灰色と我が儘


無事、ウエストの屋敷を脱出して…町屋敷(タウンハウス)まで戻ってきた。
全員で談話室に集まって、とりあえず一息。外は寒かったしね。話題にのぼるは、もちろんさっきの―――


「すごかったね、さっきの彼。人間の範疇を超えてるよ」
「あれは"精神集中"(サマーディ)だ。ああなると誰も手がつけられん」
「サマーディ?」
「宗教的なものですね、一種のトランス状態の事でしょう。人間という生物は、強烈な信仰という盲信によって強大な力を生み出す事のできる稀な生き物です」
「かつてのヴァイキングは、軍神(オーディン)の名のもと狂戦士(バーサーカー)となり、十字軍の聖騎士は神(ヤハウェ)の名のもと侵略という名の戦いを繰り返した…」


ずいぶん昔に、何かの本で読んだ記憶がある。きっとアグニさんもそれと同じ。王子という絶対的な信仰によって、人間(ヒト)には持ち得ない程の力を生み出している。そう考えていいんじゃないかな?推測ではあるけど。


「私達には持ち得ない、誰かを信じ愛する事で生まれる"信仰"という力」


…ま、僕達には持ち得ない力であるのは確かかもね?特にセバスには。悪魔にとって、誰かを信じたりすることなんて…ないに等しいから。


「ならば何故…俺を裏切る?」


ボソリと呟く王子の声は、とても儚く今にも消え入りそうで。そうなるのもわからなくはないけどね…アグニさんのあの行動は、王子にとって裏切りと何ら変わりはない。自分を絶対的に信じてくれた、最も信頼していた執事の。
どんな理由であれ、彼にとっては手痛いモノだったはずだ。今夜の出来事は。それを主張するかのように、テーブルの上に並ぶティーカップを薙ぎ払った。


「何故、俺を勝手に置いていく?!」

―――ガシャアンッ!!!

「っお前…」
「どうして!!どうして俺の周りの人間ばかりいなくなる?!何故だっ何で…っ」


大きな音を立てて、次々と割れていくティーカップとソーサー。中には淹れ立ての紅茶が入ってるんだけど…主達にかかったらどうしてくれるわけ?
ひとしきり叫び、ひとしきり壊し終えた王子はそのまま広間を出て行った。


「お二人共、大丈夫ですか?」
「避けたから大丈夫だよ」
「嗚呼…せっかく坊ちゃんにお似合いだと思って取り寄せた、アヴィランドのティーセットが…」

―――カチャ…

「…クロード?」
「全く…此処を何処だと思ってるんですかねぇ?あの方は…」


割れたカップの破片を拾い上げ、そのまま握りつぶす。僕の行為に驚いたのか、主達が声を上げてるようだけど…そんなの今はどうでもいい。掌から血を滴らせたまま、僕は広間を後にした。


「初めて見たけど、クロードかなり怒ってる?」
「あれは完全にキレてる顔だな…僕もあの顔は久しぶりに見た」
「あの王子様、苛められちゃうんじゃない?」
「まぁ、彼にも躾が必要なようですから」





―――バタンッ

ノックをすることも、静かに扉を開けることも面倒だ。思いきり開けた先に広がったのは、様々な物が散乱している客間。談話室を出て行った後、今度は此処で暴れてたってわけね。


「ほんっと…いい加減にしろよな…」
「貴様ッ誰が入っていいと許し…」
「…うるさい」


無理矢理にシーツを引き剥がし、ベッドから転げ落ちた王子の胸倉を乱暴に掴む。
その行為を無礼者と言う王子。無礼者?それは一体どっちだろうね?ティーカップを割り、部屋を好き勝手に散らかして…それは無礼だと言わないわけ?


「お前っ俺を誰だと思ってる!俺は…」
「王子が何だ。此処はお前の国でも、城でもない。ファントムハイブ伯爵の屋敷で、英国。お前に命令される筋合いはないし、その権利も持たないただの餓鬼だ」
「なっ…」
「いい加減、目障りだ。主の邪魔ばかりし、挙句の果てには恩を仇で返すようなことをして」
「シエルにはっ…感謝、してる」
「ほう?感謝の表れが、さっきの行為だとでも言うのか?…笑えない冗談だな」


グイッと顔を近づけて睨んでやれば、怯えたように目を更に見開いた。


「此処での主人はお前じゃない、シエル・ファントムハイブだ。それを忘れるな、餓鬼が」
「アグニさんがいなければ、何もできない無力な子供。その頼みの綱のアグニさんにも裏切られてしまいましたけどね」
「!」


カツンという靴音と共に入ってきたのはセバスだった。冷たい笑みを浮かべて、更に王子の傷を抉っていく。


「そうだ…俺にはもう何もない。みんな失ってしまった…」
「失う?呆れた被害妄想ですね」
「あんたは失ったんじゃない。最初から何も持っていなかっただろ」


親から与えられた地位
親から与えられた城
親から与えられた使用人
全て親からもらったモノ。初めから王子のモノなんて、何一つありはしなかったんだから。


「アグニさんの事も、本当は薄々感づいていたんでしょう?けれど、一人で確かめる勇気もなかった」
「ち…違うッ」


なに?全てから目を逸らして、全てから逃げるの?そんなこと…させないよ。

―――バァンッ!

部屋の外に出ようとした王子を追い詰めるように、僕は行く手を塞いだ。扉に手を置いて、出ることのできないように。


「一体、何が違う?いざ事実を突きつけられたら、今度は悲劇の主人公気取りか」
「本当にどうしようもない餓鬼ですね」
「でも…でもっ…みんなずっと一緒にいてくれるって…!」

社交辞令に決まっているでしょう

「見返り無しに誰かに仕えたりするはずがない。スラム街でなら、3歳児でも知ってますよ。誰も貴方を愛してた訳じゃない」
「俺…俺はっ…」
「その辺にしてやれ」
「坊ちゃん」
「主…」
「僕だってそいつと同じだったかもしれない」


いつの間にか入ってきていて、僕らを止めたのは主だった。
腕を組んで扉にもたれて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「―――あの、1か月がなければ―――」
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