03
ひんやりとした何かが、額に触れたような気がして意識が浮上する。
…どうやら、あの後また僕は眠っていたらしい。
目を開ければ部屋の中は、夕陽によって赤く染まっていた。
「悪い…起こしちまったか?」
「…くろがねく…?」
熱さで頭がボーッとしてて、状況がよくわからない。
彼は確か、一階のリビングにいたはずなのに…どうして此処にいるんだろう?
額に触れている黒鋼くんの手は、今の僕には冷たくて気持ちが良い。
いつもの彼の手は温かいはずだけど…あぁ、そうか、今の僕の体温が高すぎるのか。彼の手が冷たく感じるほどに。
「どうしたの…僕に何か用?」
「用はねぇが、様子が気になってな。…それより、お前体調悪いんじゃねぇのか?熱いぞ」
「そんなこと、ないよ?きっと布団にくるまって、ずっと眠ってたから…体温が上がってるだけ。何ともないから」
「なら、いいが…無理はするんじゃねぇぞ」
―――幻滅だ。てめぇのことなんか、誰も好きにならねぇよ。
―――ドクンッ
「……っ!」
「緋月?」
スッと伸びてくる、手。僕はそれを、思いきり振り払った。黒鋼くんは驚いているようだったけど、僕はそれ所じゃなかった。
さっきの夢の中での彼の言葉が、頭の中をグルグル廻って…消えてくれない。
僕に向けられる言葉は全て嘘で…本当は嫌いなんじゃないか。いらないんじゃないかって。
だけどキミは―――ううん、キミ達はとても優しいから…言い出せないだけ。
仕方なく、一緒にいてくれてるんだって…思ってしまうんだ。
「……らないで…」
「おい?」
「触らないでっ!本当は…僕のことなんか嫌いなくせに、いらないくせに…!」
「…何を、言ってやがる」
「ずっと邪魔だったんでしょ?!血に塗れた、穢れた僕なんか…汚いだけだもんね!!!キミも、皆もそう思ってるんでしょう?!」
―――パァンッ!
一瞬、何が起きたのか…わからなかった。
乾いた音が響いた部屋は、しんと静まり返って何の音もしない。ただただ、静寂が支配している。
徐々に…左頬が熱を持つように、じんじんと痛みを訴え始める。
そこで初めて、黒鋼くんに引っ叩かれたんだって…認識できたんだ。
「…お前、本気でそんなことを思ってやがるのか」
低い声が、静かな空間に響く。
向けられている赤の瞳は、激しい怒りを含んでいて。今まで僕に向けられていた表情とは、全く違うことに恐怖を感じたの。
あぁ、彼を怒らせた。今度こそ―――本当に嫌われてしまう、と。
「俺が、あいつらが…本当にお前のことを嫌ってるとでも思ってんのか。今までの俺達は、芝居をしてたとでも?…馬鹿なこと言ってんじゃねぇぞ、緋月。お前はそこまでバカじゃねぇはずだろう。
小僧も、姫も、魔術師も、白まんじゅうも…本気でお前のことを心配してると、何故わからねぇ?何故、全てを疑う必要がある?!」
「あ……僕、は―――」
「…何があったのか知らねぇがな、それ以上馬鹿なことをほざいてみろ。今度は平手じゃ済まねぇぞ」
「ごめ、なさ……っ」
「…頼むから…少しは信じてくれ。あいつらの言葉も、俺の言葉も」
「うん…っ!ごめん、ごめんね黒鋼くん―――」
「嫌いになんて、ならねぇから。…大丈夫だ」
ごめんなさい、黒鋼くん。
キミに悲しい思いをさせたかったわけじゃないのに…こんな僕で、ごめんなさい…。
一度、壊れかけた心。
それは修復されたように見えるが…ヒビの入ってしまったガラスは、とても脆い。―――ただ砕け散るのを、待つのみだ。
眠りに落ちる直前。黒鋼くんが一緒にいてくれて良かった、と思った。
もし彼が残ると言ってくれなかったら。もし僕がそれをも断って、皆が帰ってくるまで1人だったら。…もし誰もいない時に、あの夢を見てしまっていたら。
もしも、なんて…ただの例え話だけれど、僕は気が狂っていたかもしれないなって思ったんだ。馬鹿みたいだけどさ?
だけど本気でそう思ってしまうくらい、あの夢は鮮烈で、いやに現実味があって。
目が覚めてから数分は、現実と夢が混同してたくらいだからね。それくらい…心に重くのしかかっていた。
それほどにまで、僕は彼らに嫌われてしまうのが怖いんだと…改めて認識したよ。人との関わりなんて、今までいらないものだったのに。
こんなに深い関わりなら、尚更だ。
でも彼らとの縁(エニシ)は繋がった。か細い糸だけど繋がって、繋がって…強固なものになりつつある。僕はそれを望んでる。
いつか別れなければならない、と認識しているのにも拘らずにね。
…下らないとわかっていても、無駄だとわかっていても…この優しくて暖かい居場所を失いたくないと思う。この場所と皆を護りたい、と。
そんなことを、黒鋼くんに抱き締められながら考えていた。
「ん……朝、かな…外が明るい…」
気持ちは彼に吐き出したからか、幾分楽になっていた。
あの夢を見た時のような、嫌な気分はなかったし…鬱々ともしていない。
…でも体調不良は、現在進行形みたいだ。
いや、むしろ昨日より悪化してる感じ?頭は揺れているかのようにぐわんぐわんしてるし、相も変わらずガンガンと痛みを発してる。
体も鉛のように重たい。…起き上がるのもキツイって、これはマジでマズイなぁ。熱も下がってる様子がないね…上がる一方みたい。
この調子じゃあ、皆に隠し通せない気がしてきたぞー。近いうちにバレてしまうんじゃなかろうか。
てか、さっさと「具合悪い」と告げてしまった方がいいような気もしてきました、僕。
…じゃないと、烈火の如く姫さんが怒る。そして泣かれてしまう。怒るのは小狼くんとファイくんもそうかなぁ……あ、黒鋼くんとモコも怒りそう。
そこまで考えて、はたと気がついた。
「…怒るの、全員じゃんか…」
ハハ、と乾いた笑いが漏れた。
苦笑の類じゃない。もう笑顔を作るのも、笑い声を発するのもキツイんだっての。ここまでくると、僕の体調の悪さは重症だねぇ。
「とりあえず…着替えて下に下りないとね。事情説明するなら、尚更だよねぇ」
熱のダルさで重い体を引きずるようにして起こし、ベッドから下りる。あー…歩くのも大変。階段から転げ落ちちゃいそ、僕。
カーテンを開けて、クローゼットから適当に服を選び出す。
いつもならコーディネートとか考えて選ぶんだけど、今日はそんなこと考えられるほど頭が働いていないから。
だけど、いつもの習慣なんだろうねぇ?鏡の前に立って、ボーっとする頭で自分の姿を見る。
「あ、れ…?」
上手く働いてくれない頭でも、異常というモノは感知してくれるものらしい。
首元に何か違和感のようなものを感じたんだ。何かいつもと違う?っていう違和感。でもすぐにはその違和感の正体がわからなくて、じーっと鏡の中の自分と睨めっこ。
すると、服の襟元から紋様みたいなものが見えていることに気がついた。
まるでタトゥーのような…そんな感じで。けど、生憎僕はそんなものを彫った記憶がないんだよね。
それに昨日まではなかったはずだもの。…多分。
「―――――?!!な、何…コレ」
着たばかりの服を脱いで、自分の体を再度鏡に映し出してみれば。
そこにはよくわからない現実が映し出されていた。信じたくない…現実。
胸の真ん中に描かれた、薔薇。
その薔薇から四方八方に伸びている、茨の蔓。
襟元から見えていたのは、恐らくこの蔓の先端だろう。
今日着たのはVネックのセーターだったから、隠しようがなかったもんね。…だけど、どうにかして隠さなくちゃ。皆には見られてはいけない。
瞬間的にそう思った。…どうしてかはわからないけど。
ジェイド国で黒鋼くんに貰ったストールを首に巻きながら、昨日読んだ本の一説が頭の中に浮かんだ。
「蔓の模様が全身に描かれた、魂のない殺戮人形……」