灰色の優しさ
―――ガラーン…
―――ガラーン…
鐘が鳴る。教会の鐘が、鳴り響く。その音色が届けるのは祝福か、或いは悲しみか。誰の胸に届かぬとも…それでも、鐘は鳴り続ける。
「にいたん」
「あん?」
「教会(あそこ)今日、いっぱい人がいるね。なんでだろ?」
「さぁー?」
「にいたんはにいたんなのに、知らないの?ばか?」
「なっ!オレはまだ12歳なんだから、知らなくてイイんだよっ」
「そうだね。子供は知らなくて当〜〜〜然だ」
「テイカーさん…怖がってるよ、子供が」
「おや、クロードじゃないか。伯爵の傍にいなくていいのかい?」
テイカーさんによると、これは晴れ舞台に分類されるらしい。人生最後にして、最高のセレモニー…お葬式。そう…あの赤い死神によって命を失った、マダム・レッドのね。彼女の甥っ子である主、そして姪っ子であるエリザベス様も出席している。…繋がりがあった劉様も来ているらしい。
本当なら、僕も出席すべきなんだと思う。けど、ちょーっと野暮用がまだ残ってたからさ…それだけ終わらせたらすぐに戻るつもりだし。やっぱり…最後のお別れはちゃんとしたいから。
「助かりましたよ…夜中に転がり込んだ僕の依頼を引き受けていただけて」
「ヒッヒ…他の誰でもないキミの頼みだからねぇ。それに仕事は選ばない主義なんだよ…あんまりね」
主達を先に帰らせた後、僕はマダムの遺体を抱えてテイカーさんの所に行った。夜中にあの場所に行くのは、ものすごーく嫌だったんだけど!仕事の依頼だったから。マダムの葬式と埋葬をしてもらえるように。見知らぬ人に頼むより、僕自身はまだ知り合って間もないけど…主と知り合いの人に頼んだ方がいい気がしたんだ。何となくだけど。
これは主からの命じゃなくて、僕の意思だ。一介の従者が出しゃばった真似をするな、と怒られるかと思ったけど。主は何も言わなくて。ただ「そうか」と一言。それだけだった。
「ねえ、テイカーさん」
「何だい?」
「刈り取られた魂は…天国へいけるのかな。安らかに、眠れるのかな」
「キミは面白いことを言うねぇ」
「どんなに罪を犯していたとしても、永遠の眠りにつく時だけは…安らかに眠れるのなら…」
悪魔も死神もいるこの世界だ。天使や天国も実在する。だけど…罪を犯した穢れの魂は、安息の地に運んでもらうことが出来るのだろうか?
マダムには、せめてあっちの世界では笑ってて欲しいから。手に入れることの出来なかった小さな幸せを、手に入れて欲しいと思ってしまう。そんなこと、僕が思うのはどれだけ滑稽で馬鹿馬鹿しいのだろう。
「ちょっと感傷的になりすぎたな……テイカーさん、もう一つだけ仕事を頼みたいんだけど、いいですか?」
「ヒッヒ…それはキミからのかい?」
「ええ。でも僕からだけじゃなくて―――…」
「アン叔母様…」
―――ガチャ…
静かな、彼女の死を悲しむ者の泣き声だけが響くこの空間に、扉の開く音がする。その先に立っていたのは、真っ赤なドレスと真っ赤な薔薇を一輪持った…我が主。死者を送り出すのは、真っ白な花と真っ白な服。穢れなどないと、全てを浄化したとでもいうように…本当に綺麗な、眩しいくらいの白。
そして見送るは、真っ黒な服。喪に服しているという意味があるらしい。だからこそ、主の持つ真っ赤なドレスは派手でふさわしくないとされている。そりゃ参列者もざわめきますよね?だけどさ…
「彼女の大好きな色で見送っても…いいだろう?最後くらい」
「来い、クロード」
「…御意」
ざわめく参列者など気にもせず、僕を後ろに控えさせてマダムの元へと歩みを進めていく。ばさりとドレスを棺に掛けると、その傍らに腰を下ろした。最後の、別れの言葉を紡ぐ為に。
「―――貴女には白い花も、地味な服も似合わないよ。貴女に似合うのは情熱の赤…地に燃えるリコリスの色だ」
かつて―――マダムが恋焦がれていた、ヴィンセント様からかけられたのと同じ言葉。
「…アン叔母さん」
「一度、別れの言葉は告げたけれど…何度言ったって構わないよね?大好きだ、アンジェリーナ様…どうか幸せな良い夢を」
一陣の風に乗って、赤い花弁が教会の中を舞う。
参列者全ての悲しみを背負い、ハラハラと。白と黒だけだった世界に、鮮やかな色をつけたんだ。
「―――おやすみ、マダム・レッド」
鐘が、鳴る…鳴る…惜しむことなくその綺麗な音を、何処までも。今此処にいない者へも届くように。ココから旅立つ者を見送るように。
マダムの埋葬を見届けた僕達は、彼女のお墓の前にいた。
「切り裂きジャックの正体は、女王に報告しないのかい?」
「―――…する必要もないだろう。もう切り裂きジャックはロンドンにはいないのだから」
「そうやって君は、どんどん泥沼に足を嵌めてゆくのだね」
「劉様?」
「例え、引き返せぬ場所まで踏み込んだとしても、君は無様に泣き叫び助けを乞うような姿は…決して人には見せないのだろう。誇り高き女王の狗。我も伯爵達のお世話にならない様、せいぜい気をつけるよ」
「…阿片は中毒性が問題になってきてますからね」
英国で規制がかかるのも時間の問題だろう。そうなったら劉様が経営している阿片窟も閉鎖せざるをえない。
拒めば…きっと女王の狗と呼ばれるシエル・ファントムハイヴから…制裁を受けることになる。それはされたくないだろうね。劉様も。
「そうなったらまた、別の商売を考えるさ。まだ我はこの国に興味がつきない。君にもね、伯爵。そして…」
くるりと向きを変え、突然僕の方を向いた劉様。その顔には不敵な笑みを浮かべ、いつもは閉じられている双眸の瞳が薄っすらと開かれていて。
いつも以上に読めない表情、あまり見たことのない劉様のこんな表情。…本当に食えない人だ。この人は。
「クロード、君にも興味はつきない。まだまだ面白いものを見せてくれると、期待しているよ」
その言葉を残して、劉様は来た道を戻っていった。あの人は…僕の正体に気づいているのか?それともただ単に面白がっているだけなのか。よくわからないけど、とりあえず主に危害さえ加えなきゃいいかな。嫌いというわけではないし。
…あ、そうだ。テイカーさんに頼んだ用事、そろそろ終わったかな。そんなことをぼんやり考えていると、主に声をかけられた。何かあったんだろうか。
「…準備は?」
「ああ…大丈夫ですよ。頼んでありますから」
「そうか。…セバスチャン、少し寄る所がある。クロード、案内を」
「はいはい。こっちですよ」
マダムのお墓から少し離れた所に、目的の場所がある。僕達はそこを目指していた。…ある人の、お墓を。
目的の場所に着いてみると、墓石に腰掛けてるテイカーさんがいた。…あれっていいのかな?何か死者に怒られそうな気がするんだけども。
「―――葬儀屋、終わったか」
「もちろん。小生がしっかり綺麗にして、埋葬してあげたよ。ほら」
テイカーさんが座っていた墓石に刻まれた名前は、メアリ・ジェーン・ケリー。そう…マダムとグレルさんによって切り刻まれた彼女。切り裂きジャック事件の、最後の被害者だ。国外からの移民だったらしくて、遺体の引き取り手が見つからなかったみたいでね。
「ヒヒヒッだから優しい伯爵は、名もない娼婦のお墓を建ててあげたんだよね〜〜〜」
「優しくなどない。提案してきたのはクロードだしな」
「先に言っておくけど…僕も優しくなんてないよ?」
わかって、いたんだ。この女性を助けてやれないということを。あの夜、命を第一に考えるなら、助ける方法はいくらでもあったはず。だけど主はそうしなかった。僕も…何も言わなかった。助かる可能性をわかっていながら、切り裂きジャックを捕らえることを優先したってこと。
「僕は、助けられないのをわかってた。わかっていて…見殺しにした、肉親さえ…」
「…後悔してるのかい?」
「してない。切り裂きジャックはもういない。ヴィクトリア女王の憂いは晴れたのだから」
「女王(ヴィクトリア)か、気に入らないなァ〜〜〜。自分は高みの見物ばかりで、辛いことや汚いことはぜ〜〜んぶ伯爵に押しつける」
…それはファントムハイヴ家が背負う業。主の手にある指輪と共に、代々受け継がれてきているモノ。指輪は言うならば、首輪だ。業という鎖で、主と女王を繋いでいる。先代のヴィンセント様もそうだった。けれど―――その首輪を自分の首にはめると決めたのは、きっと彼ら自身の意思だ。
不意にテイカーさんが、主のネクタイを引っ張った。殺気も悪意も感じないから…恐らく、危害を加えることはないと思うけど。
「小生はいつかキミが、その首輪で首を吊ってしまわないように祈ってるよ。そんなのはつまらないからね。また何かあったらいつでも店においで。伯爵とクロードと執事くんならいつでも歓迎するよ。ヒッヒッ…」
(劉様同様…テイカーさんもなぁんか、読めないと言うか食えない人だ)
楽しそうに笑って、片手をプラプラと振りながら去っていくテイカーさんの背中を見つめながら、ふとそんなことを思う。…前では主とセバスが不穏な空気をかもし出してるし。てか、セバスが…っていう方が正しいのかもだけど。でもセバスの質問内容は、僕も気になっていたことなんだけどね。
"何故、マダムを撃たなかったのか"
あの晩、主は銃を隠し持っていた…何が起きてもいいように。だから自分の身は自分で護れるという発言があったわけで。撃とうと思えば、主はマダムを撃てたはずだったんだ。だけど、撃つのをためらった。セバスが促しても、主は銃をとらなかった。とろうとしなかった。それは一体、何故?
「マダムを自分の手で殺すのが、怖かった?誰とも知れない女は殺せても、やはりお身内は殺せないとでも?」
そう問うセバスの表情は、か弱く脆弱な人間を蔑んでいるような、嘲っているような…そんな表情で。
一瞬、考えた後…主はいつもの凛とした瞳でセバスを見据えた。
「お前の仕事だからだ。お前が死んでも僕を守ると思ったから、撃たなかった。
悪魔(おまえ)と僕の契約は、"僕が目的を果たすまで、僕の力となり僕を殺さず守り抜くこと"…僕があそこで死んでしまっては、契約違反だ。契約(めいれい)に従うことが悪魔の美学だと言うのなら、お前は死んでも僕を助けに来るはずだ。悪魔(おまえ)には"信念"や"忠誠"などありはしないだろう?あるのは"美学"のみ。ならば、己の美学の為に、お前は僕を守る。だから僕がわざわざ手を下さずとも、黙っていればお前がマダムを殺してた。…違うのか?」
「では何故…止められたのです?」
「マダムは表の世界を、裏の力で汚した。ならば、しかるべき場所に出て裁かれるのが道理。市警(ヤード)のメンツを立ててやるのも僕の役目だからな」
「…それだけじゃないでしょう?主を殺そうとしたマダムの目には、迷いがあった。マダムにはシエル・ファントムハイヴを…肉親を殺すことはできない。そう思ったんじゃないの?」
あの時のマダムの瞳には、憎しみと迷いと…悲しみが宿っていたから。
「そうだ。一瞬でも迷えば、この世界では命取りになる。チェスと一緒だ。彼女は迷い、次の一手を見失った。それだけのこと」
――だから僕は迷わない――
ぞくりと、背中に何かが走った。恐怖とか悪寒の類ではない…それとは別の何かだ。上手く説明はできないけれど。だけど…さすがは僕が仕える主だ。
「…そうでなくてはね…いつでも王(あなた)は駒を上手に使い、生き残ればいいのです。騎士(私達)も女王(マダム)も利用して。その玉座の下に駒の亡骸が積み上がろうと、決して倒れてはいけない。王が倒れれば、この『ゲーム』は終わりなのだから」
「僕は立ち止まらない。踏み出した一歩に後悔もしない。だから…命令だ。騎士(お前達)だけは僕を裏切るな、僕の傍を離れるな。…絶対に!」
「―――御意、ご主人様(イエス、マイロード)」
僕は…その命令に返事をすることができなかった。
少し前の僕なら、絶対にその命令に従おうとしていたのに…今は―――
理由なんてとっくにわかりきっている。怖いんだ、失うことが。全てをまた…失ってしまうことが。
拒絶されているわけではない。だけど…いずれ、僕の存在の危険性が主にもわかってしまう。それを知られたとしたら、きっと僕は此処に留まることができない。
「"いらない"と言われるその時までは、此処にいると決めていたのにね…いざ、そういう場面になったら怖がってしまうなんてなぁ…」
どれだけ臆病なんだろうか。どれだけ滑稽なんだろうか。自分の愚かさに笑いしか出てこないよ…。
「クロード」
「っ!何、でしょうか…」
「屋敷に戻ったら、僕の書斎に来い。逃げることは許さないぞ」
「…拒否する…権利は?」
「ないな。お前には聞きたいことが山ほどあるんだ…セバスチャン、お前も同席しろ」
「…御意」
もう、逃げることは許されない―――――