濡れた瞳


気まずくなってしまった、なんて思いたくなかった。でもだからといって、今まで通りにできるかと言われたらきっと答えは否、だと思う。



皆がそれぞれの部屋に戻って、寝静まっているであろう深夜のこと。僕は何だか眠れなくて、眠れる気がしなくて、ベッドに腰掛けてひたすら本に神経を集中させていた。けれど、気が付けば黒鋼くんとシャオとモコが買い物に行っていた間のことがフラッシュバックして、ページを捲る手が止まってしまうんだ。
あの後のファイくんはいつも通りに見えた。柔らかい笑みを浮かべて、モコやシャオの話を聞いて。時折、黒鋼くんにちょっかいを出して怒られて、僕に「おかわりは?」とか「お茶、飲む?」って声をかけてくれる。それに対して不審な態度はとってないと思うし、洗い物を一緒にした時も普通に話せていた、…と思いた い。でもどこかぎくしゃくしてしまってる気がして、上手く笑えない。
きっと聡いシャオ達は何かあったのでは、と気が付いている気がします。

本をパタリ、と閉じて時計を見れば、とうの昔に針はてっぺんを越えていてもうすぐ深夜2時になろうとしている。それなのに一向にやってくる気配のない眠気に溜息を吐き出した。
色々考えすぎなのかな、とも思う。だけど、考えてしまうのは仕方ないと思うんだよね…かと言って、僕がファイくんにしてあげられることなんて1つもないんだけれど。仮に何かをしたとして、それは彼を傷つけてしまうことになるから。ケジメをつけたいだけで、見返りを求めてるわけじゃないと言っていた。…でも、誰かを好きになるってそんなに綺麗なものじゃないってことを、僕は知ってる。だって僕自身がそうだったから。いつだって自分だけを見てほしい、って思ってたから。好きな人の目が自分以外の人に向くのを見るのって、想像以上に辛い。


「ずっと、辛かったのかなぁ…ファイくん」


ぼふん、とベッドに全身を投げ出して大きく深呼吸。ダメだ。考えれば考えるほど、泥沼にハマッていく気がする。これ以上はアウトー、ってやつかなぁ。
黒鋼くんを好きだという気持ちは揺るがない。揺るぐはずがない。つまり、どうしたってファイくんを傷つける結果にしかならないのはわかってるけど…わかって いてもどうしようもないほど、悩んでしまうことってあると思うんだ。僕が悩んだってどうにもならないこともわかってはいますけれども!…僕ってこんなにグダグダ悩むタイプだったんだなぁ。
枕に顔を埋めていると、ノック音が聞こえた。あれ…?もう皆、ぐっすり夢の中じゃないのかなぁ?こんな時間に一体誰だろう。疑問に思いつつもドアを開ければ、そこにいたのはマグカップを1つ持った黒鋼くんだった。


「くろ、がねくん…?」
「眠れねぇんだろ?飲め」


ずいっと押し付けられたのはホットミルク。ふわりと香る甘い匂いは蜂蜜だろうか?…というか、これ、黒鋼くんが作ったのかな?わざわざ、こんな夜更けに。
作ってる姿を想像すると、ちょっとだけ面白くて可愛らしいかもしれない。クスクスと笑いながらもありがとう、とお礼を言えば、返ってきたのはようやく笑った、と安堵の言葉。


「とりあえず、中入るぞ」


彼の言った言葉の意味がわからず首を傾げていると、そう一言だけ告げてズカズカ中に入っていく黒鋼くん。というか、許可とりましょうよ一応。いや、断ることもしないけどさ。
ま、いいか。これが黒鋼くんだもんね。苦笑を浮かべつつドアを閉めて、すでにソファに座っている彼の隣へと腰を下ろす。何だろ、この人が隣にいるだけで少し気分が落ち着いたような気がする。相変わらず、僕の精神安定剤は黒鋼くんなんだなぁ。
持っていたマグカップに口をつければ、程よい甘さと温かさが広がって更にホッとした。


「…へらいのと何かあったか」
「疑問形じゃなく、断定するんだね」
「お前の態度がアイツにだけぎこちなかったからな。小僧と白まんじゅうも気にしてた」


あっちゃあ…やっぱりシャオとモコにも心配かけちゃったんだ。ごめんね。
意を決して僕は、彼らが買い物に出て行っていた間のことをポツリポツリと話し始めた。告白されたこととか、ファイくんを泣かせてしまったこととか、さっきまで考えていたこと…とか。それを黒鋼くんは黙って最後まで聞いてくれていた。


「…という感じで、ちょっと考えちゃってて」
「アイツ、…言ったのか」
「言ったのか、って…キミ、ファイくんの気持ち知ってたの?」


びっくりして問いかければ、一言、おうと返ってきた。何となくファイくんの好意に気が付いてたけど、しっかり認識したのはセレス国を出た後に辿り着いた、黒鋼くんの故郷―――日本国でだそうだ。その時は彼もハッキリ言葉にしたらしく、でも態度からしてまさか僕にそれを伝えるとは思ってなかったみたい。
確かにファイくん自身も伝えるつもりはなかった、って言ってたっけ。どうやら突発的な告白、だったみたい。

それを聞いた彼は自分と同じだ、とポツリ。何でも日本国でされた告白は彼自身、考えていなかったことらしい。
いずれは伝えたい、って思っていたらしいけれど…それはあくまでも旅が終わってから、ってことだったみたいでね?あそこで言ってしまったのは自分でもびっくりしちゃってたみたい。顔には全然出てなかったけど。


「誰かに対する好意ってそういうもんなのかもしんねぇな」
「…それは、わかるかも。というか、キミを好きになってわかるようになったっていうのが正しいかな」


本当に心から人を好きになると、何て言うか…こう、好きとか愛しいとか、そういう気持ちがこみ上げてくると言いますか。上手く言えないんだけど、自分の心とは裏腹に気持ちを告げてしまいそうになるの。僕も実際にあったから。
黒鋼くんも、今日のファイくんも…そうだったのかなぁ、って。


「泣かせ、ちゃったの。きっと、いっぱいいっぱい傷つけた…誰も、傷つけたくなんてなかったのに……!」


泣くのはズルい、卑怯だと思う。自分でもよくわかってるけど、でも、勝手に涙が込み上げてきて頬を濡らしていくんだ。次々に溢れ出てくる涙。それを親指で優しく掬い上げてくれた黒鋼くん。うう、だからキミのその優しさがまた沁みて泣きそうになるんだってば…!ああでも、この温かさは心を少しずつ落ち着けてくれる。
徐々に涙も止まってきて、まだ鼻はぐずぐずいってるけれどさっきよりは少しマシになったはずだ。…と、思いたい、です。


「ぐす、…ごめんね、黒鋼くん」
「別に構わねぇ。落ち着いたのか?」
「うん、もうだいじょーぶ」


最後にぐい、と目を強めに擦ればもう涙は流れ落ちてこない。無理矢理に笑うことを嫌う彼は、僕の顔を見て苦い顔をしたけれど…でも何かを言うことはなく、ただ黙って額に優しいキスを1つだけ。
思ってもいなかった行動に目を瞠ってしまって僕を見て、くつくつと笑い出しやがりました。何だかとても不本意ではありますが、黒鋼くんの笑顔は好きなのでまぁ いいかと思ってしまうのはもう末期だと思うのです。はい。
けど、想いが通じ合ってからはよく笑ってくれるようになって嬉しいなぁ。顔を赤くしつつもそんなことをぼんやりと考えていたら、笑いがおさまったらしい彼が静かに口を開いた。


「…生きていく以上、人を傷つけずに生きていくのは不可能だろ」
「う、ん」
「それに誰かを好きになるっつーことは、少なからず誰かを傷つけちまうんじゃねぇのか?」


その全てに心を痛めていたら、苦しくなるだけだ。だからと言って、全く気にせずにいることも難しいし、無関心でいることだってできないと思う。何も気にせずにいられたらそりゃ楽チンだろうけれど…僕はきっとそこまで鈍感な人間にはなれないもの。


「それでも気にしちまうっつーんなら…笑ってやれ」
「わら、う…?」
「偽りじゃねぇ、本当の笑顔で目一杯楽しそうに笑ってやればいい。アイツだって、お前の泣き顔を見てぇわけじゃねぇだろ」
「…そうかな、」
「少なからず、好きな相手の不幸を望むような奴じゃねぇと俺は思うがな」


気まずさはすぐに払拭できないと思う。でも、だからと言ってそこから目を逸らすわけにはいかないよね。少しずつ、少しずつ…また関係を築き直していけばいい。元通りにはなれなくても、新しい関係を築いたっていいんだから。
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