わりにしよっか」
「そうだねー」
全てが解決したわけではないけど、それでも気持ち的にはスッキリしたし、良かったかな。話せて。
ぐう〜…
少し晴れ晴れとした気持ちで紅茶を飲んでいたら、お腹が鳴りました…それも盛大に。
「あはははっお腹空いたー?」
「ううー…恥ずかしい…」
「生きてるんだもん、お腹ぐらい鳴るよー。朝ご飯もまだだったし、食べよっかー。ちょうど…」
―――ガチャッ
「おっはよー!」
「おはようございます!」
「おはようございます」
「小狼くん達も起きてきたことだしねー」
「そだね。おはよー、3人共」
黒鋼くんが一番最後か…。彼にしては珍しいけど、もしかしたら疲れてるのかも。
昨日は予選の後、酔っ払った姫さんを追いかけてたし、その後も僕につき合わせて寝るの遅くなっちゃったもんね。
ごめんね…でも、ありがとう。今日くらいは、ゆっくり休んでてください。
「…あ、ファイくん。食材少なくなってきてるよ?」
「本当だー。そろそろ買い物行って来なきゃだねぇ」
朝ご飯を食べ終わって、残りの材料を確認したら大分少なくなっていた。
お酒も買い足した方がいいかな…最近は黒鋼くんだけじゃなく、僕やファイくんも飲むようになってるし。…時々だけどね。だから、結構消費量が多いのですよ。
えっと、食材とお酒とー…買う物が思ってたより多いな。車で行った方が良さそうだねぇ。
「じゃあ、おれ買い物行って来ますよ」
「わたしも行ってもいい?」
「モコナもー!」
「はい」
「緋月ちゃんも一緒に行こう!」
「へ?」
「あ…何か用事とかある?」
「ううん、ないよー。一緒に行ってもいいの?」
「うんっ行こう!」
「じゃあ、お願いしちゃおうかなーこれ買い物のメモだよー」
僕と姫さんも手伝ったりするけど、ご飯を作ってくれてるのはファイくん。
だから何が必要とか、何が足りないとか、それを把握してるのも彼なんだよね。ご飯作る時に必要なものがなかったりすると、大変だから。
メモに軽く目を通して、出かける準備をする。
寒くはないだろうけど…さすがに薄い上着を羽織っておいた方がいいよねぇ。
「緋月ちゃん、準備出来たー?」
「うん、大丈夫ー。じゃあファイくん、行ってくるねー」
「いってきます!」
「いってらっしゃーい。気をつけてねー」
姫さんと手を繋いで、先に外で待っている小狼くんの元へと。
「お待たせ、小狼くん」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「おっかいもの♪おっかいもの♪」
「車、出しますよ。掴まってて下さいね?」
「「「はーい」」」
程なくして走り始めた車。…こういうのって、人の性格がきっちり出るもんなんだなぁ。黒鋼くんが運転する車にも乗ったけど、彼はちょっと乱暴だもん。ドラゴンフライもそうだけど。
小狼くんはやっぱり、丁寧。でもスピードは遅くないから、ちょうどいい感じ?
気候はポカポカ。風も適度に吹いていて気持ちいい。
「こう暖かいと眠くなってくるねぇ」
「ふふっ緋月ちゃん、眠そうな顔になってる」
「眠れなかったんですか?」
「ううんー、ちゃんと寝たよー。でもお昼寝するのに、ちょうどいい陽気なんだもん」
「ポカポカしてるよねー」
「確かに…気持ちのいい陽気です」
「うん。風が吹いてても寒くないものね」
何だかゆったりと時間が過ぎていってるなぁ…今までの国と違って。
ドラゴンフライレースの本選がまだ終わってないけど、こういうのもたまにはいいかもしれない。
ただ身を任せてのんびりと、皆で笑ったり、色んな話をしたり、お酒を飲んだり、ドラゴンフライの整備をしたり…そんな風に過ごしながら。
…こんな風に思えるようになるなんて、自分でもびっくりだ。
きっとこれも―――
「(キミのおかげだね。黒鋼くん)」
「そういえば緋月さん、何処へ向かえばいいですか?」
「マーケットでいいんじゃないかなぁ?あそこで全部買えると思う」
「そうなの?」
「うん。何度か買い物行ったし、間違いないよー」
「じゃあそこに行きましょう」
この国のお店はわかりやすいから、道路にも様々な物を表した看板がたくさんある。
もちろんお店までの道案内を兼ねたヤツもあるから、初めて行くお店でも迷うことはほとんどない。迷っちゃったら、色々と大変だもんねぇ。
無事マーケットに着き、メモに書かれている食材を買い込んでいく。それを車の後ろにある荷台に積み込んで、次の場所を目指す。
このマーケットって、すっごい大きくて広いから。だから、中を移動するのにも車で、が常識なんだって。
「えっと、あとはお酒を買って…」
「楽しそうだね、姫さん」
「予選通ったから?」
「もちろんそれもあるんだけど、あとねいい夢見たの」
「へえ?どんな夢だったの」
ウキウキと話してくれる姫さんは、本当に楽しそうに笑っていて。見ているこっちまで楽しくなっちゃう。
彼女が見た夢っていうのは、誰かが手を握ってくれていた夢。
よく覚えてはいないらしいんだけど、いい夢だってことはわかるみたい。…起きた時、すごく幸せだったから。
その話を聞いた小狼くんの頬が少しだけ、赤く染まっていた。
昨日、姫さんの部屋を最後に出たのは彼だった。もしかしたら、現実で姫さんの手を握ったのかもしれないね?良い夢が見れるように、って。
大切な人がそれを夢に見て、幸せだと笑ってくれたら…少し恥ずかしいけど、嬉しいことだもの。
「良かったね、姫さん」
「うん!」
「あ、小狼くん。お酒売ってるの此処みたいだよー」
「はい」
―――キキィ
車を降りて、中に入ろうとした所で子供達に「あ!」と指を指された。
えと…何事ですか?子供の知り合いはいなかったはずなんだけど。
「『ドラゴンフライレース』に出てたお兄ちゃんとお姉ちゃん達だー!」
―――ワッ
「ぅえ?!」
「な、なに…っ?」
「テレビ見たよ、頑張ってね!」
ぶんぶんと手を振られました。
知り合いではないけど、どうやらテレビで僕達を見たようで。応援、してくれてるみたい。
「びっくりした」
「ほんと。声かけられるなんて、思いもしなかったしねぇ」
「あのレース、テレビで放送してたんですね」
「テレビって不思議ね」
「阪神共和国にもありましたよ」
「そうなの?僕、合流してすぐに移動になっちゃったからなぁ」
「私もその時はまだ寝てたから…」
―――ザッ
「「「?!」」」
突然現れた人影。それはあっという間に増えて、周りを取り囲まれた。殺気は感じない。でも危険性がないとは言い切れない。
小狼くんは姫さんの前に、僕は姫さんの後ろに庇うように立った。…彼女を護るように。
「『ドラゴンフライレース』の予選通過者だな」
予選が始まる前に感じていた漠然とした嫌な予感が、当たってしまった気がした。