灰色と王手


―――切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)、再び現る!
被害者はアニー・チャップマン。またしても娼婦が犠牲に。


「どういうことだ?!子爵は昨夜、何処にも行っていなかった!」
「たった一人の容疑者が殺人不可能となると…模倣犯…否、最初から複数犯の可能性もあるね」
「子爵はハズレだったってこと?」
「また振り出しだ…もう一度、絞り直す。セバスチャン、リストを」
「かしこまりました」


主は条件を色々と変えたり、ゆるめたりして絞り直そうとしていたけど…ロンドンの人口だけで450万人。社交期(シーズン)にはもっと人が増える。条件をゆるめるだけで、容疑者の人数は一気にふくれ上がる。特定するのはかなり難しいだろうね。これじゃ。


「まだやってるの?」
「…マダム」
「あんまり根つめてもイイことないわよ。息抜きにコレやらない?」


そう言って出してきたのは、チェスセット。昔、よく主とマダムが遊んでいたものだ。懐かしいな…。


「せっかくマダムが来てくれたんだし、少し休憩したら?主」
「ふう…まぁ、いいか。たまには」
「さっすがクロード!いいこと言うわね〜。さっグレルはお茶淹れて頂戴!」
「ハイ!!」


いっつも失敗をしているグレルさん。今回は無事にお茶を淹れることができんのかなー?
しばらくして持ってきたのは、ローズヒップのハーブティー。美容効果があるらしく、女性には大人気のお茶ですな。はてさて…味はいかに?


「まずーーーーい!!!何でハーブティーがしょっぱいのよ!!あんたそれでも執事なの?!やり直しッ」
「これでも執事ですウウウ!!!スイマセエエン!」
「(うわ、まっず…!塩でもいれたのか?このお茶)」
「ったく…ホントあんたんトコの執事達は、有能っていうか働き者っていうか…」
「別に?それ程でもない」
「こんなこと言ってるわよ?いいの?クロード」
「別に構いませんよ。僕達は…あくまで主に付き従う者、『力』で『手足』ですから。要するに、『駒』なのですよ」


そう、主が望みを叶える為の駒…それ以外の何者でもないよ。お傍に置いていただけるだけで、十分なくらいだ。


「…その『駒』を動かすのは『騎手(ぼく)』でなくてはならないし、『自動で動く駒』で相手に勝ったとしてそれは『騎手(ぼく)』の功績になりはしないだろう。
いつでも命令を出すのは主(ぼく)で、命令がない限り動かないよう躾けてある。だが、セバスチャンとクロードがこの『駒(ナイト)』と違うのは…全てのマスに一手で動ける『駒(ナイト)』と言ったところか」


そう言って、黒い騎士(ナイト)が白の王(キング)を蹴落とした。
主のやっていることは反則だ、それが『チェス(ゲーム)』なら…ね?だけど、この世界はルールに従わなきゃ勝てないチェスの様には出来ていないから。必ず…反則をする騎手も、裏切る駒も出てくる。


「そういうものと対等にゲームをしようと思ったら、僕も反則をしなくては勝てないだろう?僕らの生きる英国(チェスボード)の上では、油断をすればすぐに終わり(チェックメイト)だ」
「そうですね…主の言う通りだ」
「…ただ、クロードは…確かに従者だが、大切な家族だと思っている」
「…もったいないお言葉、ありがとうございます」


思いがけない言葉だった。僕はただの護衛で、ただの執事で、ただの…駒でしかないと思っていたから。社交辞令って言葉もあるけど、この主はそういうことが言えるような性格じゃないしねぇ。失礼だけど。素直な気持ちとして…受け取らせていただこうかな。
ちょっとした喜びに浸っていると、マダムが神妙な面持ちで口を開いた。


「…あんたには…裏社会の番犬以外にも生きていく道があったはずだわ。きっと姉さん…あんたの母さんもそう望んでたハズ。それなのに裏社会に戻ってきたのは、やっぱり…殺された姉さん達の仇を討とうとしているからなの?きっとそんなこと、姉さん達も…私やリジーだって望んでいないわ」
「僕は仇を討とうと思ったことなど一度もない。仇を討ったとしても、死人が蘇るわけでも、ましてや喜ぶわけでもない。仇討ちだ弔い合戦だと綺麗事を言ったとしても、それは所詮生き残った人間のエゴに他ならないし…ようは気晴らしだろう?…僕は先代達の為にファントムハイヴに戻ってきたわけじゃない。僕の為だ」


ファントムハイヴを裏切り、穢した人間に主と同じ屈辱を…痛みを味わわせてやりたいだけだと…そう言った。
そして主の王(キング)が、マダムの王(キング)を蹴落とす。勝負の結果がついたようだね…これで主の通算46連勝だ。昔っからこういうものには強くて、遊んであげてる大人の方が負けてばかり。だから、まだ幼いのにゲームの天才だと呼ばれている。


「あんたが生まれた日のこと、今でもよく覚えてるわ」
「マダムはまだ…新米看護婦だったね」
「ええ…生まれたシエルは小っちゃくて、可愛くって…私が守ってあげなくちゃって思った。私にはとうとう子どもはできなかったけど…あんたの事、本当の息子みたいに思ってるのよ。本当なら裏社会(こんなせかい)から、足を洗わせたい」


主の頭を撫でながらそう言うマダムの顔は、慈愛に溢れていて…母親のようだった。本当に主のことを愛していて、大切に思っているんだな。行方不明だった主が戻ってきた時も、誰よりも彼の帰りを喜んでいたっけね。マダムにとって…主は唯一の家族になるんだもんな。今となっては。
だけど…主はその優しさも拒絶する。今歩んでいる茨の道も、主が望んだもので、主が選んだもの。そのことを後悔してはいないだろうし、きっと一生涯…誰にも甘えることはないんだろうな。こっちとしては少しくらい…甘えてくれてもいいんじゃないって思うけど。


「僕はそろそろ失礼する。楽しかった、マダム」
「次は負けないわよ?シエル」
「おやすみ」


新しいお茶を淹れに行っていたグレルさんと、すれ違うように出て行った主。
グレルさんすげー驚いてたけど、お茶こぼしたりしてないかな?


「…どうしてあの子が…あの小さい子が…辛くて冷たいものを背負わなくちゃならないのかしら」
「主は自分が決めたことは、必ず全うする」
「例えその道のりが長く、暗く…冷たいものだとしても…。だからこそ私は、坊ちゃんのお傍でお仕えすると誓ったのです」
「きっと私が止めても、あの子は止まることはないんでしょうね。あの子が一番辛かった時に、私は傍にいてあげられなかった」
「マダム…あの方はマダムの優しさをちゃんと感じてくれてると思うよ。貴方が主を大切に思っているように」
「ありがとう……ねえ、クロードにセバスチャン。どうかあの子の傍を離れないで頂戴。道をはぐれて独りで迷ってしまうことがないように」
「ええ…必ず、最期までお傍でお護りいたします」
「約束、します。それじゃあ、僕達は失礼します」


おやすみと告げてみたけれど、顔を伏せたまま反応を示さないマダム。主の行く末を案じているのか、はたまた違うことを考えているのかはわからないけれど。それでも纏う雰囲気が変わったことだけは、すぐにわかった。
きっとまた、何かが起きる…雷が轟き、雨が降りしきるこの天気のように荒れるような気がした。


「主の所に行くのか?セバス」
「ええ、シミュレーションの結果を報告しに。貴方も来るでしょう?」
「…お邪魔じゃないなら」
「いいんじゃないですか?この事件は貴方も関わっているんだし」
「八つ当たり。」
「え?」
「八つ当たり、覚悟してた方がいいと思うよ」
「ああ…昨日のお話ですか」
「そ。もう全ての真実が明るみに出るんだから」


全てを知った時、主は一体どんな反応を示すのだろうか?
軽くノックをして部屋に入ると、ベッドに寝転がっていた主は瞳だけをこちらに向けた。そのままの体勢で報告を促す。


「何度シミュレーションしても、子爵以外に一連の事件に関われる人間はいませんね」
「調査条件を変えるしかないのか?昨日の事件に子爵は関われない!」
「そうですね。子爵邸にいた人間には不可能です」
「とりあえず明日は―――」


―――ピクッ

髪をかきあげていた手と、紡がれるはずだった言葉が不自然に止まった。セバスの言葉の意味に、ようやく主も気づいたようだ。


「…セバスチャン、クロード…まさか…」
「多分、主が考えている通りで間違ってないと思うよ」
「何度も言っているでしょう。私は嘘をつきません、と。私は貴方の『力』であり『手足』であり『駒』…全てを決め、選び取るのは自分だと。その為の『力』になれと『あの日』、貴方がそう仰ったのです。私はあくまで『執事』、出すぎた意見など申しません」


セバスが言っている『あの日』…きっと主が行方不明になっている間。彼が悪魔を召喚したその日に、契約として誓ったものだろう。僕が知らない、2人の間にある『契約』という名の壁。主の護衛とはいえ、そこに入り込むことはきっと許されない。2人の間には。


「ご主人様(あなた)に命ぜられた事と、聞かれた事だけを忠実に」
「あそこにいた人間には不可能なんだな?」
「ええ、そうです」
「そういうことか…貴様…っ!クロードも知っていたのか?」
「セバスのように最初から全てわかってたわけじゃないよ。何となく違和感は感じてて、ついこの前…確信したくらい」
「確信したのなら何故、言わなかった!」
「…僕自身、信じたくない部分があったから」
「どういう、意味だ?クロード」
「詳しい話はセバスから聞いた方が早い。…それでわかるよ」
「貴方の命令一つで、私達は貴方の『駒』となり、『剣』となる」


ザァッと風が一筋吹き抜け、セバスの手から書類が飛んでいく。
ハラハラと宙を舞う中、命令をするために主の手が右目を隠す眼帯へと伸びていった。


「さぁ…王手(チェック)を。ご主人様」


紅い瞳を持つ黒い悪魔が、今妖しく微笑んだ―――
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