あの人は大人でも、私はこども
学生の頃、年上の人とつき合うことはあっという間に大人の階段を上ることなんだと勝手に思っていた。
side:紡
「えっそうなの?!」
「ちょっ…紡くん声大きい!」
「あ…ごめん、縁ちゃん」
慌てて口元に人差指を当てて「しー!」って彼女は言うけれど、そして私も反射的に謝ってしまったけれど、此処は事務所でもカフェでもない。私の自室だ。
確かに遅めの時間ではあるし、お父さんももう休んでいるけれど…近所迷惑と怒られるような声量ではないと思う。うん、まぁ大きめな声が出たなぁって自覚は多少なりともあるけれど。だってそれだけ驚いたんだもの。縁ちゃんの告白に。
何の告白かと言いますと、大和さんとまだキスしてないってこと。縁ちゃんがアイドリッシュセブンのメンバーでもある大和さんとおつき合いを始めたのは、今からかれこれ半年近く前のこと。
2人から万理さんと一緒に報告を受けた時は、とても嬉しかった。大和さんが縁ちゃんを大事に想ってくれていることはわかっていたし、本気だということもわかっていたから。何より自分のことを二の次にしていた彼女が、やっと自ら欲しいと手を伸ばしてくれたことが嬉しかった。
後々、縁ちゃんを大和さんにとられてしまったようで悔しい・淋しいと思ったし、今でもほんの少し思ってはいるんだけれど。でもあの頃に比べれば薄れてはいると思う、悔しさも淋しさも。
「仕事ですれ違うことなんてしょっちゅうだし、オフがかぶることも稀だし…それはもう最初からわかっていたことだから、そこまで思い悩むことではないんだけど」
「うん」
「でも、…こんなにも手を出されないものなのかなって」
ローテーブルにマグカップを置いた縁ちゃんは、私のお気に入りであるうさぎのぬいぐるみをギューッと抱きしめたまま寝転がってしまった。
チラッと見た彼女の表情は、どこか淋しそうに見えて、尚且つ不満そうにも見えて。怒っているような気もするし、単純に疑問に思っているようにも見えるし…想像するに、縁ちゃん自身もよくわからない感情がグルグルしているのだろう。
それを全て大和さんに吐き出せればいいのだと思うけれど、彼女の性格を考えるとそれはなかなか難しいようにも思うんだよね。昔に比べれば自分の気持ちを素直に口に出せるようになったと思うけど、でもそれは全部じゃない。今回のような悩み事の場合、恋人に打ち明ける方がきっと大変で恥ずかしいことなんだろう。
言葉を間違えれば、貴方に不満があります!と宣言しているようなものだ。…いや、それもあながち間違いじゃないのかなぁ。
「縁ちゃんはさ、大和さんとキスしたいの?」
彼女が紅茶と一緒に持ってきてくれたクッキーを齧りながらそう尋ねると、転がったまま「う〜〜〜」と呻き声を上げてしまった。これはまた…想像以上に複雑な感情が渦巻いている感じだなぁ。
そして自分のお姉ちゃんとマネージメントしているグループのメンバーの赤裸々な事情を聞くって、なかなか経験しなさそう。というか、恋バナをあまり好まない縁ちゃんからこんなことを話されるとも思っていなかった。嬉しいけど。やっぱりこういう話ができるの、少し憧れていたから。
相手をよく知っているから、想像が生々しくなってしまうのが問題だけど。うん。
「キスしたいというか、何というか…」
「うん?」
「あの人は私に触れたくないのかなぁって不安に、なる」
縁ちゃん曰く、大和さんは成人した大人で自分はまだ未成年だから触れてくれないんじゃないかって。子供扱いされているんじゃないかって。好きだと言ってくれたし、大事に思ってくれているのもわかってはいるけど、もしかしたら本当はもっと大人の女性が良かったと思われているんじゃないかって。
彼女からしたら切実な悩みなんだと思うけど、私からしてみれば言えることはただひとつだけ。それは絶対にない、ということだ。
不安になった時、人間というのはどんどん思考がネガティブな方へといってしまう。それは私にも経験があるし、よくわかるんだけど…でもやっぱり、それだけは絶対にないと胸を張って言えるんだよ?縁ちゃん。
「大和さんは本気だよ。本気で縁ちゃんが好きで、大事にしたいって思ってくれてるよ」
「…でも、」
「確かにあの人の周りには綺麗な女性がたくさんいると思うし、出会う機会もたくさんあると思う。それでも選んだのは、縁ちゃんだったでしょう?」
頭を撫でてそう問いかけると、僅かに首を縦に振った。
縁ちゃんと大和さんに必要なのは、2人で話す時間なんだろう。恋人同士になって半年近く経つとはいえ、2人で話せた時間は極々僅かだろうから。
弱ってしまって、不安に押しつぶされそうになっている縁ちゃんの心に響く言葉を紡げるのは、私ではなく大和さんだと…そう思うから。