灰色と真実
19世紀末―――社交期も終わりに近づいた頃、英国を震撼させる連続殺人事件が起こる。
被害者になったのはいずれも娼婦。全員切り刻まれ、子宮が奪われた姿で発見された。
その被害者の無残な姿から、いつしか犯人はこう呼ばれるようになる…「切り裂きジャック」。
「寒い…」
僕らが来ているのは貧民街(イーストエンド)。主がいつも着ているような服は、此処では絶対に見ることはない。ただいるだけで目立ってしまう。…と、いうわけで。目立たない服装で来たんだけど、いかんせん上着を着ていないせいかかなり寒そうだ。セバスと僕が上着を貸そうとしたけど、目立つからいいと断られてしまった。
主が体を冷え切らせる前に、町屋敷に戻りたいな。天気も、よろしくないし。ものすごーく嫌な空模様だね。
「ここに張っていれば、本当に奴は来るんだな?」
「入り口はあそこしかないし、唯一の通り道は僕達がいる此処だけ。狙われるのも…この長屋に住むメアリ・ケアリーで間違いないよ」
「確かに…殺された娼婦達には、『臓器がない』以外にも『共通点』があった。だが、奴が殺す必要性はどこにある?それに僕は…」
「主、セバスが聞いてないけどいいの?」
「セバスチャン!」
「あ、すみません。つい」
ほんっと、猫に弱いんだな…セバスは。主達のやり取りを横目で見ながら、少し前の会話を頭の中で反芻していた。様々な気持ちや、状況を整理したくて。
「―――あそこにいた人間には、不可能なんだな?」
「『人間には』不可能です」
「そういうことか…貴様…」
「私は最初から、何度も本当のことを申し上げていましたよ。調査結果にも何一つ、嘘はついておりません。"医学に関わる者"、"『秘密結社』や『黒魔術』等に関わりのある者"…そして"事件発覚前夜にアリバイのない者"。この条件を満たす人間は、ドルイット子爵だけで間違いありません」
「確かにお前は嘘をついていなかった。だが…調査はただの茶番だったわけだがな!」
「ご命令でしたので」
―――ビュッ
「おやおや、八つ当たりですか?坊ちゃんは私がそういうものだと、ご承知の上でお傍に置かれているのでは?」
「うるさいっ知ってる!」
「はいはい、落ち着いてー主」
「…〜〜〜ッそいつは…お前と同じなのか?」
「いいえ、違いますね。ああいった方が人間の世界にいること自体、珍しいことだと思いますが―――」
「人間でも、悪魔でもない?何者だ…そいつは」
「それは―――――」
『ギャアアアアアアッ』
「なっ?!誰も部屋にはっ…」
「ちぃっふざけやがって…っ!」
「おい、クロード!勝手に行動を―――」
「坊ちゃん、私達も行きましょう!」
―――ばぁんッ
開いた扉の先に広がっていたのは、一面の赤・紅・緋・赫…見れば発狂せずにはいられない程に、残酷で凄惨な光景だった。
そして一筋の赤が、頬に飛んできた。
「見ちゃダメだ、主ッ!セバス、主の目を…っ」
「ええ!」
いくら裏の世界に生きているとしても、この光景はいくら何でも…酷すぎる。むせ返るほどに広がった、生臭い鉄の臭い。入り口に立っているだけなのに、ムネヤケがする。気分が悪い。
奥から…気配がする―――ビシャッと水音がして、犯人がついに姿を現した。
「ずいぶんと派手に散らかしたもんだね」
「"切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)"―――いや、グレル・サトクリフ」
現れたのはあの気の弱く、失敗ばかりの執事。全身を真っ赤に染め、虚ろな瞳をしながら。
「ち…違います、コレは…叫び声に駆けつけた時にはもうっ…」
「もう……何?僕達は唯一の通り道にずっといた。なのに、あんたの姿を見ることはなかった…一体何処から、その袋小路の部屋へ入ったわけ?しかも、全身を真っ赤に染めた姿でしらばっくれる気なんですかねぇ?」
「もういいでしょう、グレルさん。…いや、『グレル・サトクリフ』さえ、仮の姿でしょうが。くだらないお芝居はやめにしましょうよ、『グレル』さん。"貴方の様な方"に人間界(こちら)でお会いするのは初めてです」
「上手にそれらしく…振舞ってたもんだよね」
「ンフッそーお?」
ボソリと呟いた後、ガラリと纏う雰囲気が変わった。真っ黒だった髪は雨のせいか…鮮やかな赤へと変わり。眼鏡も地味なものから、派手な色のモノへ。まるで女性がメイクをしていくように、変化していく。さっきまでの彼の姿は何処にもない。
「だけど、アナタだって『セバスチャン』じゃないでしょう?」
「坊ちゃんに頂いた名前ですから、『セバスチャン』ですよ。…今はね」
「あら、忠犬キャラなのね。色男はそれも素敵だけど。それじゃ改めまして、セバスチャン…いえセバスちゃん、そしてクロちゃん」
「げ…変なあだ名をつけないでください」
「バーネット邸執事、グレル・サトクリフでございマス★執事同士、どうぞヨロシク」
何故か投げキッスをされました。変なあだ名までつけられるし…ドルイット子爵とはまた違うけど、こいつも鳥肌が立つ。
「悪魔が執事してるなんて初めて見たから、最初ビックリしちゃったワ。クロちゃんも不思議な気配してるし?」
「!」
「それは…貴方も同じでしょう?私も結構生きてますが、"貴方の様な方"が『執事』をしているなんて聞いた事がありませんから。神と人との中立であるはずの存在…死神!」
ああ…やっぱりか。ずっと感じていた違和感、感じたことのある気配。その答えは、僕が出したものと何ら変わりはなかった。でも曲がりなりにも"神"であるはずのこの人が…何で執事などを?
「一人の女に惚れ込んじゃったってトコかしら」
「その女って…」
「聞かなくてもわかってるんでしょう。クロード、セバスチャン」
コツン、と…静かに雨の音だけが響く空間に聞こえたヒールの音。
信じたくなかった、何かの間違いだと思いたかった。だから…僕は主に言おうとしなかった。認めてしまうのが怖かったから。でもそれももう、意味のないことだ。認めたくなかろうが、真実は僕達の目の前に存在している。間違いでも何でもない。受け入れなければならない、確かな真実だ。
「やっぱり…マダムだったんだね」
「計算違いだったわ。まさかグレルの正体を見破れるヤツが、シエルの傍にもいたなんてね」
最初の容疑者リストには、もちろんマダムもいた。けど、アリバイが完璧だったから。身内だろうが…犯人になりえるのなら、主には関係のないことだ。
全ての殺人に関わるには、容疑者リストにいたどの人間にも無理、不可能だ。もちろんマダムにもね。 …けど、人ならざる者が共犯なら…また話が変わってくる。僕達が気づくことなく一瞬で被害者の部屋に入ったとすれば、遠く離れた場所へ一瞬で移動するのも可能…主はそう考えたんだ。パーティー会場から従者がほんの数分ほど姿を消そうとも、誰も気にはしないからね。
「つまり、切り裂きジャックでありえるのはお前達しかいない。マダム・レッド、そしてグレル・サトクリフ!」
切り裂きジャック事件の被害者には、『娼婦であること』と『子宮がないこと』以外にも共通点があった。
全員がマダムが勤めるロンドン中央病院で、"ある手術"を受けていたんだ。そして…被害者の殺された順番と、手術した順番がキッチリと重なってるんだよね。これは主達にリストを見せてもらったから僕も覚えてる。
「このリストに名前が挙がっていて、『残っていた』のはその長屋に住むメアリ・ケリーだけ。張っていれば、貴女達が現れると思っていた。救えは…しなかったが…」
「残念ね、シエル。私の可愛い甥っ子…私の姉さんの子…気づかなければまた、一緒にチェスが打てたのに。そしてクロード?貴方ともまた…色々な話ができたのにね。だけど…今度は譲らないわ!」
「…?!」
―――ヴォンッ!ギャララララッ
何かが回転する音が聞こえた。それと同時に目の前が赤一色になって、それがグレルさんだってわかった瞬間…主を抱きかかえた。グレルさんはセバスが止めてくれるだろうと踏んでね。
「怪我はありませんか?主」
「ああ、何ともないが…何だ、あれは?!」
「死神は全員、魂を狩る為の道具を持っています。『死神の鎌(デスサイズ)』という名のね」
「あのような形は、私も初めて見ますけどね」
「厄介なモンが出てきたねぇ」
「アタシに鎌なんてダサイ道具似合わないデショ?アタシ用にカスタマイズしたの。魂の断末魔と、最高のハーモニーを奏でるアタシ専用の『死神の鎌(デスサイズ)』!もちろん切れ味は保障付きよ」
どんな存在でも切ることができる道具。あれを相手にするのは、本当に厄介以外の何ものでもないな。
「あれにかかれば…切れないものなんてない。記憶も、魂も、空間も…全て」
「そんなにすごいものなのか?!」
「あーら、クロちゃん。アンタよく知ってるじゃない?…人間のクセに」
「このくらいの知識、ファントムハイヴ家の執事たる者…持ってなくてどうする?」
「ふぅん?やっぱりアンタの存在って興味深いワ。でも…それと同時にムネヤケする程にムカツクけどねッ!」
地を蹴って、セバスの頭上を飛び越えて、真っ直ぐこっちに向かってきた。はあ…全く面倒なヤツに目をつけられちまったよなぁ。これじゃあ、僕の平穏な生活が壊されてしまいそうだ。けど…それも一興か?
僕の使命は主を護り抜くこと。自分の命が、身体が、魂が朽ちていこうとも…必ず最期の時までこの方の傍にいる。その誓いを今、ここで破るわけにはいかないんだ。申し訳ないけど、主の身体を軽く押して自分から離させる。狙いは僕みたいだから、距離を置けば傷つけられることはないだろう。
振り回される武器を、さっきのグレルさんのように彼の頭上を飛び越えて避ける。標的を見失った『死神の鎌(デスサイズ)』は、空を切り地面に突き刺さった。
―――ガキィンッ!!!
「クロちゃん、アンタ本当に人間?その身のこなし…普通はできないもんよ」
「普通?…生憎、僕は普通を知らないんでね」
「ずっと大人しくしてたから、身体が鈍っちゃってるの。久々に激しい運動がしたいワ、ア・ナ・タ達と」
「気色悪いこと言わないで頂けますか。それに今、私達は勤務中ですので」
「だねぇ。勤務中は遊んでると怒られるから」
「あーん、ストイック!そんなトコロがまたたまらないわぁ!!」
本当に何なんだ、この変態死神は。化粧してるし、ヒールはいてるし、話し方は女みたいだし…オマケに男が好きみたいだし?…でも性別は多分、男…なんだよな?確かめようって気にはならないけど。
「…よし、セバス。変態死神は頼んだ」
「なに人に押し付けようとしているんですか。貴方が引き受けてください、私はごめんですよ」
「僕だってごめんだよ…」
何が楽しくて変態の相手をしなきゃいけないんだっての。
「アタシね、赤が好きなの。髪も服も口紅も赤が一番好き。だから、ブスな女共を綺麗な血(アカ)でお化粧してあげるのが好きよ。女ってのは、派手なら派手な程…毒花のように美しいデショ?」
「だからマダムの殺人に手を貸したってわけか…。確かに派手でも綺麗で美しい人はたくさんいるよ。マダムがいい例だ」
マダムは、本当に赤が似合う。綺麗過ぎる程に。着飾れば着飾るほど、あの人の素敵さが際立っていくんだ。
―――でも、それは『普通の化粧』をした時の話に限る。血化粧をしたからといって、綺麗になれるわけがない。そんなもの…ただの自己満足だろう?
「血で真っ赤に染まった女が美しい…そう言いたいわけ?」
「そうよ?そこで眠る女も綺麗だったでしょう?…返り血に染まったマダムは、もっと綺麗なの」
「は…っ!いい趣味してんなぁ」
「きっと色男が薔薇色に着飾る姿は最高よ、クロちゃんにセバスちゃん。アタシがアナタ達の奥まで暴いて、美しく飛び散る薔薇色で派手に掻き乱してアゲルわv」
薔薇色に、ねぇ。それって暗に"殺してやる"って言ってるんだろう?殺されるのは勘弁だ。こんなとこで死ぬわけにいかねーし。
それに…変態に内(ナカ)を見せてやるような趣味もない。ってかイヤだ。僕の身体は、未来永劫僕だけのモノだから。
「死神とはただ静かに死に逝く者の魂を狩る者、執事とは影の様に主人に付き従う者…だっけか?」
「ええ。その両者の美学に反する、その悪趣味さ。反吐が出ますね」
「相変わらず、セバスはハッキリ物を言うのな」
「おや、隠してもいいことはないでしょう。特にこういう人には」
「ま、その通りだね」
「何よーっ2人で仲良く話しちゃって!アタシはのけ者ってワケ?!」
「「元々、貴方を相手にするつもりはありません」」
声を揃えて言い放ってやると、更に「キーッ!」と怒り出しやがった。サルですか、あんたは。もう少し人間らしい……まず、人間でもなかったわ。
「そもそもねっアタシ、ちゃんと執事として主人の為に働いてたわよォ。お仕事中はお化粧もオシャレもガマンしたしっ」
「ああ…まだ、その話続いてたのか」
「呆れた…貴方、それでも執事ですか?」
獣のように…人間のモノとは異なる尖った歯を見せ、ニヤリと笑みを浮かべたグレルさん。屋敷で感じていた異常な殺気、そして狂気。それを今は隠すことなく、こっちに向けている。
ああ…やっぱりこの人の放つ殺気と狂気は気分が悪くなる。…更にムカツク。根本的に合わないんだよ、死神とは。さっさと終わらせて帰りたい。
「これでも執事DEATH★」
「セバスチャン、クロード。女王と我が悪しき名において命令する!奴らを狩れ!」
―――主、貴方の望むままに。
「「御意、ご主人様(イエス、マイロード)」」