灰色と終生
マダムの胸から引き抜かれた、死神の鎌(デスサイズ)。
彼女の身体は重力に逆らえるわけもなく…ゆっくりと、ただゆっくりと倒れていく。それはまるでスローモーションのようで。
「アタシは返り血で真っ赤に染まったアナタが好きだったのよ。マダム・レッド」
マダムの気配が、消えた。もう何も感じない。魂の気配さえも感じない。再生されていた彼女の記憶と共に、刈り取られたのだろう。この胸の傷はただの刃物でつけられたものじゃない。"魂を刈り取るもの"でつけられた傷だから。
もうこの世の何処にもいない…この身体もただの抜け殻でしかないんだ。
「下らない情に流されるアンタに興味ないわ。アリバイ作りの手助けもしてあげた。アンタのためと思って死神のルールを破って、リストにない女まで殺してあげたのに…ガッカリよ!結局、そこらの女と一緒だったのね。アンタに赤を着る資格ないワ。チープな人生劇場はこれでオシマイ。さようなら、マダム」
グレルさんはマダムが着ていた真っ赤なコートを剥ぎ取って、それに袖を通す。これは自分にこそふさわしいとでも言うように。着たコートを翻して、私達の元から離れていく。
マダムを殺して気持ちが晴れたのか、はたまた萎えてしまったのか…今のグレルさんから殺気や狂気は感じない。セバスもそれを感じたのか、安心したように深く息を吐いている。
―――パシャ…
「アンジェリーナ様…」
刺された瞬間の表情なのだろう…大きく見開いた瞳。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、頬にも涙の筋ができていた。今はもう…安らかだろうか?この人の魂は。
見開いたままの瞳を、ゆっくりと閉じさせた。安心して眠ることができるように。
「セバスチャン、クロード。何してる」
「主…?」
「……?」
「僕は"切り裂きジャックを狩れ"と言ったんだ。まだ終わってない。ぐずぐずするな、もう一匹を早く仕留めろ」
契約書を刻み込んだ主の右目が、妖しく光を放つ。それはセバスへの命令。同時にあたしへの命令でもある…あの射るような瞳の輝きと鋭さは。
まだ私を必要としてくれるのなら…応えなければいけないね。しっかりと。
「「…御意」」
「…ンフッヤる気萎えちゃったから、見逃してあげようと思ってたけど…」
振り向いたグレルさんの視線が、舐めるように私の頭の上からつま先まで辿っていく。口元には妖しげな笑みを浮かべてね。本当に気持ちが悪い。
「どうせだったら、アンタを絶望のどん底に落としてあげるのも悪くないワ。ねえ?死神の血を穢した…裏切り者!」
「うるさい。…あたしはあんたとお喋りをする為に来たわけじゃない、そう言ったはずよ?」
―――ガゥンッガゥンッガゥンッ!!!
「当たらないって言ってるでしょう?そんなに死にたいなら、3人まとめて天国にイかせてあげるワ!」
「天国、ねぇ…」
「縁がない所ですね、私には」
「あたしも同じ。…そんな所、一生行けないわ」
近くに置かれていた木箱。それをセバスが足で拾い上げ、グレルさんに向かって蹴り飛ばした。真っ直ぐ飛んで行った木箱は当然ながら、回転する刃によって粉砕される。…でも、そんなこと想定内だ。こんなもので彼を怯ませることも、倒せないということも出来ないとわかっている。だって…
「アタシ今、機嫌悪いの。手加減なんか……?!」
ただの目くらましで、囮だもの。
―――トッ…
セバスが立っているのは、グレルさんが手に持つチェーンソーの刃の上。彼の身体能力なら、一瞬でそこまで移動することなんか朝飯前だ。そのまま顔を狙って、蹴りを一発。…難なく避けられてたけど。
ちっ当たってれば良かったのに。でも思わぬ所からの攻撃に驚いてはいるみたいね?
「ちょっ…アンタ今アタシ(レディ)の顔狙ったでしょう!この人でなしッ」
「でしょうね。私は、あくまで執事ですから」
「貴方がレディ?笑わせないで…気品の欠片もないくせに」
―――ガスッ!!!
「ゲホッ…アンタ、いつの間に後ろに…っ!」
「さぁ?いつでしょうね」
クスリと笑うと赤い死神は、悔しそうに顔を歪めてこっちを睨んできた。セバスだけを気にしていた貴方が悪いんでしょう?よって、近寄るあたしの気配に気付くことができなかった。それは全て自分の責任でしょうに。
「ふんっ悪魔と穢れた裏切り者が、神に勝てると思ってんの?」
「どうでしょう。戦った事がないのでわかりませんが…」
「主が勝てというなら、勝つまでよ」
「そこのガキと何があったのか知らないけど、ずいぶんな入れ込みようじゃない。妬けちゃうワ。でも例えアンタ達でも、死神の鎌(デスサイズ)で狩られれば本当に消滅しちゃうのよ?怖くないの?」
「全く。今この身体は、魂は、毛髪の一本に至るまで全て主人のもの。契約が続く限り、彼の命令に従うのが執事の美学ですから」
「あたしには美学とかそういうのはないけど……主が主である限り、あたしは此処にいる。"いらない"と言われるその日まで」
「「彼が死ぬなと言うなら死にませんし、死ねと言われれば消えますよ」」
目の前から消えろと言われるまでは、此処に存在する意味があるから。命令される限り、あたしは彼の『力』にもなるし、『駒』にでも『剣』にでも『盾』にでもなる。
どんな手段を使おうとも…それで彼の望みが叶うことに繋がるならば、きっとあたしは従うのだろう。
「ふーん。美学を追求する男って好きヨ、セバスちゃん。アンタも穢れた裏切り者のクセに、ムカツクくらいにいい瞳してるじゃない。全てはそこのガキの為ってわけ?そのすました顔をヒールで踏みつけて、靴を舐めさせてやりたくなる!!!」
こーの変態。あたし達にはそんな趣味はないわ!
そもそも主でない他人の前で傅く気もないんだから。死んでもやらないっての。
「…クロード…」
「ごめんなさいね?主…」
「お前は、人間じゃないのか?」
「ええ…人間ではありません。この件が片付いたら、きちんと主の質問に答えますから。もう少しだけお待ち下さい」
雨で濡れてしまっている身体に、もう意味はないだろうが傍に落ちてしまっていたコートをまた頭からかけてあげた。少しでも身体を冷やさないように…雨に濡れないように。最後に主ににっこりと笑みを向けて、対峙している二人の元へと向かう。
確かさっき見た時は、建物の屋上へと向かってったわよね?気配を追って壁を登ってみると、グレルさんの芝居じみたセリフが耳に届いた。
「ああ…セバスちゃん、朝なんかこなければいいのに。そうしたらいつまでもこうして二人殺し合っていられるのに」
大きな月をバックに立っているセバスとグレルさん。
チェーンソーをセバスが押さえている所を見ると、彼が有利なのかしらね。ま、今手を出すのは良くないわ。しばらく此処で見学させてもらいましょう。
「でも、アバンチュールはここまでよ」
―――ガツンッ!!!
「(頭突きーーーっ?!!)」
「…ッ」
「情熱的なキッスでお別れヨ、セバスちゃん。それでは…幾千にも幾万にもごきげんよう」
「セバスッ!!!」
―――ドッ!
胸を斜めに切り裂かれ、大量の血が噴き出した。