穢れた灰色


あの変態死神の後を追うと、やっぱり思っていた通り。マダムの遺体の傍にいた主めがけて、大きく跳躍した。
月の光でキラリと輝く刃。不気味に響く回転の音。その気配と音に気付かない主ではない。こっちを向いた主の瞳は、驚いたせいで大きく見開かれていた。


「な…っ!」
「アンタの命、頂くわよっ!あの女を苦しめる為にねぇ!」
「そんなこと、あたしがさせると思って?」


そう簡単に殺させないんだから。
ようやく追いついた死神の背後に近づき、ゼロ距離で弾を撃ち込んだ。


「ギャーッ!ちょっとアンタ、アタシを殺す気?!」
「当たり前でしょう」
「何でその距離で撃ち込まれて、避けられるんだ…」
「死神だからでしょうね?恐らく。身体能力は高いようだから…お怪我はありませんか?」
「ああ、何ともない」


それにしても…これだけ撃ちこんでも、掠りもしないんじゃだんだんイラついてくるわね。傷一つつけられないなんて…ムカツク以外の何者でもないわ。
こうなったらコレ使うよりも、直接突っ込んだ方がダメージを与えられるかも。うん、もう面倒だししまっちゃお。


「…使わなくて大丈夫なのか?」
「んー…大丈夫かはわかりませんが、もう面倒になっちゃったし。意外と疲れるんですよ、あの形を維持するの」
「お前…若干、性格が変わってるぞ?」
「変わってなどいませんよ。その時々で、場所や相手に上手く合わせているだけ」
「どちらもお前自身、だということか?」
「そういうことです。根本的な部分は一緒だよ。…多分、きっと恐らく」
「(適当すぎる…)」


さーて…お喋りはこのくらいにしておかないと、またこっちに向かってグレルさんが突っ込んできちゃうわね。それはダメ。
また主を狙うなんて無粋な真似…あたしが此処にいる限り、させない。絶対にね。てか、セバスも近くにいることだし。彼が護ってくれるでしょう、よっぽどマズイ時は。


「アンタ達っ!もっと危機感とかないわけ?!何でこの状況で仲良く話ができるわけ!!!」
「何でと問われてもねぇ…危機感がないからじゃない?」
「ほんっとムカつくわ〜…!もうすぐ自分が殺されるっていうのに」
「殺される?あたしが貴方に?ハッ!バカにしないでよ…貴方になんか殺されたら、末代までの恥になっちゃうわ」
「この…っ穢れた裏切り者風情が!!!」


―――ギャラララッ

回転の音が増す。同時に、狂気と殺気も増していく。周りの空気がどんどんどす黒く、静寂の闇に包まれていくようで。まるで"あの日"みたいだ。全てが闇と、狂気と、恐怖と、血の臭いと、死の足音に包まれていた"あの日"と。

あたしが全てを失って、初めて絶望というモノを知った日。

それと似ているけど、決定的に違うものがある。もう『何も失わない』ということ。綺麗事でも、下らないことでも、何でもいい。そうそう何度も失ってたまるか。ようやくこの手に光を取り戻すことができたんだ。


「光ですって?アンタみたいなヤツが陽の下で生きられるとでも思ってんの?全てを奪われて、闇に堕ちて、その色に染まったヤツは…二度と光の下では生きられないのよ!いくら焦がれたとしてもねぇ!」

―――ドガァンッ!!

「そんなのわかってるわよ…明るい陽の下で生きられるなんて思ってもいないし、望んでもないわ」


中途半端な存在のあたしだから、どちらの世界にも行けない。染まることもできない。真っ黒にも、真っ白にも。ただただ、中途半端な灰色で生きていくしかない。…でもココでは、あたし自身でいることができたんだ。中途半端でも、あたしなりの色で。


「だから奪わせない。もう何も―――」


これで終わりよ、真っ赤な死神さん?
精一杯の力を込めて、真正面から向かってくる彼のお腹に拳を叩き込んだ。


「がはっ!」


微かな血を口から吐いて、地面に転がる彼。避けられると思ってたけど、思ったよりあっさりと入ったわね。ようやく攻撃がまともに入ってスッキリしたわ。ずっとイライラしてたんだもの。
コツン、といまだに横たわる死神の元に歩み寄る。身体を跨いで上から見下ろしてやると、さっきよりも殺気が薄らいだ瞳で睨みつけてきた。そんな表情にわずかに口角が上がる。


「屈辱かしら?穢れた裏切り者に見下ろされる気分は…」
「意外と…いい趣味してんじゃない?アンタも」
「ふふっそれはどーも…。でも貴方ほどじゃないわね」
「ンフッそうかもしれないわ…ねっ!」


―――ザシュッ…

一瞬の隙をつかれたらしい。気付いて足を動かした時には、少し遅かったみたいで。
胸元から鮮血が舞った。切られた拍子にバランスを崩したのも一瞬だった。体勢を立て直そうとした瞬間、視界がグルンと回る。
瞳に映るはどんよりとした空。落ちてくる雨の雫。そして真っ赤に燃える長い髪。そこまできて、ようやく地面に押し倒されてることに気が付く辺り…あたしは鈍いのかもしれない。セバスから言わせれば"今更"なのだろうけど。


「クロードッ!!!」
「……(本当に無様ですねぇ…貴方はこのくらいでやられるような方ではないでしょうに)」
「どう?反対に見下ろされて、組み敷かれてる気分は」
「ゲホッ…最悪ね。…貴方みたいな変態に押し倒されるなんて、史上最悪の失態よ」
「この状態でもそんなクチがきけるなんて。…穢れた裏切り者でなければ、その素敵な真っ赤な髪の毛を持つアンタは、アタシのお気に入りになったのにねぇ?」
「くくっあたしが貴方のお気に入り?そんなのごめんだわ」
「いつまでそんな強気でいられるかしら?」


死神の手があたしの胸元に伸びた。


「!やめ…っ」

―――ビリィッ

「やっぱりあると思ったワ」
「く…っ!!」


裂かれたシャツの隙間から見えるは、黒く彩られた薔薇の焼印。
ソレが意味するものは―――…


「…愛玩具、ですか」
「よく知ってるじゃない、セバスちゃん。その通りよ。ずーっと気になっていたのよねぇ?幼い少女がどうして死なずに生き残っていたのか…体を売って生きていくしかないものね。そうまでして生きたかったなんて…浅ましいわね、穢れてるくせに」
「……」
「アタシの疑問も解消されたことだし、そろそろ終わりにしまショ?」


振り上げられる刃。


「クロード!…っおい、セバスチャン!!」
「問題ありませんよ、彼女ならね」


遠くに聞こえる主とセバスの声。

『浅ましいわね、穢れてるくせに』

頭の中で何度も、何度も反芻される死神の言葉。


「……じゃないわよ…」


振り下ろされた刃は、空を切って石畳に突き刺さった。


―――浅ましい


浅ましくて何がいけないの?


―――穢れた裏切り者


穢れ?裏切り?あたしが……あたし達が何をしたというの?


―――殺してしまえ


何故、あたし達が殺されなければいけないの?


「ふざけるな、死神。…穢れが何だ、裏切りが何だという。あたし達が誰に迷惑をかけた?ただ静かに…静かに歳を重ねてきたというのに。何故、理不尽に命を奪われなければいけない」


一度は吹き飛ばした死神の体。けれど、そのくらいじゃあたしの怒りは納まらない。狂気と、殺気と、怒り。それらは増幅する一方で、静まる気配すらなく。あたしの心を黒く、黒く…ただ真っ黒に染め上げる。


「あ…っ」
「浅ましくて何がいけない?みっともなく生にしがみついて、何がいけないというの?」

―――バキィッ!

「ふふっ痛い?……でもね、あたし達の受けた痛みはこんなもんじゃないわ」


もっと痛かったんだ、父さんと母さんは。原型がわからないほどに切り刻まれて、おまけに魂は食い潰されて。ただ普通にあの世に送られることすら、許されなかったの。
あの日、全てを奪われ…平穏で幸せな日々が突然終わりを告げた。あたしに残ったのは、この黒薔薇の焼印と凄惨な光景の残像と傷痕、そしてこの先ずっと消えない血の臭いと許されない罪。許されようなど、思っていないけど。


「さあ、何処から刻んであげましょうか。腕?足?それとも…一瞬での終わりを願う?」


クスクスと笑いながら問えば、死神の顔が歪んでいく。さっきまでの威勢の良さはどうしたのかしら?
一度しまった死神の鎌(デスサイズ)を取り出して、死神の首筋に突き付ける。


「や、やめ…助けて…っ!」
「あら、そんなのお断りよ。せいぜい、良い声音で啼いてちょうだい?」
「狂ってる…っ!あんた狂ってるわよ!この状況で笑ってられるなんて、絶対正気じゃないっ!!!」


正気じゃない?…そんなの、当たり前でしょう。
いまだに何かを喚いている死神の頭を足で踏みつける。ミシミシと骨が軋む音が辺りに響いて。


「足蹴にされるのは最悪だけど、足蹴にするのは良い気分ねぇ」
「い…あ…っ!!!」
「それじゃあ、さよなら?死神さん」


―――ヒュッ

鎌を振り上げた瞬間、ふわりと香る誰かの匂いと体の浮遊感。キィンッと静寂の闇に解けていった金属音。あたしがいた場所に刺さってる、赤い死神のモノとは違う別の形の死神の鎌(デスサイズ)。


「……セバス?」
「ええ。余計なお世話かとは思いましたが、全く気付いていないようでしたので」
「お話中失礼致します」

―――カシャンッ

「私、死神派遣協会管理課のウィリアム・T・スピアーズと申します。そこの死神を引き取りに参りました」
「(また死神……)セバス、いい加減に降ろして」
「ああ…失礼」



月を背に佇むスーツを着、黒縁眼鏡をかけた神経質そうな男。どうやらこの赤い死神を助けに来たらしい。
死神は嫌いだ。1人だけでも嫌なのに、もう1人増えられるのは厄介だし不愉快。また戦わなきゃいけないのかしら…もんのすごく面倒なんだけど。結構疲れてるし。と、思ってたんだけど。

―――グシャッ

何かが踏まれる音が響きました。
音がした方を見てみれば、さっき以上に顔が石畳の地面にめり込んでる赤い死神。…ああ、降りてきた黒い死神が頭の上に着地してたのか。


「派遣員グレル・サトクリフ。貴方は規定違反を犯しました。まず死亡者リストにない者の殺害、次に使用許可申請書を提出していない死神の鎌(デスサイズ)の使用」


えーと…ものすごいスラスラと喋ってますけど、足は絶えず赤い死神を蹴り続けてます。ただただ、涼しい顔で。セバスと主も突然の出来事に呆然と、事の成り行きを見てる。
この人…実はものすごい鬼畜なのかも。見かけによらないとはよく言うけど、本当なのかもしれないなぁ。あ、髪の毛を持たれてズルズルと引きずられた上に、また地面に叩きつけられた。さすがの死神もあれくらいやられると、気絶するのね。


「この度はアレが大変ご迷惑をお掛けいたしました。あ、これ私の名刺です」
「はあ…」
「(何で名刺?)」
「全く…よりによって、貴方達の様な害獣に頭を下げることになるとは。死神の面汚しもいいところだ」
「ではその害獣に迷惑を掛けない様、しっかり見張っておいて下さい。人間は誘惑に弱い。地獄のような絶望の淵に立たされた時、目の前にそこから脱却できる蜘蛛の糸が現れたら必ず縋ってしまう…どんな人間でもね」


我が主も、マダムも…そうだった。主にとってはセバスが、マダムにとってはあの赤い死神が"蜘蛛の糸"で。
生き続ける為に、絶望から這い上がる為に…そして自分の望みを全て叶える為に、そのか細い糸を掴んだのだから。


「それに漬け込んで人間をたぶらかし、寄生して生きているのが悪魔(貴方達)でしょう」
「否定はしませんが」
「首輪が付いた飼い犬な分、節操のない狂犬共より幾分かマシな様ですがね…しかし、穢れた裏切り者を此処で見つけられるとは思いませんでした」
「…だったら何?あたしを捕まえてみる?」
「本当ならば貴女をこの場で処刑するのが、一番良い事でしょう。…ですが、残念ながら私はその命を受けていない」
「そ。…賢明な判断だと思うわよ?あたしに、勝てるわけなどないんだから」
「…薄汚い生き物め。いつか必ず、その首をかき切って差し上げましょう。さ、帰りますよ。グレル・サトクリフ。全く…ただでさえ人手不足なのに、今日も定時で上がれないじゃないですか」
「セバス、そのチェーンソー…どうすんの?置いていくの?」
「ああ…返して差し上げないといけませんね」


そのままチェーンソーを持ち上げたセバスは、何を思ったのか無言で投げつけました。黒髪の死神の背後に向けて。…何気に不機嫌になってやしませんか、この悪魔。殺す気満々じゃん。
や、あの死神もこのくらいのことには気付いてるんだろうし、もし死んでも何とも思わないけど。結構なスピードで飛んできたチェーンソーを、二本の指で受け止めたけどね。


「「……」」
「…お忘れ物ですよ」
「―――どうも。では、失礼致します」


遠ざかっていく足音と気配。…何だかスッキリしないけど、ひとまず終わりということでいいんだろうか。


「申し訳ありません。もう一匹を取り逃がしました」
「…いい。もう…いい」


悲しそうな、それでいて辛そうな表情で横たわったままのマダムの遺体を見つめる主。今まで見たこともないくらい…儚げで。少しだけ胸が痛くなった。
全て片付いたであろう事件。でも…後味が悪い。


「とても冷えておいでだ、早く街屋敷へ戻りましょう。お約束通り、ホットミルクをお淹れしましょうね」
「……そうだな」
「…主、セバス」
「!クロード…男の姿に戻っていたのか」
「ええ、まぁ…目立ちますからね。そんなことより、先に戻っていて下さい…僕は野暮用を済ませてから戻りますから」
「わかりました。…坊ちゃんも構いませんか?」
「ああ…。けれど、ちゃんと戻って来い」
「はい、必ず」


主とセバスが此処を離れるのを見届け、血塗れたマダムにそっと歩み寄る。

もう二度と開かれることのない、勝気な澄んだ瞳。
もう二度と聞くことのない、優しくて凛とした声。
もう…二度と。楽しそうに笑う貴方の顔を見ることができない。

魂が刈り取られる瞬間、貴方は何を思ったのでしょう。何を見ていたのでしょう。せめて今だけは安らかに、穏やかにいられることを…切に願うよ。


「感謝してる。…大好きだったよ、アンジェリーナ様」


冷えきっている額にキスを一つ。
また再び生まれ落ちる時には、どうか今度こそ幸せな人生を―――。
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