狂気の少年
目的を果たした赤い少女は、時の切れ目へと姿を消した。
少年の涙と、悲しき咆哮を聞きながら。
「っふ……!」
「緋月さんっ?!しっかりしてください!」
「…なさ……ごめんなさ…っ」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!!!
どれだけ謝っても、泣いても…何も変わらない。許してなんて、もらえない。
だけど、壊れた機械のように僕はずっとそう繰り返していた。そうでもしていないと、狂ってしまいそうだったんだ。心が、感情が。
目の前に広がる赤。
少年の叫び。
女性の涙と最期の言葉。
あの夢と一緒だ…僕の拭い去れない過去。罪。僕が永遠に忘れ去ろうとした―――映像。
…記憶にあるのは此処までで、この先のことは何も知らない。
大切な人を目の前で殺され、奪われた少年を待っていたのは…もっと凄惨な光景だった。
―――ズウウウン…ッ
「……マモノ……」
「そうか…あの女性が死んでしまったから、此処を守っていた結界が切れてしまったんだ…!」
魔物と呼ばれていた異形のモノは、城を壊し、全てを奪い去っていく。
―――さっきの、幼い僕のように。
…?あのバケモノ、何か口に咥えている…?
此処からじゃよく見えないけれど、何か刀のような―――
「あれは……人の腕…!」
少年にもそれが見えたみたいだ。
大きく目を見開き、咥えられている腕と刀を凝視している。あの腕は恐らく―――彼のお父様のもの。
このバケモノは、あの男性が討伐しに行ったバケモノなのか。
それが此処にいるということはきっと…あの人達は誰一人として、生きてはいないのだろう。
…跡形も残らず、喰い尽くされた…?
やっとハッキリしてきた思考。だけど、自分で考え付いた結論にまた眩暈がする。涙が浮かぶ。
あまりにも…酷すぎる。
「彼にはもう……誰もいないの…?」
バケモノの口から落ちてきた、家宝の刀。
全てを悟り、全てに憎しみを向けた少年の純粋な心。純粋が故に、闇に染まりやすいんだ。
だって、ほら……もう正気を失って、己を失っている。
闇に―――蝕まれた、飲まれてしまった。
「あんなに…綺麗な所だったのに…」
バケモノに襲われた諏訪の地は、焼け野原と化していた。建物はすでに原形を留めてなどいない。全て崩れ、焼き尽くされている。
地面に転がっているのは、数多の死体とバケモノの亡骸。
焼き尽くしたのはあのバケモノだけれど、そのバケモノを八つ裂きにしたのは…紛れもなく、あの少年だ。
怒りのままに、憎しみのままに刀を奮い、全てを斬り捨てていったのだから。
その少年の元に、たくさんの人を引き連れて美しい女性が1人現れた。
「そこにいますね、諏訪の若君。
我が名は天照。日本国の帝。諏訪の結界を守る巫女が事切れた、と…我が妹・月読が夢で視ました。魔物が諏訪の領内に入り込むであろうと、兵を率いて来ましたが…領内の魔物は討ちました。もっとも、ほとんどは貴方が倒した後だったようですね」
雲に隠れていた月が、顔を出した。月の光によって徐々に映し出される、少年の姿。
家宝の刀…お父様の形見を手に、お母様の亡骸を抱えた少年がそこにいる。
全身を真っ赤に染め、狂気に満ちたオーラを纏い。
真っ直ぐな光を宿していた瞳は、今は憎しみしか映っていない。あの時の少年の瞳の面影は、もうなくなっていて。
ただただ、目の前にいる敵を斬り捨てるだけ。
相手が自分に対して敵意がないとしても、彼にはそんなことは関係無いのだから。彼を落ち着かせようと何人もの人が向かっていくけれど、誰一人出来なかった。
「…諏訪の領主は強い人でした。そしてきっと、自分を凌ぐだろうとそのご子息の成長を楽しみにしておられた。けれど―――今、若君は己を失っているようですね。もっとも詮無いことですが。しかし、このままにしてはおけませんね。止めなければ」
「お待ち下さい、お姉様」
「月読」
「お姉様がお止めになると、腕の一本も落としかねません。私にお任せ頂けませんか?」
天照と名乗った女性が一歩引くと、月読と呼ばれた少女が…何か印を結んだ。
少女が結んだ印は、少年の左手を瓦礫に縫いつけた。文字通り、"動きを止めた"のだけれど…少年はそれでも大人しくならない。
平に深々と食い込んでいるのに、その印から抜け出そうと左手を引っ張っていた。
お願い……もう動かないで。これ以上、キミ自身を傷つけないで。
そして何より―――――
「お母様を眠らせて差し上げましょう」
「お母様を眠らせてあげて……」
亡くなった時のまま、開かれていた女性の瞳。少女の手によって静かに、閉じられた。
その姿を見て、傍らに落ちている刀を見て…少年はまた、静かに涙を流した。
大好きだったのに、大切だったのに、守ることが出来なかった2人を思って。もうこの世にはいないんだという現実が、まだ小さい背中に圧し掛かる。
後に見た光景で、少年の名前は黒鋼。少女の名前は知世だということを知った。
僕らが考えていた通り、今まで見ていたのは彼の過去だったみたい。
同時に、僕が殺したのは…黒鋼くんのお母様だという確信を得た。
この事実は―――変わらない。
どんなに嘘であってほしいと願ったとしても、事実は目の前にある。
―――ザアッ
景色が、変わった。
さっきまでいた所ではなく、僕達が元々いた場所。レコルト国の図書館に戻ってきていた。
夢のようにも思えたけれど、紛れもない事実だ。消えない赤が、凄惨な光景が…瞼の裏に、脳裏に焼きついて離れない。
胸が、どうしようもなく痛む。こみ上げてくるのは、懺悔の涙。
―――ガクンッ
「緋月ちゃん?!」
「小狼くん!」
「っく…ふ……」
「小狼と緋月泣いてる!」
涙が…止まらない。次から次へと、勝手に溢れ出して来るんだ。
どんなに止めようと思っても、どんなに瞳を拭っても…頬を伝って流れ落ちる。
「母上!」
さあ、奪え…あの女の命を、子供の全てを!!!
やめて…もう、ワタシは誰かを殺したくなんてないの―――
「母上!母上!!」
「結界が…切れてしまう…」
助けて……誰か、あの人を助けて。
「諏訪を……貴方を…守れな………」
「母上ぇええ!!!」
ごめんなさい…ワタシがあの人を殺さなければ、彼は全てを失わずに済んだのかもしれない。…笑っていられたのかもしれない。
こんな絶望を味わわずに、幸せに暮らせていたのだろうか?
ワタシが壊したんだ。全てを奪ったんだ。あの方の命令だったとはいえ、実行したのはワタシなのだから。
この罪は全て背負わなきゃいけない。身を焼き尽くすほどの地獄の業火に焼かれながら、未来永劫許されない罪を償わなくちゃいけないんだ。
「―――ろして……」
「…緋月ちゃん?」
「ワタシを……殺して…」
そうしてもらわなくちゃ、あの人の魂は浮かばれない。安らかに眠ることなんて出来ないから。
ワタシを殺して、復讐を果たしてこそ…ようやく眠りにつけるのでしょう?
僕の意識はそこで、プツリと途切れた。
「気を、失ったみたい…」
「小僧も同じだ。何処かで休ませるぞ」
「あ…じゃあ、わたし係の人を呼んできます!」
「じゃあ、お願いしようかなー」
「はいっ!」
―――タタタッ…
「一体何があったのかなぁ?尋常じゃない様子だったよねぇ」
「…さぁな。それはこいつらにしかわからねぇだろ」
(確かに"殺して"と紡いだ…とても辛そうに、悲しそうに)
(ようやく前を向いたかと、思っていたのに…一体、何があった?)