灰色と死神
ザァ―――…ッ
「(雨……)」
記憶が、痛みが、絶望が…波のように押し寄せてくる。降る、降る、降り続ける…あの日と同じように。不幸と血の臭いと、更なる絶望を連れて。雨音は絶えず聞こえるんだ。
赤が嫌い、自分が嫌い、この世が…全てのモノが嫌い。僕から全てを奪っていったあいつらが憎い。
『全てを憎んだところでどうなるんだい?何かが変わるワケじゃない…そんなものに力を注ぐくらいなら、何かを護る力に変えればいい』
僕には"何かを護る"資格なんてないと思っていた。生きているだけで、ここに存在しているだけで…罪だと思っていたから。すでにこの手を真っ赤に染めていたから。
『行く所がないなら…私の所に来るかい?ちょうど護衛を探していたところだしね』
差し伸ばされた手は、驚くほど暖かかった。その日から僕は護衛として雇われることになった―――ファントムハイヴ家に。
「さて、ボーッとしてる暇はありませんよ?クロード」
「あ…セバス…?」
「全く、勤務中に考え事ですか」
「ん、悪い。…もう平気だ」
雨が降ってるからって、感傷的になるなんてな。僕らしくもない。少しだけ…懐かしい記憶を思い出しただけだ。今は思い出に浸ってる場合じゃないから。
「んで、セバス?どっちがいくのさ」
―――ばふっ。
「?!クロード…ッ?」
「ん?あんまり身体を冷やされると風邪、引いちゃいますよ?コレ被ってて下さい」
「街屋敷に戻ったら、ホットミルクでもお淹れ致しましょう。蜂蜜かブランデーで甘みをつけたものを。あぁ、クロード。2人で、というのは?」
「却下!んなことしたら、主を護ることができないだろーが」
「そうですか…。それなら不本意ですが、私が変態(あちら)の相手を致しましょう。貴方は坊ちゃんの護衛ですからね」
んじゃ、決まりだな。僕はマダムの相手を、セバスはグレルさんの相手を。
ま、どーーーしても!ヤバイ時には助太刀してやらないこともないけど、基本的にコイツは強いからな。僕が手伝う必要もないだろうけど…死神の力は計り知れないから、用心しておくに越したことはない。…気をつけないと足元を掬われる。
「…いや、クロード。お前も死神を狩れ」
「何言ってんの、主!主を護ることが僕の―――」
「大丈夫だ。僕だって自分の身くらい護れる」
こうなった主はもう、僕の言うことなんて聞きやしないんだ。この場を離れるわけじゃないから、何かがあればすぐに反応できるとは思うけど…。
それが命令とあらば、従わないわけにもいかないか。仕方ない。
「わかったよ、主。命に従いましょう。ただし!」
「何だ?」
「危ないと思ったらすぐにお呼び下さい。約束ですよ?」
かなり不服そうだったけど、渋々頷いてくれた。よし!これであっちに集中できる。僕とセバスは、向かい側に立つ2人に目を向けた。
「いつまで3人仲良くお喋りしてるの?そんな簡単に帰してあげないわヨ。死神の鎌(この子)もアタシも、最近手ごたえの無い獲物ばっかりで欲求不満気味なの…よッ」
勢いよく刃が回転する音が鳴り響き、地を蹴った赤い死神は遥か上まで上がっていた。
さすが、というべきか。やっぱり身体能力は半端ないな。―――人ならざる者だから。
「クロードッ坊ちゃんを!」
「リョーカイ!」
―――ヒョイッ
「ぅわ?!」
―――ガガガッ!!!
振り下ろされた死神の鎌(デスサイズ)は、セバスにも、僕にも、もちろん主にも当たることなく地面を割った。切れ味は保障付きとは言ってたけど、考えてみりゃアレを振り回せる腕力もすげーよな。オマケにいとも簡単に地面を割りやがったし。こりゃあ…本当に油断が出来ないぞ?や、するつもりなんてこれっぽっちもないけど。
「アタシは追われるより、追う方が好きヨ?セバスちゃん、クロちゃん!ステキな鬼ごっこしましょ!!」
「気持ち悪いことを言わないで下さいと、申し上げたはずです…が!」
「同感っ!……主、此処にいてください。僕の傍にいる方が危険だ」
「アーラ、主人の心配をしてる場合かしらね?」
「ッ!」
―――シャッ!
間一髪。髪の毛はちょーっと掠ったけど。主に怪我もないみたいだし、ひとまずある程度は距離を取らないとまずそうだ。
タン、タンッとテンポ良くグレルさんから繰り出される攻撃をかわしていく僕ら。思っていた以上に彼の動きが素早くて、反撃の隙がねぇ!ああ、もうめんどうくせーーーーっ!!
「クロード、しゃがみなさい!」
「…へっ?」
反射的にしゃがむと、頭上で金属同士がぶつかる音がした。目を向けてみるとガス灯をへし折ったらしいセバスが、チェーンソーを受け止めていた。
ッダメだ!アレの切れ味は半端じゃない!ガス灯なんて―――あっという間に切断されてしまう!
「んのやろ…っ!!!」
―――ドスッ!!!
「い…っ?!」
ガス灯が切断される少し前に、腹に一発蹴りをいれてみました。ものすごい形相で睨まれてるけどね、グレルさんに。そんなに怒ることかよ。
これは遊びでも、戯れでもない。狩り(殺し合い)、だろう?なのに、卑怯とかそういう言葉は的外れだ。一対一がいいなら…始まる前に主張すべきだったな。
「色男のクセにいちいち腹が立つヤツね!」
「お褒めの言葉、ありがとう。…そっちこそいい感じに腹立たせてくれるね?」
「その余裕に満ちた笑顔…歪ませてやりたくなるわッ」
―――ビュッ
「ぅお…っ?!」
「ち…っ」
「仲良く真っ赤に染まりなさい!」
一瞬にして詰められた、僅かな間。あまりの早さに、反応が少しだけ遅れた。見えていた、はずだったのに―――
セバスの腕と、僕の肩から鮮血が闇の中へと飛び散った。それと共に蘇るは…かつての記憶―――
『お前は今日から僕の下僕(イヌ)だ』
「な…っ」
『―――会社も―収する』
『すごーい!』
『その覚悟はあるのかい?』
『―――ですだよ!』
『指輪は私が取り出しましょうか』
『だからっ俺につけ!』
『僕の名前は―――』
『逃げなさいっ―――!!』
「あ…っ」
『―――の名前は、今日からクロードだ』
『ヴィンセント様!レイチェル様!シエル様ーっ!』
『クロードは家族の一員よ?』
『―――の護衛兼執事になってもらうぞ』
『何かわからないことがあれば何なりと』
『アンジェリーナよ!よろしくね』
『―――は不思議な気配がするねぇ』
「これは…」
「死神の能力だ…確か『走馬灯劇場(シネマティックレコード)』」
「そっ!死神(アタシ達)はお上から配られたリストの死亡予定者の記憶を、『走馬灯(レコード)』で再生して審査するの。どういう人間で、どういう人生だったのか。生かすべきか、殺すべきか。死ぬ間際に走馬灯が走るなんて言うけど、それは死神(アタシ達)がその人間の『記憶』を再生してるに過ぎない。『コイツは死んじゃってイイかな』って奴は…死神の鎌(デスサイズ)で記憶も、魂も、身体から切り離して"おしまい"よ」
悪趣味で、のぞき趣味ってか?最悪だなぁ。
「クロちゃん、アンタすっごい失礼なこと考えてるデショ」
「さあ?どうだろうねぇ」
「けど、残念ね?『走馬灯(レコード)』を再生すれば、正体がわかるかと思ったのに…上手く隠れてたじゃない」
「そう簡単に過去は見せられないもので」
「そう…アンタのそういう所が本当に…腹立たしいワッ!イイ男のクセに!!」
最後の関係ないだろ、完璧にっ!!!てか、何で一方的に怒られなきゃなんねーんだよ…怒らすようなことした記憶ないんだけど。
それに、これが元々の性格だしなぁ。…って!別にこの死神に好かれたくはないんだって!
「クロードッ何、ボケッとしてるんですか!!!」
「え…?」
一瞬のことだった。ほんの少しだけ、気を抜いてたらしい。セバスの声でようやく、グレルさんの気配が真後ろにあることに気がついたんだ。
さっきまでまん前で話をしてたはずなのに、あっという間に後ろに移動してて。何で僕も気づかねぇんだよ…っ!
「殺し合いの最中に…余所見はナシよ、クロちゃん」
「―――しま…っ」
―――ズシャアッ!!!
赤い……さっきまで闇一色だった世界に、鮮やかな赤が足されていく。それが自分の血だと気がつくまでに、そう時間はかからなかった。
ああ、やっぱり雨は血の臭いを連れてくるんだな。雨音と一緒に聞こえてくる、死の足音。少しずつ、でも確実に。遠くから主達の声が聞こえる気がするけど、何を言ってるかまではわからない。
(死ぬのかな…僕)
ふと浮かんだ疑問。父さん達と同じように、赤に全身を染めて死んでいくのだろうか。ふわふわと浮いている感覚の中、誰かの声が耳に届いた。
『こんな所で死んでいくのですか?…無様ですねぇ』
…ムカッ。
ああ、もう。本当に人の神経を逆撫でするのが上手い奴だよなぁ。そういう所が…心底、僕は嫌いだ。いけ好かない。けど、本当に嫌いなのは…何も出来ていないままで死んでいく、自分自身だ―――
そうだ、僕はこんな所で死ぬわけにいかないんだよ。最期まで傍にいると、あの方の最期を看るのは僕達だと。そう言ったんだ。傍にいて…護ると決めたんだ。
「ゴホッ…(まだ、生きてる…)主は―――」
「あんたみたいなガキに言ったってわかりゃしないわ!一生ね!!」
「…マダム…主…?!」
目を開けて、最初に映ったのは壁に叩きつけられて首を絞められてる主。ナイフを握って、今にも切りかかりそうなマダム。
一番見たくない光景だ…家族だった2人が「番犬」と「罪人(エモノ)」になった。たった今。
狩らなければ、狩られる。今の僕達はそういう状態だ。マダムが主を殺そうとしているのも、自分が狩られない為。
「あんたなんか…あんたなんかッあんたなんか、生まれて来なければ良かったのよ!!!」
「ダメだ、マダム…ッ!ッアンジェリーナ様!!!」
「(―――姉さん)」
「坊ちゃん!」
セバスの柄にもない声音と、肉が切れる嫌な音が聞こえたのは同時だった。振り上げられたナイフは主に刺さることなく、カンッという音を立て地面に転がっていた。マダムにはもう、主への殺意はない。
けれど、その後ろには主を助けようとしているのか、本来の姿に戻りかけているセバスが今にもマダムを手に掛けようとしていた。マズイ!このままじゃマダムが殺されてしまう!
「やめろ、セバスチャン!!!殺すな!!」
主の凛とした声に、セバスの手が間一髪で止まった。右肩を押さえて珍しく息を荒げてるセバス…その肩と押さえてる左手は真っ赤に染まっていた。流れている血の多さは尋常じゃない。…普通なら死んでいる量だ。
「…セバス…?」
「ンフッセバスちゃんたら、根性あるゥ!腕一本ダメにしてまでそのガキ助けに行くなんて。それに比べてアンタは何なの?マダム!」
グレルさんの呼びかけに肩をビクッと震わせるマダム。その顔には悲しみが色濃く滲んでいて…見ているこっちも辛くなる。
きっとマダムに主は、殺せない。殺すことなんて不可能だ。だって…主は可愛い自分の甥っ子だから。大切な家族だから。大好きな…自分のお姉さんの子供だから。だからきっと、殺せないよ。
「さっさとそのガキ殺っちゃいなさいよ!」
「…だめ…」
「あん?」
「やっぱりダメ…私には、この子は殺せない…っ」
「今更、何言ってんのよ。散々女共を切り刻んできたくせに!そのガキ殺さなきゃ、アンタが消されるのよ!せっかく死神(アタシ)が手伝ってあげてるのに!」
「でも…でも!!この子は私のっ…」
嫌な、予感がしたんだ。死の臭いがしたんだ。大ッ嫌いな。また、誰も護れないのかと思うと…寒気がした。
僕はいつまで怖がって、1人で膝を抱えてるつもりなんだろう。失いたくないと思うなら…力を解放するしかないんだ―――!
―――ガキィンッ!!!
「?!鎖…っ?!」
「な…鎖で回転が止まった…?」
「…それより、あいつは誰だ…っ」
気がついたら、身体が勝手に動いていた。
風にたなびく紅い髪。その色は死神のグレルの髪の色より、マダム・レッドよりも色濃く…例えるなら、血の色そのものだった。手に握られているのは、鎖を操る錫杖。その鎖の先には光り輝く刃がついている。
「あんたが持ってるの…奇妙な形だけど、死神の鎌(デスサイズ)ね」
「……」
「ンフッだんまりってことは、当たってるのねぇ。クロちゃんが消えたと思ったら、アンタがフラッと現れた」
「まさか、貴方―――」
「クロード、なのか…?」
「そう…そういうことだったのねぇ?」
「無駄口叩くな。…あたしの目的は…あんたを狩ること。お喋りする為に、此処にいるんじゃないのよ」
「…そうね、それじゃあ続けましょうかっ!!!」
―――ガルンッ
―――パァ…ンッ!
鎖が巻き付いていたことで、回転が止まっていたチェーンソーが再び唸りを上げた。いとも簡単に鎖を引きちぎり、それは自由を取り戻す。
「…っ!」
「中途半端な死神の鎌(デスサイズ)なんか、壊すのはカ・ン・タ・ン!でも、続きをする前に…!」
目の前にいたグレルさんが、視界から突然消えた。再び捉えた気配の傍にいたのは、マダム……しまった!あいつの狙いはマダムの命っ!!!
さっきの怒りがまだ残っていたなんて、思いもしなかった。止められたと思っていたのに、それは…あたしのただの思い違いだったんだ。
「殺させないっ!形状変化(フォームチェンジ)!」
―――ガゥンッガゥンッ!!
「ふぅん…形状を変えることもできるの?でも、焦ってる時ほど当たらないもんなのよ!」
あたしが撃った弾丸は全て避けられて、掠ることすらしなかった。でも諦めたくなくて、諦められなくて必死に足を動かしたんだ。マダムの元まで。
もう少し…もう少しで手が届くの、助けられるの…っ!ねぇ、待って。ダメなの、失いたくないの。主にとっても、私にとっても大切な存在の人だから―――限界まで伸ばした手は、結局届かなかった…。
回転し続ける刃が深く深く、マダムの胸を貫く。
「ガッカリよ、マダム・レッド」
「アンジェリーナ、さま…」
「ただの女になったアンタに興味ないわ」
宙を舞うマダムの身体。そこから流れ出るは赤い、赤い血。そして―――映し出されるは、彼女の過去の記憶。
楽しくて、哀しくて、辛くて…大好きで、大好きで、いつまでも恋焦がれ。それでもあの人の幸せを願おうとした、彼女の半生だ。