運命の日


少年のお母様が、倒れた。
どうやらあの女性は、元々体が弱い人のようで。その上、結界とやらを綻ばせないように気を張ってるみたいだし…あまり無理を出来ない体には、負担が大き過ぎるんだろうね。
少年が捕って来た魚も食べられる状態ではないみたいだ。


「ごめんなさいね。せっかく美味しいお魚を捕って来てくれたのに」
「……いいんだ」
「押し寿司にしてもらえるように頼んだのよ。それなら後でも食べられるし、貴方好きでしょう?
私が作れれば良かったんだけれど…」
「いいんだ!母上が…元気になってくれさえすればいいんだ」


……痛い。僕自身のことではないのに、こんなにも胸が痛い。
少年の母へ対する思いの深さに、泣きそうになってしまう。


「…優しい子。ほんとうにお父上そっくり……」


どうか―――この2人には幸せになってほしいって、思ってしまう。
そんなこと、僕が願った所でどうにかなるわけじゃない。それはわかってる、理解してる。
だけど。どうしても願わずにはいられない。黒鋼くんに似た少年と、少年が大好きなお母様が…ずっと幸せに、笑って過ごせることを。


「誰にもおれ達の姿は見えていないんですね」
「声も聞こえてないみたいだね。…それに、目の前で起きていることに僕達は影響を受けていない。本に書かれた物語を見ているだけかのように…」
「だとしたら、何故出てくる人物が黒鋼さんに似ていたり、居た国と同じ名前だったりするんでしょう?」
「―――最初は真っ白なページ…」
「え?」
「黒鋼くんが言っていたでしょう、中も何も書いてないって。だけど、次に小狼くんが開いた時は?」
「…レコルト国とは明らかに違う世界が広がっていた…」
「それだけじゃない。本に文字も書かれてたよね」
「!ひょっとして……っ」


…そう。僕もまさか、とは思うけど。でもそう考えれば、全てが納得出来るような気がして。

この本は一度目に開いた人の記憶を、二度目に開いた者に見せる本。
要するに記憶の本、ってことだろうね。魔法のかかった。
だから、本に触れていない僕もこの世界に引きずり込まれたんだと思う。何か強い力を感じたのは記憶にあるし、その時は小狼くんのすぐ傍にいたしねぇ。


「強くなりたい。母上が安心して、結界を張るのを少しでも休めるように。早く…もっと強くなりたい」


月の光に掲げた刀身がキラキラと反射している。
その光に、月に―――自身の愛刀に、誓う強さへの思い。少年がお父様に誓った頃よりもずっと、深く、強くなった思いの丈。


「だとしたら、これは…黒鋼さんの記憶かもしれない」
「……憶測、だけどね」
「見ちゃダメだ…大事な黒鋼さんの記憶なんだから」


この本には魔法がかけられている。きっと僕達の力では抜けられないだろうし、魔法を解くことも出来ない。
ただ…本が映し出す彼の記憶を見る他に、術はないんだ。そこに僕達の意思など、思いなど―――関係ない。

またページは捲られ、時間は進んでいく。
そして…運命の日が刻々と近づいているんだ。


「破魔・龍王陣!!」



また大きく成長した少年が放った技。お父様に教えてもらっていた技より、更に難易度が高いと言っていた「破魔・龍王陣」。
力強いその技は、でかい魔物を一刀両断した。…力も…また上がっている。


「ありがとうございます!若様!」
「怪我はなかったか?」
「なに、こんな傷なめときゃ治ります!」
「俺がもっと早く着いていれば…」


村人の男性は、腕に傷を負っていた。
そんなに深くはないだろうけれど、少年の心は痛んだのだろう。"怪我をさせてしまった"、と。
此処に着くのがもう少し早ければ、怪我をせずに済んだのかもしれないのに…そう思っているのかもしれないね。だけど、それは違っているようで。


「何をおっしゃる!ご領主と若様が魔物を退治して下さるから、わしらはこの諏訪で暮らしていけるんです!」
「巫女である奥方様もだ!」


ああ…温かい。少年の家族を見た時も感じたけれど、この場所は温かさで溢れている。
この諏訪を守りたいと願う、少年とその父と母。そして家臣。
そして―――その3人を心から慕っている村人…。

お互いがお互いを思って、思い合って生きているんだね。この諏訪という場所は。
その証拠にほら…小さな女の子が、奥方様が早く良くなられますようにって花を摘んできてくれている。
女の子の思いが通じたんでしょう。少年は優しく微笑んで、その花を受け取った。

そしてまた、ページが捲られ…時間が進む。
新たなページが紡ぐのは、少年の深い闇と狂気。そして…量りきれない程の、絶望と悲しみだ。


「領主!治療が先です!」
「大声出すな。息子に……」

―――ガラッ

「!!父上!」
「ほら見つかったじゃないか」


この男性は、確かかなりの強さを持っていたはずだ。少年が憧れる程に。…だけど、それにも拘らずそこら中が傷だらけになっている。
家臣と思われる人達も、皆血だらけ。…男性が使っていたであろう刀も、刀身が折れてしまっていて。
あらゆる事柄から、この人達が戦っていたモノは―――かなり強いんだと、わかる。

それでも、この人は逃げないのだろう。愛する妻を、息子を、そしてこの地を守る為に身を削る。失いたくなど、ないから。


「じゃあ、行って来るぞ。息子」
「先に治療を!!薬!…いや、医者だ!」
「は、はい!」
「いい。すぐ出る」
「父上!」
「ちょっと取るものがあって戻っただけなんだ」


領主と呼ばれる男性にも、少年にも傍にもいた…恐らく側近である男性。
その人が布に包まれた何かを、男性に差し出した。
シュルリ、と解かれる紐。バサリ、と落ちた布。中から現れたのは―――――


「綺麗な刀…」
「黒鋼さんも同じ刀を持っていました。…対価として、あの人に差し出してしまいましたけど」
「侑子さん、か。黒鋼くんが刀を持っていなかったのは、そういう理由だったんだね」


家宝の『銀竜』。大切な刀を手に、彼はもっとも大切なものを守る為に…戦うのか。
男性が持っている刀は、この家にとっての宝物。普段は絶対に持ち出すことはないのだろう。…何か、特別なことがない限りは。



「銀竜!!銀竜を連れて行かなきゃならない魔物なのか?!」
「ああ。ちょっと厄介な相手だ。…だが、倒すさ」
「いけませんわ」
「母上!」
「家宝・銀竜をお持ちになるのに、私をお呼びにならないなんていけません」



緊迫した空気の中に響いた、凛とした…それでいて澄んでいる美しい声。
さっきまで伏せていたとは思えない程に、しっかりと地を踏んでいる少年のお母様。
しばし、静かに見つめ合っていた2人だったけれど…やがて、男性が困ったような声音で言葉を紡いだ。


「昔からそうだったな。奥は無茶ばかりする」
「それは貴方様もでしょう」
「そうだな。家宝の出陣だ。巫女の祝詞を」
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