02


一体、何が始まるんだろう?
鞘から抜いた刀は、女性の前に掲げられた。
そして、鈴を転がすかのような…とても、とても綺麗な声で言霊がのせられる。


諏訪を守る 水を統べ 天翔ける竜よ
其の名を戴きし 家宝を持つ者を守り この諏訪を守り賜え


言霊は、思っている以上の威力を持っているものだ。
ただ紡ぐだけの何も考えられていない言葉でも、それは言霊と呼ばれるもので。
誰かの心を癒すことも、喜ばすことも、悲しませることも、怒らせることも―――傷つけることだって出来るんだよ。

この女性の紡ぐ言霊は、護りの言霊だ。愛しき男性を死なせないように願う…巫女の祝詞。
家宝の刀を解き放ち、その刀を奮う男性を守ってほしいと。


「出る」
「御武運を」


祝詞を受けた男性は、女性の美しい髪を一房掴んで…口付けを1つ。
その光景を見て、あの時のことが頭の中をよぎった。


「あ……」
「?緋月さん、どうかしたんですか?」


無意識に自分の髪に手を伸ばす。
…そうだ、あの時。彼も今の男性と同じように、僕の髪を一房掴んで―――


「あの人と、同じ表情してたんだ…」


何かを、慈しむかのような表情で。口付けはされなかったけど、とても優しい瞳だったのを覚えている。
すごく…ドキドキして、胸が苦しかったから。

紗羅ノ国での――――――黒鋼くん。


「俺も行く!」


少年は、望む。大好きで、大切な父と母を自分の手で守りたいと。この諏訪の地を守りたいと。…何よりも、皆の役に立ちたいと望む。
だが、その望みは父の一言に一蹴されてしまう。


「ああ、強くなった。だから、その強さでお前の愛するものを守れ」


…今から戦場に出る自分の代わりに、此処を守れって意味なんだろうね。
確かにあの少年は強くなったし、一緒に戦うことも無理ではないと思う。それはあの男性も認めていたし。

けれど、それでは此処を誰も守ってあげられない。
諏訪は守ることは出来るかもしれない。民を守ることは出来るかもしれない。でも―――この家の者を守ることが出来るのは、一体誰か?

男性の答えは、自分の愛する息子だったのだろう。


「(だからこそ…此処を託した。自分の愛する人を、少年が大切な人を守ってもらう為に)」


馬に飛び乗って、颯爽と駆け出す領主の男性とその家臣。
僕と小狼くんも少年と一緒に、遠ざかっていく彼らの背中をずっと見つめていた。…これがあの男性を見る、最期の瞬間のような気がして。

刹那。女性の悲鳴が耳に届く。
少年が辿り着いた先で、女性が血を吐いて倒れていた。
体調が良くないのに、家宝に護りの言霊をのせたんだ…弱っている体への負担はきっと、半端ない。
それに耐えられなくなってきているのだろう。
医者を呼ぼうとしても、女性はそれを拒み―――祷場へ連れて行ってほしいと願う。


「領主の出陣です。そして、これからこの国を、みなを守る為に戦われる。その戦いの勝利を祈り、結界を守るのが巫女の務め。私を祷場へ連れて行って下さい」


伸ばされた手は震えていた。
もう…限界なんだ。体はとっくに悲鳴をあげているのに…女性は戦うことをやめない。自分の体がどうなろうとも、どれだけ辛くても―――きっと。

この家は―――強い。
守ることが出来るのなら、どんな危険も厭わないようなそんな強さを持っている気がするんだ。……その強さが、眩しい。

少年が女性を連れて行った"祷場"と呼ばれる部屋。
僕には見覚えがある部屋だった…いや、見覚えがあって当然だ。

だって―――



僕ガ コノ女性ヲ 殺シタ部屋ダカラ



「っ……!!!」
「…緋月さん?」


いや…いやだ、やめて。見せないで。見たくないの、あんな光景はもう二度と見たくないの…っ!!!
殺さないで、これ以上は…奪わないで。
誰かの命を、幸せを、大切な人を―――奪いたくないっ!!!


さあ、奪え…あの女の命を、子供の全てを!!!


「やめてええぇえええっ!!!」


僕の声は誰にも届かない。
だって、この世界に存在していないから。此処は本の世界だから。


目の前に広がったのは、真っ赤な少女と胸を貫かれた哀れな女性の姿―――。
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