灰色と従者の行方
「何なんだよ…セバスのヤツ」
そっと自分の唇に触れてみる。まだ昨日の、彼の冷たい唇の感触が残ってる。ただ軽く触れ合っただけだけど―――それでも鮮明に。それを思い出すだけで顔が赤くなるのがよくわかる。おかげで、今日は仕事がしにくくて仕方ない。…サボってはいない、けど。極力セバスと会話をしないようにしてるのは、事実なわけでして…。
ああ、もうっ!全く僕らしくない。何故か冷静でいられなくて、時々アイツの顔を見ることが恥ずかしくて、ふっと見せてくれる柔らかい笑顔が…嬉しくて。
『…本当に不思議なものだ。元来、私達悪魔は"愛"などに興味なんてなかった…ですが、貴方(クロード)という存在が気になって仕方がない』
『貴方を愛していると言ってるんですよ。…癪ですけどね?』
『貴方を…クロードを誰かに渡すつもりなどない。必ず、この手に捕らえて差し上げます』
頭の中で何度も、何度も反芻されるあの日のセバスの言葉。あいつは確かに、嘘は言わない。だけど…所詮は悪魔だ。そして今のアイツの飼い主は、我が主のシエル・ファントムハイヴ。それ以外に興味を持つなんて、そんなことあるはずがないだろうに。
あの言葉の全てが真実だとは思えないんだよね。…なのに、"真実であってほしい"と願っているのはどうしてなんだろう。
「あああっもうやめだ、やめッ!!!」
こんなこと延々と考えてても仕方ないっての!正解も何もあるわけじゃないし、もちろん解決することだってないんだから。僕が大事なのは、主…シエル様ただ1人。その事実に偽りはないし、これから先シエル様以上に大切な人を作ることはない。
それだけが僕が此処に存在する理由で、存在意義。最期の時まで傍にいて、彼に害なす全てのモノから必ず護り抜く。だから―――――心の奥底で燻っているこのよくわからない感情は、表には出してはいけないんだ。気づかないフリをして、今以上に奥へと押し込んで…。コレに名前などつけてはいけない。すれば最後。僕は更に戻って来れない所まで、堕ちるだけだ。
「此処にいたのか、クロード」
「…主?」
「来い。出かけるぞ」
「は?こんな時間に何処へ…」
―――ひょこっ
「尾行だよ、尾行〜。あの王子様達のね」
「成程、理解しました…すぐに準備をしましょう」
今の時期のロンドンは、かなり冷え込む。特に夜はね。風邪をひかせないように、ちゃんと2人のコートを持ってこないと。
そう思って先に玄関へと向かうと、すでに準備万端で待機しているセバスがいた。…僕の分のコートまで持って。
「全く…そんな薄着で外に出るつもりですか?」
「すっかり忘れてた。…ありがと」
バサリと持ってきてもらったコートを羽織り、セバスは主に、僕は劉様にコートを着せた。ん。これで準備完了だ。
「よし!後を追うぞ」
「おー」
「(何か劉様は楽しそうだなぁ…)」
街屋敷(タウンハウス)を出て、王子とアグニさんの後をこっそりと着いて行くと。2人が行くのはパブやクラブばかり。特に怪しい所へは行っていないし、怪しい行動の欠片すら見当たらない。
「何か本当に人捜ししてるだけみたいだねぇ〜〜〜」
「英国で人の情報を得るには、まずパブかクラブだ。別に不自然な行動はしていないな」
「僕達の行動の方がよっぽど怪しいかもね。…それにしても、手がかりがあの絵じゃ…知ってる人も知らないって答えると思うんだけど」
「あはは、確かにねぇ」
パチンッと懐中時計を開く音がしたから、時間を確かめようとセバスの横から覗き込む。
「もう午前1時か…」
「そろそろ屋敷に戻りそうですね。私達も戻りましょう」
「びっくりするくらいに何にも収穫なかったね」
「そうですね…何かしら掴めるかと思っていたんですが」
「まだわからない。もうしばらく様子を見るぞ、動くかもしれんからな」
「御意」
「んじゃ、温かい紅茶でも淹れてきましょう。外は寒かったですからね」
主と劉様は談話室へ。僕は紅茶を淹れる為に厨房に向かい、セバスは何故か屋根の上に向かいました。どうやら2人の様子を窺うためにらしい。…ま、正直寒さなんてそこまで感じないしね。僕もセバスも。さーて、何か動きがあるといいんだけどなぁ。
紅茶を淹れて部屋に戻ってくると、劉様はバッチリなんだけど。主はいつもならもう眠っている時間だ。頭をゆらゆらとさせ、今にも眠ってしまいそうで。
「主?紅茶を淹れてきたけど、飲みますか?」
「…飲む…」
「零さないようにしてくださいねー。劉様もどうぞ」
「ありがとう」
カップを渡してふう…と一息つくと、主に名前を呼ばれた。どうしたのかと跪き、視線を合わせると小さな声で「隣に座れ」とのこと。ああ、眠いのか…言葉の意味を僕なりに理解して、苦笑しつつ隣に腰掛ける。本当なら使用人と主がこんな風に座ることは、きっとあってはいけないことなんだろうけど?
まぁ、それは今は置いておいて。ずーっと船を漕いでいた頭を、僕の肩ら辺にもたれさせて今度こそ寝息を立て始めた。真夜中だしねぇ…そりゃ主にはきついだろうな。
「伯爵、眠っちゃったのかい?」
「ええ。いつもならお休みになられている時間ですから」
「…寝顔は年相応の顔をしているんだねぇ」
「あははっそうかもしれませんね」
それから1時間程経った頃だろうか。それまで静かだった屋敷内に、微かな物音が響いた。
時刻は午前2時45分。どうやら主の読み通り、動いたみたいだな。
「…主、起きて」
「…んー…」
「坊ちゃん、動きました」
主を起こしてすぐ、屋根で様子を窺っていたセバスが窓から顔を出した。僕の聞いた物音も気のせいじゃなかったみたいだな。動きがあったことだし、僕らも動くとしましょうか。
「よし、後を…」
「待て」
「!」
そこに立っていたのは王子。いつの間にか談話室の扉付近に立っていた。
「お前…!」
「俺も連れて行ってくれ。アグニがたまに俺の寝た後、出て行くのは知ってた。あいつが何をしてるのか…知りたいんだ」
そう言った王子を、じっと冷たい瞳で見ていたセバス。…一体、彼は何を考えているんだろうね?
急いで屋敷を出て、アグニさんを追いかけて行ってみると、辿り着いたのは大きな屋敷。…ん?この屋敷、確か―――
「そういうことか。裏が見えてきたぞ」
「どういうことだ?誰の家なんだ、此処は」
「まあまあ、王子様。慌てない、慌てない。行けば解るさ。そして嫌でも真実を知ることになる。君も…我も…ね」
「"我も"ってことは、お前も何も知らないんだな?」
「うん☆ここ誰んち?」
あっけらかんとした感じで言う劉様に、いつもながら呆れてしまったけど。苦笑を浮かべつつも、劉様と王子に説明をするために口を開いた。
「此処は輸入品を手広く扱ってる、ハロルド・ウエスト=ジェブという方のお屋敷ですよ」
「表の仕事で一度会ったことがあるが、肩書き主義でいけ好かない男だ」
「あー…そういえばそうだったねぇ」
僕もその仕事には着いて行ったけど、仕事の話より自分が持っているブランド品の話ばかりで、うんざりした記憶がある。有名なブランド品ばかり持っていて、一体何の役に立つんだか。
僕にはただの自慢話にしか聞こえなかったし、主のことをバカにされているような気分だったんだよなぁ。…思い出すだけでも腹が立つ。
「輸入品かぁ。我とは同業者だね」
「何故アグニがそんな奴の家に?」
「主にインドから香辛料(スパイス)や紅茶葉を輸入しているんです」
「『ハロルド・トレーディング』という雑貨店と、『ハロルド・ウエスト』というヒンドスターニー・コーヒーハウスを経営している」
僕と主の言葉を継いで、更にセバスが説明を続ける。
「ウエスト様はミーナ様の件で調べていた資料にお名前がありました。資料によると、確か輸入はベンガル地方からがメインで、例の逆さ吊り事件の被害にもあっています…が」
「不思議なことに代表者の彼は、 たまたま不在だった らしく被害を免れたんだそうですよ?」
色んなことが明らかになり始めたけど、核心にはまだ届いていない。全ての謎は此処…ウエストの屋敷にあるのだろう。解決するには、もう直接行った方が早いんだろうなぁ。主もそう思ったのか、中に行ってみるよう促す。
「仕方ない…行ってみるか」
「御意」
その言葉と同時に、セバスは主を脇に抱えて軽々と塀を飛び越えた。確かにその方が早いだろうけど…せめて一言言ってあげりゃいいのに。相変わらず唐突な奴だな、本当に。
―――トッ…
「あー、もう…いきなり抱え上げたから、主の服乱れちゃってるじゃん」
「しかし、この方が早いでしょう」
「否定はしないけど―――…セバス」
「!!」
ガサリと言う音と、低い唸り声と共に姿を見せたのは番犬のドーベルマン。恐らく僕達、侵入者の匂いや音を察知して来たんだろうね。侵入者を、排除する為に。
ほら…その証拠に全ての犬がこっちに向かってきた。まぁ、危害を加えることができるなら…やってみるといいんじゃない?無駄だけどさ。
「シエル!!」
王子の焦った声が聞こえたと同時に、隣に立っているセバスから冷たいオーラを感じた。
動物って気配に敏感だってよく言うけど、それって本当だよね。
現にさっきまで襲う気満々だったドーベルマン達が、大人しくなって退いていったし。…そりゃ怖いよな。悪魔(セバス)の、あの冷たい視線は。
「何だ?犬が退いていく…?」
「ウエスト様は臆病な番犬を飼っておいでですね」
「……」
「臆病、臆病じゃないって問題じゃないと思うんだけど…」
「おーい、伯爵ー」
え?劉様の声…一体、何処から聞こえたんだ?辺りを見渡してみると、いつの間にか裏口付近にいて、警備員を倒してただけでなく…ちゃっかり鍵まで奪ってました。
警備員の首筋には、劉様が今手に持っているのと同じ針が刺さっている。…すっかり忘れてたけど、こういうの得意なんだっけ。中国の方だったし。主と王子はばっちり引いてるけどね。あーあ…王子様なんか震えちゃってるじゃん。
「大丈夫、眠ってるだけです」
「中国四千年の技ってヤツ?」
「まぁ、いい。さっさとあいつを捜すぞ」
―――キィ…
「中に警備員はいないようだな」
「2階から声が聞こえる…」
「行ってみましょう」
2階に上がって、声がする方に足を進めると…まぁ、ご丁寧に扉が少し開いていて。これは「覗いて下さい!」って言ってるようなもんでしょ。そんなわけで、有り難く覗かせてもらうとしよう。
「本当に良くやってくれた。そんな思いつめた顔をするな…シガーでも吸ってリラックスしたらどうだ?英国王室御用達(ロイヤルワラント)のジェイムス・フォックスで買った、上等のハバナ・シガーだぞ」
「……」
お、アグニさんはっけーん!
「まあいいさ。ここまでの計画は完璧だ。あとは一週間後…全てが決まる。そしてこの"神の右手"さえあれば、俺の計画は完遂される!3年も待ったんだ、絶対に成功させてみせるぞ」
一体、何の話をしてるんだ、この2人は。"神の右手"っていうのも気に掛かる。
「俺が約束通り、この計画をやり遂げられたらミーナは…」
…やっぱり、アグニさんがウエストに協力してるのは"ミーナさん"が関係してたわけか。ってことは、アグニさんは彼女の居場所を知っていながら、王子に話していなかったのか。
けど、アグニさんのあの思いつめたような表情…なぁんかあまり良くない結果が待ち受けてるような気がするなぁ。ミーナさんが無事だってことだけは、間違いないだろうけど。
「ミーナだと?!」
「……あ。」
「馬っ…ムッ」
アグニさんの言葉に反応した王子は飛び出し、それを見た主は驚いて大声を出す寸前。主の方は慌てて口を押さえたから、何とか大丈夫だったけど。
「しっ!此処で声を上げてはバレちゃうよ。僕達は顔が割れてるんだから」
「そうですね。様子を見ましょう」
理解してくれたのか、主は深く頷いた。それを確認して主の口から手を離す。声を出さないってわかったからね。
劉様はともかく…主とセバスと僕は、一度会ってるからねぇ。バレたら終わりだ。せっかく此処まで来たのに…ウエスト達に見つかってしまったら、色々と面倒でもある。
「お、王子…」
「お前、どういうことだっミーナが何処にいるか知ってたのか?!」
「ああ…それがお前のご主人様かアグニ」
「お前がミーナを連れて行った奴だな」
アグニさんに掴みかかっていた手を離して、ウエストの方を向いた王子の顔は…実に恨めしげだった。自分の大切な人を奪った張本人。そりゃ憎いだろうね…王子にとっては。どうしても許せないんだろう…アグニさんにウエストを倒すように命令するけど、辛そうに顔を歪めたまま、動くことも言葉を発することもしないで。
そんなアグニさんに王子は焦ってるように見えた。ウエストはそんな2人を見て、いや〜な笑顔で笑ってるけどね。本当にムカつく。
「アグニ、そのうるさい王子様をつまみ出せ」
「なっ…」
その口調はまるで、ウエストがアグニさんの主みたいだ。王子の表情は驚きに染まって、徐々に焦りや不安で青ざめていく。
絶対的な従者が、自分に従わないとわかった時。
自分以外の者の命令を聞いた時。
この王子は何を思うのでしょうね?
でも、今はそれを面白がったり、楽しんだりしてる場合じゃないんだけど。
「…なーんか揉め始めちゃったけど」
「はぁ……」
あらら…呆れたのか、溜息ついちゃったよ。
「さっきの話の内容からして、逆さ吊りの事件にウエストが絡んでいることは間違いないが…どうも"裏社会の事件"ではなさそうだ」
「ということは、今回は伯爵の管轄外だね」
「表社会の事件ですからね」
「…だな」
「「でも市警(ヤード)に知らせるのも面倒だし、此処でボコって帰っちゃわない?」」
「息ピッタリですね」
「声を揃えて言うな…それもいいが、僕に少し考えがある。もう少しウエストを泳がせよう」
「ま、主に考えがあるならそれに従うけど…じゃあ今回はあの王子(バカ)を連れて、引き上げますか」
「でも君達は面が割れてるんだよね?」
「ああ」
「お任せ下さい。私に良い案がございます」
人差し指を口元に寄せて、妖しく笑ったセバス。何か…ろくな事が起きない気がするのは、僕の気のせいだろうか?
「アグニ、その王子様を殴って黙らせろ」
羽交い絞めにされてる王子と、羽交い絞めにしているアグニさんの間に衝撃が走ったような気がした。
でもウエストにはそんなの関係ないからね。その様子を実に楽しそうに、腹の立つ笑顔で眺めている。
「ははっ何だよ。何も殺せとは言ってない。ちょっとばかし痛めつけて、黙らせればいいって言ってんだ。優しいだろ?」
「アグニ…」
「アグニ!」
まさに天使と悪魔の声、ってやつだね。アグニさんはどちらを聞き入れるのだろうか?
王子の為に悪魔の声を?
それとも天使(神)の声を?
答えはすぐに目の前に示された。ぎゅっと目を瞑り、右手を振り上げたアグニさん。
勝ったのは悪魔(ウエスト)の声。振り上げられた手は、まっすぐに王子に向かう――――――はずだったけれど。
―――バシィッ!
「「?!」」
2人の間に割り込んだ何者かによって、攻撃は防がれた。その正体は…
「何で鹿…?」
「鹿の剥製を被ってくなんて、ナイスアイディアだよね執事くん」
「どこがだ」
確かに顔は隠れたけど、突然頭は鹿で身体は人間(しかも燕尾服着用)なんてモノが出てきたら、そりゃあびっくりして大騒ぎだ。
現に驚きすぎたウエストが、セバス(仮)のことをスパイとか何とか言い始めちゃってるし。事態は好転するどころか、悪化の一途を辿ってる気がします。しかも面倒な方向に。
「もうあの王子を置いて、逃げるのが一番―――」
「?おい、クロード?」
「ぉおおぉお!」
中を覗いてみれば、目から血を流して包帯を引きちぎってるアグニさんの姿。…何だ?今の彼の状態は…っ!
繰り出される攻撃は、当たった物全てを破壊して。部屋の壁をもぶち壊してしまうほどの威力だ。少しでも掠ったらまずそうだね。スピードも半端じゃないし。うーん…これは―――
「何かヤバそうだね」
「同感です。先に脱出しよう、主」
「ぅわっ」
下手すると、全てを壊しかねないよ。今のアグニさんじゃ。
主を危険な目に曝すわけにもいかないし…ひょいっと抱き上げて、そのまま出口へ走り出す。
セバス(仮)がいるんだし、先に此処を出ても何ら問題はないはず。どうにかすんだろ、あっちはあっちで。
「っ…おい!この騒ぎじゃ人目につくっお前もそいつを連れて脱出しろ!」
「御意」
ちらりと視線をやれば、窓から飛び降りるあいつの姿が見えた。